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東灘だんじりを通じて、地域の人々の繋がりや世代間の交流を醸成していきたい。

2022/10/9
2024/2/29
東灘だんじりを通じて、地域の人々の繋がりや世代間の交流を醸成していきたい。

兵庫県神戸市東灘区の5地区32台のだんじりが一堂に集結し巡行する「東灘区制70周年記念だんじり巡行」。東灘だんじり会主催で10年に1度行われるこの行事ですが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため2度の延期を余儀なくされました。 東灘区の人々にとって心の拠り所となっているだんじりに対する思いや、次の世代に伝承する取り組み、新型コロナウイルス感染対策などについて、東灘だんじり会会長・吉田善昭さんにお話を伺ってきました。

吉田 善昭(よしだ よしあき)

1965年神戸市東灘区生まれ。東灘だんじり会会長。
東灘だんじり会の活動としては、主に10年ごとの区制周年行事の運営や区内各イベント等での広報活動など。本来、東灘のだんじりは各地区独立して行っており、横のつながりが希薄だったものを、周年行事や年数度の会合などにより連携をはかり、円滑な運営や文化伝承などに向けて活動している。

――吉田さんは生まれも育ちも東灘区とお聞きしたのですが、地元の人から見た東灘だんじりとはどのようなものでしょうか?

だんじりに対する思いは年齢によって変わってきていると思います。子どもの頃はただただ楽しい、お菓子やお弁当がもらえるし、みんなでワイワイ騒げるといった単純なものでしたね。中学や高校になるとお兄ちゃんたちがやっている事がかっこよく見え、それをやってみたい。それが20歳を過ぎ大人になると、実際に運営に携わり、下働きのような事をやらされるようになると、なんとなく地域のために役に立っているのかなと思うようになりました。結構怒られましたけどね(笑)

――なんだかその情景が浮かんでくるようですね(笑)

その後30代後半になってくると運営の中核を担うようになってくるのですが、そうなってくると今度は後に続く若い人たちの面倒も見るようになります。近所のお兄ちゃんだったつもりがいつの間にか近所のおっちゃんと呼ばれるようになり、世代がどんどん動いている。その頃になってようやく祭りのあるべき姿というものが分かってきましたね。

――といいますと?

祭りやだんじりを核として、人との繋がりが縦にも横にも広がっていくという事でしょうか。だんじりを触ったり、押したり、見て回ったりするだけじゃなく、だんじりの時にはいろんな人とのふれあいがある。通りすがりに『あれ僕の同級生やで』という会話が出てくるだけでもだんじりを行っている意味があると思います。文化伝承という大それたことは意識しなくても、ここにだんじりがあるというだけで人々のルーツとなり、拠り所となる、そんな存在なんだろうと思います。それは元々生まれ育った人たちだけでなく、例えば東灘区に転勤で転入してくる人や、数年だけ住む学生さんなども多いのですが、そういった人たちにとっても良い思い出を作っていただき、また東灘を離れたとしても何かの時に温かい気持ちで思い出していただける存在であってほしいと思っています。

なんか、こんなにしゃべってていいんですかね?(笑)

――もちろんです(笑)

最近では、地域の活動や自治会のようなものはなくても良いという風潮もあるのですが、この東灘区(神戸市)は1995年に阪神淡路大震災がありました。私も震災を経験したのですが、そんな時に役に立ったのは本当にアナログな、人との繋がりだったんですね。インフラも行政機関もマヒしている中で自然と人々が団結し助け合えたのも、それまで培ってきた人との繋がりがあったからこそだと思います。その繋がりをもたらす一助としてだんじりの存在もあったように思いますし、こういった人との繋がりは後の世代にも残していきたいですね。

――後の世代に残したいというお話が出たところでお聞きしたいのですが、東灘ではだんじりを次の世代へ継承するための具体的な活動などは行われているのでしょうか?

具体的な活動で言いますと地区ごとに『瓦版』というものを毎年全戸に配布しておりまして、そこにはだんじりについてのさまざまな内容が盛り込まれています。すべての人がしっかり読んでくれるとは限りませんが、ここにだんじりというものがあると知ってもらうだけでも継続して配布する意味があると思っています。また、昨年も制作したのですが、映像としても何度か残しておりますし、子どもたちに対しては、約20年前から小学校で年に1度だんじりを知ってもらおうと課外授業も行っています。

――聞くところによると、地元の高校生が今年は法被を作られたとか?

東灘区にある六甲アイランド高校の芸術系の生徒さんたちなのですが、『東灘区制70周年記念だんじり巡行』に合わせて、運営側の法被や浴衣、タオルのデザインをお願いしました。学校の先生とお話しすると『伝統や文化とは真逆にいる子たちです』と笑っておっしゃっていましたが、普段近代アートなどを勉強されている生徒さんたちにこういったものに触れて楽しんでもらうのも大切な事ですよね。

今回のインタビューにご協力いただいた「住吉だんじり資料館」に展示されているだんじり。思った以上に大きく絢爛豪華な地車でした。

――そして新型コロナウイルスの影響で3年ぶりに開催された春のだんじり、そしてこのたび行われる2年遅れの「東灘区制70周年記念だんじり巡行」についてですが、今のお気持ちはいかがですか?

運営に携わる我々にとっては、実は開催が中止になっても裏方の仕事は変わらず行われていたのですが、それでも当日に本来なら練り歩いているはずのだんじりが無いと心にぽっかりと穴の空いたような寂しさがありました。ただ、まだ私自身については年齢が57歳なので、そうは言っても57分の2回です。地区によっても違うのですが、私の地区だと中学生に上がると大人の仲間入りでだんじりを曳くようになります。子どもの頃からずっと楽しみにしていただんじりデビューが2回もお預けになったのですから、これは本当にかわいそうでした。彼らにとっては14歳分の2ですから相当なものです。特にこの時期の1年2年はいろんな経験や思い出がその後の人生に影響してくる貴重な時間ですのでなおの事です。中止になって参加できなかった分も一緒に楽しんでもらいたいですね。

――感染症対策についてはいかがですか?

感染症対策については一旦こちらで作ったものを専門家に見ていただき、助言を受けながら対策をおこなっていきます。運営の会議等では、『対策は十分行ったうえで、さらにほんの少しマスクをきちんと着ける、ほんの少し普段よりしっかり手を洗う、ほんの少し勇気を出して注意する… プラスアルファのほんの少しを徹底しよう!』と話しています。参加する人、見にくる人、皆さんが安心安全で楽しんでいただけるようしっかり対策を行いたいと思います。

――最後に、「東灘区制70周年記念だんじり巡行」に参加される皆さんにメッセージなどございましたらどうぞ!

東灘区という小さな地域に32台ものだんじりがあるのは全国的に見ても稀有な地域だと思います。江戸時代から始まり、途中何度もなくなり、また始まり、そうやって続いてきた東灘のだんじりが今では32台も集結する地域の文化として出来上がっています。我々が普段安全に健やかに生活できるのは、こうした地域の文化も一助となっていることを感じてもらい楽しんでいただきたいですね。当然、すべての人がウェルカムでないことも重々承知しています。そういう方にも一定のご理解をいただけるよう我々もしっかり運営して行きたいと思っています。

あとがき

神戸市東灘区と言えば、阪神エリア屈指の高級住宅地が並ぶハイソなイメージでしたが、雑談の中で「みんな苗字ではなく名前で呼び合っているような田舎なんですよ」と笑いながら話される東灘の特色がとても印象的でした。都会にあっても、人とのふれあいがあり、世代をまたいだ縦横の繋がりのある「田舎=ふるさと。を感じさせる温かみがあるのも、だんじりという地域のお祭りがあるからこそなんだろうと、お話を聞いていてとても羨ましくなりました。

10月9日に行われる「東灘区制70周年記念だんじり巡行」は、東灘区のだんじり32台が一堂に会し、さながらパレードのように東灘の町々を約6時間かけて練り歩きます。観光客よりもはるかに多くの地元の人たちがそれぞれの地区のだんじりに声援を送り、また、周囲の人たちと挨拶を交わしお互いの近況を語り合う、そんな心温まる空気に包まれるお祭りがコロナ禍を乗り越えていよいよ始まります!

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