令和3年2月2日に東京都中野区の宝仙寺で行われた「節分会 柴燈大護摩供」に参加しました。宝仙寺は西新宿に近い地下鉄メトロ中野坂上駅の近くにあります。丁度ビル街から住宅街に入ったあたりですが、堀越学園が近くにあったり、著名人の葬儀が行われたりすることで有名なお寺となります。元々は中野町役場があったりと、地元の人からも愛される場所であり、そのような宝仙寺で行われた節分会 柴燈大護摩供に参加しましたのでレポートいたします。
節分会 柴燈大護摩供とは?
宝仙寺では節分の行事として行われる柴燈大護摩供(さいとうおおごまく)。
柴燈大護摩供を調べてみたところ善通寺のHPによれば、
「護摩供とは、不動明王などを本尊とし、護摩木を焚いて加持祈祷する密教の秘法です。柴燈大護摩供は、屋外で行う大がかりな護摩祈祷で、理源大師聖宝が創始したとされます。薪を井桁に組んでヒノキやヒバの葉で覆った護摩壇を築き、その周りにしめ縄で結界を定めます。山伏姿の行者が入壇し、法斧や法弓・法剣で結界内の邪悪なものを一掃し道場を清浄にします。そして、誓願の読誦(どくじゅ)ののち壇に火が入ります。真っ白な煙がもくもくと立ち上がり、やがて激しい炎によってあらゆる病苦や煩悩が滅されるのです。壇には参拝の方々の願いが込められた護摩木も投入され、炎の高さは数メートルにも達します。」
とされております。
また今年の節分は少し特殊で、例年であれば2月3日となるところが、2月2日となりました。節分は立春の前日のことを指し、例年の立春は2月4日ですが、今年は2月3日となりました。理由としては、地球が太陽を1周する時間は365日丁度ではなく、6時間程度長く、それにより毎年少しずつ地球の位置がずれていき、立春も2月4日になったり3日になったりするようです。
朝日新聞 デジタル参考:https://www.asahi.com/articles/ASP1Z630MP1YULBJ00S.html
明王山宝仙寺の由緒
宝仙寺によると、平安後期の寛治年間(1087~94)源義家によって創建され、帰京の途中にあり護持していた不動明王像を安置するための一寺を建立したそうです。父頼義がかつて祭祀した八幡社のある阿佐ヶ谷の地でこの造寺竣成の時、地主稲荷の神が出現して義家に一顆の珠を与え「この珠は希世之珍 宝中之仙である是を以って鎭となさば 則ち武運長久 法燈永く明かならん」と言いおわるや白狐となって去り、これにより山号を明王山、寺号を宝仙寺と号したと伝えられているそうです。その後、室町時代には中興第一世聖永が現在の地に寺基を遷したとのことです。
炎舞い上がる柴燈大護摩供の様子
宝仙寺の入り口はこのような感じです。
受付があり、ここで護摩木等を購入します。
ライターは護摩木を購入し、祈願文を記入します。全然祈願文ではありませんが、伝統行事に関する感謝の念を込めたつもりです笑
本堂から僧侶が柴燈大護摩供へと向かい儀式がはじまります。
火が着き、炎が燃え上がっていくに連れ、お念仏等も盛り上がって行きます。
いよいよ炎の中に、先程記載した護摩木を投入します。いささか名残惜しいような気もしましたが、直ぐに燃え上がりました。
明王山宝仙寺の節分会に参加して
柴燈大護摩供には初めて参加しましたが、とても盛り上がる行事で驚きました。お念仏と和太鼓の音が、燃え上がり火の粉を上げる景色を盛り立てます。今年は新型コロナ禍の影響で、豆まきや僧兵行列は中止とのことでしたが、是非コロナ明けには見てみたいと思いました。
僧兵行列は練り歩きの行事となるようですが、かつて宝仙寺の建物は昭和20年の戦禍により焼失。寺の復興の為に昭和26年頃より本堂の再建を行っていた際に、かつて僧兵が用いていたであろう遺物が発見され、節分の行事にあわせて僧兵行列を行う復興記念行事のようです。早く新型コロナの感染拡大が収束し、例年通りの柴燈大護摩供が戻ってくることをお祈り申し上げます。