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武蔵国一宮で例年3月15日に開催される「郷神楽祭」
世界各国では各々の民族が個性的な文化を育んできました。日本でも独特な伝統芸能が生まれ、長い歴史を紡ぎながら表現に磨きを加えつつ受け継がれています。神楽もその代表格と言えるでしょう。
全国各地の数多くの神社では、境内に神楽殿を設け、祭事のときには神楽の奉納が行われてきました。平安時代の中頃に様式が整い、発展しつつ現代にまで受け継がれています。さいたま市大宮区で武蔵国一宮として大勢の参拝者が訪れる氷川神社では、例年3月15日に「郷神楽祭」が開催されています。
神楽は「神座(かむくら)」に神様をお迎えして行う芸能で、五穀豊穣や疫病退散などの祈りが込められます。大別すると、宮中で行われる御神楽(みかぐら)と、民間で行う里神楽(さとかぐら)の2種類の神楽があります。氷川神社の「郷神楽祭」で演じられるのは里神楽です。神楽の演舞が始まる10:00の約10分前には、境内や拝殿で神職による神事が斎行されます。
定刻に舞殿で奉納される「鈴神楽」
定刻になると拝殿の南に建つ舞殿で神楽の奉納が行われます。鈴を手にして舞台の隅々を移動しながら「鈴神楽」が舞われます。
舞殿から舞台を引き継ぐ神楽殿
舞殿での「鈴神楽」は10分前後で終了しますが、11:00前後からは舞台を三ノ鳥居の北に設けられた神楽殿に移し、数々の演目の神楽の演舞が行われます。
2022年の「郷神楽祭」で最初に演じられたのは「巫女舞」です。巫女の優雅な舞いによって舞台が清められるようです。
巫女に続いて順番に神楽殿で舞う「住吉三神」
巫女に続いて舞台に姿を現すのは「住吉三神」です。海の神とされる三神は伊邪那岐命(いざなぎ)が、黄泉の国の穢を洗い清める禊を行ったときに産まれました。水表に「上筒之男神(うわつつのおのみこと)」、瀬の流れの中間に「中筒之男神(なかつつのおのみこと)」、瀬の深い所に「底筒之男命(そこつつのおのみこと)」が誕生しました。
神楽の「住吉三神」では、水表から水底に向かって「上筒之男神」、「中筒之男神」、「底筒之男命」の三神が順に荒波を鎮めていきます。「上筒之男神」は、「翁の舞」、「剣の舞」、「鈴の舞」を舞い、「中筒之男神」は「奉幣の舞」を舞い納めます。最後に黒尉の面をつけた「底筒之男命」が「波の舞」を舞います。2枚の扇を巧みに動かして金波銀波を表現しながら、航海の安全を祈願します。
「住吉三神」によって静かな波が水面を漂うようになると「三番叟」が舞われ、五穀豊穣が祈られます。歌舞伎や文楽で演じられることも多い「三番叟」が、神楽で舞われると異なった趣を感じることができることでしょう。
神楽殿で「八岐大蛇」を退治する主祭神「須佐之男命」
約30分の「住吉三神」、「三番叟」が終了すると10分あまりの休憩に続いて、「八岐大蛇(やまたのおろち)」が演じられます。大蛇を退治する「須佐之男命(すさのおのみこと)」の物語です。出雲国に暮らす「足名惟(あしなづち)」は「八岐大蛇」に苦しめられていましたが、「須佐之男命」の提案に従って大蛇に飲ませる毒酒を作ります。
「足名惟」が毒酒の壺を草村に仕掛けると、「八岐大蛇」が現れ毒酒を飲み干し、酔い潰れてしまいます。
毒酒が体に回ると「八岐大蛇」は寝入ってしまいます。そこに「須佐之男命」が姿を現し、「八岐大蛇」を十拳の剣で退治します。氷川神社で主祭神として祀られる「須佐之男命」をテーマとする神楽は約30分の舞台でした。
神楽の伝統を守り続ける氷川神社
氷川神社では古くから神楽の奉奏が盛んに行われてきました。江戸時代の1789年には、徳川幕府の命を受け、五穀豊穣を祈り神前で神楽の奉納を行いました。19世紀の文政年間には、社頭で永代太々神楽の舞いを行い、8000人ほどの人々が見守ったという記録もあります。神楽殿の北に隣接する額殿には、神楽の奉納を記した額が数多く残されています。
さいたま市大宮区の氷川神社では、例年3月15日に「郷神楽祭」が開催されています。2022年には、舞殿で「鈴神楽」の奉納が行われた後、神楽殿で「巫女舞」、「住吉三神」、「八岐大蛇」などの神楽の舞いが演じられました。