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土佐の小京都の「いちじょこさん」150年以上続く一條大祭を現地からレポート!

2023/11/30
2023/11/30
土佐の小京都の「いちじょこさん」150年以上続く一條大祭を現地からレポート!

こんにちは!高知生まれ高知育ちのAyakaです。今回は四万十市で一説には「高知三大祭り」の一つといわれている盛大なお祭りがあるということで、実際に行ってきました!

その名も「一條大祭(いちじょうたいさい)」。地元の方には「いちじょこさん」という愛称で親しまれている、四万十市中村の一條神社で開催されます。高知の西南部は幡多(はた)地域と呼ばれていますが、一條大祭は幡多地域の秋祭りの締めくくりです。

「土佐の小京都」四万十市中村へ

高知県って横に長くて、移動は結構大変なのですが、高知市からJRを使えば四万十市中村までは一本で行くこともできます。

高知から中村までのJRの切符

四万十市中村はどんな町かというと、高知県の西南部に位置するこの地域の中心都市です。2005年に元々の中村市がお隣の村と合併して四万十市となったので、高知県民には「中村」といえば大体通じます。(o^^o)

中村が「土佐の小京都」と呼ばれるのには理由があります。そもそも「小京都」とは、何となくイメージはあるかもしれませんが、古い街並みや景観が京都に似ていることから名づけられる、街の愛称です。

実は「小京都」と公式に名乗るには、「全国京都会議」というものに加盟しなくてはいけないそうです。加盟するためには
①京都に似た自然景観、町並み、たたずまいがある
②京都と歴史的なつながりがある
③伝統的な産業、芸能がある
上記3つのうち1つ以上当てはまらなければいけません。しかし、何とここ中村は、全ての条件を満たしています。

中村が小京都と呼ばれるようになった、その始まりは室町時代にさかのぼります。
応仁2年(1468年)、元関白の一條教房(のりふさ)は応仁の乱の戦火を避けるため、一條家の荘園があった土佐幡多荘に京から移り住みました。そして中村に中村御所を構え、その後4代にわたって治めました。

都を懐かしみ京に見立てて造られた中村の街は、碁盤の目状に広がり祇園、鴨川、東山などの地名がつけられました。残念ながら昭和21年(1946年)の南海大地震で昔ながらの街並みはほとんど残っていませんが、碁盤の目状の街路や地名、清流などの風光明媚な景観に古都の面影やたたずまいを感じることができます。

四万十市観光案マップから抜粋四万十市観光案内マップより。碁盤の目の街並みが残っています

中村を発展させた土佐一條氏はとても慕われており、戦国時代には土佐を追われましたが、文久2年(1862年)に中村御所の跡地に歴代当主の霊を祀る一條神社が建立されました。

そしてこの一條神社で行われているのが「一條大祭」で、毎回、一條氏ゆかりの京都の下鴨神社から御神火をいただき奉納されています。

御神火

この御神火をいただくため昭和57年(1982年)に京都を訪れた際、京都の観光協会を表敬訪問したことが一つのきっかけとなり、その3年後に「全国京都会議」が発足したそうです。

全国に「小京都」と呼ばれる街が生まれる背景に、その先駆けのような存在として「土佐の小京都・中村」があったというのは驚きですね。そんな歴史が詰まった一條神社で行われる「一條大祭」も、土佐の地でも花開いた雅やかな京文化の名残と風情を感じさせてくれるものでした。

ではここからは、お祭りのレポートをお届けします!

さすが「土佐三大祭り」露店の多さにびっくり

一説によると仁淀川町の秋葉祭り、中土佐町の久礼八幡宮秋季大祭と並び「土佐三大祭り」の一つと称される一條大祭。ほかにも名前が挙がるお祭りがいくつかあるのですが(笑)、江戸時代末期から150年以上続いている一條大祭は、地元の方にとってなくてはならないお祭りであることは間違いないでしょう。

毎年11月に3日間開かれるお祭りで、筆者は2日目に行ったのですが「少なくとも地元の小学生はもれなくお祭りに繰り出しているのでは?」というほどの賑わいっぷりでした。

屋台の様子

一條神社の前の通りから商店街にもずらりと露店が並んでいて、目移りしちゃいました。

屋台の様子(商店街内)

スーパーボール掬いや射的、かたぬきなどのゲーム屋台から定番のお祭りグルメまで、関東ではあまり見かけない「はしまき」や、地元のお店が出している屋台もありました。

はしまきの屋台

私もせっかくなので、地元色の強い食べ物をゲット!

地元のお店の屋台です。ここであげもちをゲット!

境内では、神楽や太鼓など芸能の奉納も

駅から向かうと、屋台が並んでいる途中、商店街に入る直前の右手側に一條神社への入り口があります。境内へ向かう階段には地元の小学生が描いた灯籠が飾られていました。

地元の小学生が描いた灯籠

屋台をまわるだけじゃなく、皆さんきちんとお参りもされていきます。私が行った2日目は体感で14時くらいが一番お参りに並んでいる人が多かったです。

お参りの行列

また、境内の舞台では、神楽の奉納が行われていました。
幡多神楽の「稲荷・大国の舞」に登場した大国主の神は、手にしている打出の小槌から飴を出して子どもたちに配ったり、観客に向かって投げたりとサービスも。観客は「幸せの飴ちゃん」がもらえたと盛り上がっていました。

幡多神楽に登場する大国主の神大国主の神。打出の小槌を持っています

他にも境内では「一條太鼓」が披露され、その迫力で人々を圧倒していました。

一條太鼓

午後からは祭りの目玉!稚児行列に歓声

さて、そんなこんなでお祭りを楽しんでいると、雅な音楽とともに稚児行列がやって参りました。小京都・中村の京文化の名残と風情を最も色濃く感じられる場面です。

一條神社より少し西、四万十川の近くにある須賀神社(地元では祇園さんと呼ばれています)から、50人ほどの子どもたちが雅な衣装を纏って約1キロの道のりを歩いてきます。

稚児行列

私はゴールの一條神社で待っていましたが、最後まで元気いっぱいな子に疲れて抱っこしてもらっている子と、それぞれみんな可愛かったです。境内にいた方々も「おつかれさま〜」と言いながら笑顔で迎え入れていました。

ちなみに稚児行列は15時半頃に一條神社へ到着との予定でしたが、今年は15時過ぎには全員ゴールしていたので、遭遇したい方は早めに来ておくことをおすすめします。

町をあげてのお祭り!スポーツ大会なども同時開催

一條大祭は土佐三大祭りの一つと言われるだけあって、私が行った2日目の昼だけでもとても賑わっていました。また、お祭りに合わせて野球、剣道、弓道大会なども市内の各地で行われます。

駅から神社に行く途中にあったお店でも駐車場に屋台が出ていたりと、町中でお祭りを感じることができました。

少し時間があったので、四万十川にかかっている橋を途中まで渡ってみました。その時もたくさんの子どもたちがワクワクした顔でお祭りへと向かっていくところとすれ違って、こちらまで元気をもらっちゃいました。

赤鉄橋から見た四万十川赤鉄橋から見た四万十川の景色です。中村は四万十川の下流にあたります

私も今回初めて四万十市中村に来たのですが、祭りと歴史と文化をたくさん感じることができました。また今度は歴史資料館に行ったり、商店街のお店をゆっくり散策してみたいですね。

そして一條大祭の他にも、土佐一條公家行列が練り歩く「藤祭り」や、十代地山が赤く燃え上がる「大文字の送り火」など、京文化を体感できるお祭りがまだまだあるそうですよ。

皆さんもぜひ「土佐の小京都」四万十市中村へ遊びに来てみてください!

ではまた♪

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