鳥取県鳥取市の賀露港には、およそ1250年前に、学者・役人であった吉備真備(きびのまきび)が、遣唐使から帰国する際、嵐に遭って賀露沖の小島に漂着し浜の住民に救出された、との伝説がある。真備公(まきびこう)没後、賀露神社ではご祭神として祀られてきた。
ホーエンヤ祭は、その漂着伝説に基づき2年に一度、4月29日に行われる、賀露神社の例大祭である。船渡御(ふなとぎょ)、圧巻の約200人による練り歩き行列、この地方独特の麒麟獅子舞などがいっぺんに見られる、とても魅力的な祭りだ。2016年4月29日に、この大祭を見てきた。
祭りの流れの紹介
大祭の4〜5日前、身を清めた麒麟獅子役の若者たちがきりもみ式で火をおこす「もみ火神事」がある。この火は祭礼で使われるが、かつては氏子たちが持ち帰り、種火として一年の家事を行ったそうだ。(この神事は大祭のない年も行われる)。
また大祭の前夜の「夕宮祭り」では、麒麟獅子と幟(のぼり)を背負った武者行列、巫女舞の奉納がある。
いよいよ大祭の朝を迎えると、麒麟獅子一行は港で身を清め、お祓いを受けて巡行へ、武者と殿様の行列も、地域を巡行する。
昼頃、神社の下の大通りで、うちわを手にしたの浴衣姿の小学校高学年女子による盆踊りが行われる。残念ながら見損ねたが、後日放送されたテレビ番組によると、この時に踊られたのは鳥取しゃんしゃん祭りでも踊られる、北島三郎の「平成鳥取音頭」だそうだ。
その後、小学5〜6年生男子による大名行列から宮入りが開始する。
「にわか」と呼ばれる歌舞伎風メイクに大漁旗をリメイクした衣装の若者たちが榊(さかき)を曳いて宮入り、中高生による鉾(ほこ)、小学生のこども神輿、40人が担ぐ大神輿など次々と宮入り、麒麟獅子が奉納舞をする。
神社下で待機していた船神輿(ふなみこし)を先頭に、港の御旅所(おたびしょ)へ向けて行列の練り歩きを始める。船神輿は、江戸時代の廻船問屋が1/5スケールで作って奉納した北前船で、かつては「船曳き唄」を唄いながら引っぱった。
「ホーエンヤ」という祭りの呼び名は、船曳き唄の囃子言葉からついた。元々は真備公を奉曳(ほうえい)したからだ、「蓬莱(ほうらい)」から来た、など諸説ある。
巡行行列は、台船(だいせん、運搬などに使われる平らな船)にギュウギュウに乗り込む。
台船前の御旅所で、巫女による舞の奉納と麒麟獅子舞が行われ、儀式の行われた後、海上渡御が始まる。台船の上でも麒麟獅子は舞ったらしい。台船はモーター付きの舟が曳航していた。
台船の周りを、4艘のホーエンヤ船と呼ばれる手漕ぎ舟がとりまいて進む。各自舳先に音頭取りの幼児を1人載せ、「にわか」たちが漕いでいくのだが、漕ぎ手が酔っていて進まず、囃し立てられている舟もあった。
港の次の御旅所へ渡御の一行が着いたら、順に下船し、再び浦安の舞と麒麟獅子舞が奉納され、獅子は走って巡行に戻り、他の隊列もそれぞれのルートで夕方の宮入りへ向け、町内の巡行を続ける。
夕方、行列が神社付近に集結し宮入り、最後の獅子の奉納舞が行われて祭りが終了するのだが、残念ながら夜の宮入りの実物は旅程の関係で見られなかった。最後の宮入りでの麒麟獅子の奉納は、さぞかし熱狂的だっただろうと思う。
麒麟獅子舞と猩々(しょうじょう)について
ホーエンヤ祭で活躍する「麒麟獅子」と、その先導役を演じる「猩々」について、少し説明しよう。
日本全国を見ると、獅子舞の主役となる動物は、ライオン以外に、鹿、猪、虎、龍、熊と様々ある。鳥取東部因幡地方に伝わる獅子舞では、圧倒的に麒麟が主役で、休止した獅子舞も含めると200頭弱も存在するらしい。
鳥取県の麒麟獅子舞は、通説では、1652年に初代藩主池田光仲が因幡東照宮(現鳥取東照宮)を建てた祝い行列で舞わせたのが始まりとされる。
ここで麒麟が獅子舞に選ばれた理由は、王が思いやりある政治を行う時に現れるという中国の伝説からで、また光仲は能を好んでいたため、獅子のお供を能によく出る「猩々」にした、と一般には伝えられている。
しかし、参考にした鳥取県教育委員会事務局文化財課『「因幡の麒麟獅子舞」調査報告書』によると、麒麟に似た獅子頭は江戸中期の絵図に登場するものの、獅子頭に対して「麒麟」という呼称を使ったことが確認できる最古の記録は、明治33(1900)年で、今のように爆発的に獅子が増えた時期自体が、明治以降だそうだ。
鳥取の麒麟獅子舞の源流である、日光の東照宮祭は武士の祭礼であり、武家が大事にした能のうち、祝い席の二大演目「石橋」の獅子と、「猩々」の猩々が結びついたという説もある。
そもそも賀露ホーエンヤ祭は、祭りの開始時期も不明で、麒麟獅子の起源についても何が本当かはわからないのが、ミステリアスで面白い。一般に猩々の赤色や、獅子の噛む動作には、疫病除けの意味もあって、コロナ禍の今にも通じるお祭りだと思う。
たいていの麒麟獅子の獅子頭は「眠り獅子」と言って目を閉じているけれど、賀露神社の麒麟の目はクリっと開いている。丸顔と短めの角周りにピンクの布を巻いているのも可愛らしい。雌だそうだ。
賀露神社の獅子は、頭役と後ろ役の2人がそれぞれ別方向に動き、後ろが胴布をバサバサ動かし続けるのが特徴で、獅子舞に合わせたお囃子の四拍子も、他地区の麒麟獅子とは全然違うようだ。
「ドンゴドンゴ」と呼ばれるこの神社ならではのクライマックスでは、激しく地面を踏み鳴らし大地の悪霊を鎮める動きをする。
私が今までに見たいくつかの獅子舞の中で、一番激しく舞い、かつ巡行が過酷な獅子だった。要所要所で一回20分の奉納舞をしながら、一日に約50軒の氏子宅を巡行する。しかも、法則はあるのだろうけれど、一筆書きではない行ったり来たりのルートだった。
赤い隊列が港町の起伏に富んだ路地を疾走する姿は、5年後の今も鮮やかに思い出される。
獅子舞奉納は毎年あり、秋祭でも行われている。また、お隣の上小路神社でも同じ日に麒麟獅子の巡行があるらしく、偶然すれ違うシーンも目撃した。
この祭りには、若者の通過儀礼としての側面があって、小学生で武者行列、中高生で鉾や幟武者行列をし、もみ火神事と過酷な麒麟獅子を経て、晴れて大人として認められる。
麒麟獅子が上を向いた時掛けられる、「オセヨー」という言葉が、立派な大人になったという意味になっている。
終わりに
この祭りを通して見て印象に残ったのは、一番は麒麟獅子の巡行のすさまじさと、それをねぎらい立派な成人となったことを口々に祝福する「オセヨー」という掛け声だった。
子供から大人までそれぞれに複雑に組み立てられた役割があり、皆が懸命にこなしそれぞれに温かくねぎらわれていた光景、晴れ晴れとした衣装や舞の美しさなどが、ただただまぶしかった。これこそが祭りの醍醐味だと思った。
2020年、2021年とホーエンヤ祭は開催されなかったようだ。安全に行える世になるよう切に祈る。
<参考文献>
・鳥取県教育委員会事務局文化財課『「因幡の麒麟獅子舞」調査報告書』(2018.3.30)
・(財)みなと総合研究財団「港別みなと文化アーカイブス」における賀露神社宮司
・岡村吉彦氏「賀露港(鳥取港)の「みなと文化」」(2012.1.12)
・「日本遺産「麒麟のまち」 日本海の風が生んだ絶景と秘境 幸せを呼ぶ霊獣・麒麟が舞う大地「因幡・但馬」
・「鳥取県伝統芸能アーカイブス 麒麟獅子舞」
・賀露神社公式ホームページ
・柴山慧、小河浩、朝倉和、山下航正、 木下恵介、岸拓真、中道豪一、御堂渓、慶川源将「 日本国内における櫂伝馬」広島商船高等専門学校紀陽(2017年第39号)
・ダイドーグループ日本の祭り 提供『地域創生の船行列~賀露神社ホーエンヤ祭~』TSK山陰中央テレビ、2016年放送
<賀露神社のご案内>
ホームページ:http://karojinjya.jp/index.php
住 所:鳥取県鳥取市賀露町北1-21-8
ア ク セ ス:鳥取駅から路線バスhttp://www.nihonkotsu.jp/bus_local/tottori/index.html
①0番乗り場発車 ループ麒麟獅子線 砂丘・賀露経由 鳥取駅行き乗車50分、賀露神社前(賀露町)バス停下車 徒歩5分
②5番乗り場発車 日ノ丸(東部)バス 賀露循環線 賀露・湖山経由 賀露行き乗車30分、神社裏バス停下車 徒歩10分