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祖父母の住んでいた地で盆踊り大会を再び! 地元にUターンした盆踊ラー女性が成し遂げた復活劇

2023/10/27
2024/3/5
祖父母の住んでいた地で盆踊り大会を再び! 地元にUターンした盆踊ラー女性が成し遂げた復活劇

キービジュアル写真:ジンボラボ

長年住んでいた東京から地元にUターンし、祖父母の住んでいた地で途絶えていた盆踊りを復活させた方がいらっしゃいます。舞台となるのは、新潟県南魚沼市。祭りの発起人である大谷彩子さんは、地域の方とはほとんど面識がない状態からたくさんの協力者を巻き込み、短期間で祭りを立ち上げました。

その誕生ストーリーを、主催者に伺いました。

子どもの頃に神社で踊った記憶がよみがえり…

新潟県南魚沼市は米どころ、酒どころとして知られる町。田んぼと山々が広がる盆地で、夏は暑く、冬は寒い地域。世界有数の豪雪地帯としても知られ、スキーなどの冬レジャーは南魚沼の一大産業です。東京から新幹線でおよそ90分というアクセスの良さも売りとなります。

稲穂が揺れる、南魚沼市の秋風景 写真:大谷彩子

東京から近いということもあり、南魚沼の若者の多くは、大学進学や就職のタイミングで東京に出てしまうのだとか。大谷さんも例に漏れず、高校卒業後に東京へと上京します。

そんな大谷さんが地元・南魚沼に関心を寄せるようになったのが2017年こと。南魚沼の大木六という町に住んでいた祖父が病気で体調を崩してしまいます。

「ちょうど私も、田舎暮らしとか、農業とかに興味が出てきた時期だったので、おじいちゃんがまだ元気なうちに、畑のこととかを教えてもらおうと思ったんですね。そこからおじいちゃんの家に行く頻度が増えて、二拠点生活のようになってきました」

大谷さんの祖父の畑 提供:大谷彩子

祖父はその年中に亡くなってしまいますが、郷土への思いは大谷さんの中でますます大きくなっていきました。そこで思い出されるのが、子どもの頃に、祖父母の家の近所で体験した盆踊り大会の光景。

「幼稚園か小学校の時に、近くの神社(木六神社)で踊った記憶がうっすらと頭の中に残っているんですよね」

近所の人に聞いてみると、確かに神社で盆踊り大会を開催していたそうですが、20年ほど前からやらなくなってしまったとのこと。その事実が、大谷さんの心に火をつけました。

「おじいちゃんとおばあちゃんの家も好きだったし、よく遊びに行った神社だったので、そこのお祭りがなくなってしまったのは寂しいなと思って。また、あのにぎやかな光景を見たいと思って、盆踊り大会を復活させようと動きはじめました」

実は大谷さんは、東京に住んでいる時に盆踊りにハマり、全国各地の盆踊り大会に足を運ぶほどの盆踊り好き。郷土への思いと、盆踊りを愛する心が結びついたことが、大谷さんの原動力となりました。

盆踊りを楽しむ大谷さん 提供:大谷彩子

糸が交差するように、人の交わる場を作りたい

盆踊りを復活する上で、「地縁」のないことが最初に立ちはだかった壁となりました。大谷さんが生まれ育ったのは南魚沼市の中でも六日町という地域で、祖父母の家がある大木六に、知り合いはまったくいません。いくら孫という立場とはいえ、地域の神社で祭りをいきなり立ち上げるには、ハードルが高すぎたのです。

そこで大谷さんがとったのは、ゼロからの売り込み。盆踊り大会の企画書を作り、東京で開催される新潟県の県人会で配りました。さまざまな地域の有力者と名刺交換をし、顔と企画を売り込んでいきます。

「いきなり、(南魚沼の)市長に声をかけて(笑)、実はこういうことがしたくて、と説明して。もちろん、そんな企画ダメだよという方は一人もいなくて、がんばりなよという感じで、応援の言葉をかけてもらえました」

県人会に限らず、神社の近くにある保育園に飛び込んで、園長先生に話をするなど、地元関係者へもアプローチしていきました。特に当時、大木六の区長を務めていた方との出会いは、大きなターニングポイントとなりました。

「その区長さんは、私が通っていた小学校の元教頭先生で、めちゃくちゃ顔が広くて、動ける方なんですよ。
裏でいろいろと根回しをしてくれたり、それをやりたいならこの人に声をかけたらいいよとピンポイントで教えてくれたり…一回目の『糸と糸盆踊り』は、そういったご縁によって開催できたというところもあるので、地域のキーマンとなる人に声をかけるのは重要だなと思いました」

ある程度人脈が広がってきたところで、大谷さんは祭りの賛同者に声をかけていき実行委員会を立ち上げます。

盆踊り大会のコンセプトや、コンテンツは大谷さんが中心になって考え、他の実行委員会のメンバーは実働部隊として、出店を担当する人、盆踊りの太鼓を叩く人、抽選会を担当する人など、役割を振り分けて動いてもらいました。

提供:大谷彩子

祭りを作り上げていく中で、大谷さんは特にコンテンツ作りに苦戦します。

「葛藤はありましたね。私自身が、盆踊り好きなので、踊っていれば満足というタイプなんですけど、盆踊りだけだと、周りがついてきてくれるか心配だったんですよ。
もっとたくさんの人を巻き込める仕掛けを作らなければいけないなと思って、キッチンカーを出店したり、抽選会や民謡ライブを企画したり、盛りだくさんの内容としました」

お祭りに多様な人を巻き込んでいきたいという思いは、「糸と糸盆踊り」という名前にも込められています。

「南魚沼は養蚕や機織りが盛んだった地域で、南魚沼に実際にある巻機(まきはた)山という山から、機織り姫が降りてきたという民話も伝わっています。木六神社も機織りの神様を祀っていて、昔の人は機織りをすると木六神社に奉納していたそうです。
私も盆踊りで着物を着る機会が多いので、そういうストーリーや文化は大事にしていきたいなと思いました。『糸と糸盆踊り』も、糸と糸が交わるように人が交わり合って大きな輪を作りたいという思いから名付けました」

提供:大谷彩子

当初は「木六神社盆踊り」など、シンプルな名前を考えていたようですが、地域名を入れずにあえて「糸と糸盆踊り」としたのは、大木六に住む人だけでなく、より広い範囲の人たちにも参加してもらって、みんなで作っていく盆踊りにしたいという狙いもありました。

地域の人という縦糸と、地域の外にいる人という横糸がクロスする場を、大谷さんは理想の盆踊りと考えたのです。

関わる方みんなが納得できる形での開催

半年間と少しの限られた準備期間でしたが、予定通り、2018年9月に「糸と糸盆踊り」の一回目が開催。雨予報により、当日は体育館での開催となりましたが、南魚沼の小さな村に400人ほどが詰め掛けるという大盛況となりました。

第一回目の糸と糸盆踊り 提供:大谷彩子

「思った以上に来ていただいて、ビックリしましたね。地元の方々も最初は、そんなに集まらないんじゃないの?と、前向きなことを言う人は少なかったんですけど、実際にやってみると、噂が広がっていたのか、どんな感じなのか様子を見に来てくれるんですよね。
おじいちゃんおばあちゃんも踊ってくれたし、事前講習会をしていたので、子どもたちもけっこう遊びに来てくれて。いろいろな世代の方が輪に入って、一つの輪になれたというのは嬉しかったですね」

地域の人だけでなく、地域外の人も数多く参加。また、外国人が通う南魚沼の国際大学で10人限定の盆踊りツアーを募集したところ、すぐに募集枠が埋まり、外国の方にも異国の郷土文化を楽しんでいただけたそうです。

国際大学の皆さんと 提供:大谷彩子

成功を実感するとともに、さまざまな課題も見えてきました。大谷さんにとって大きな気づきとなったのは、「祭りの裏方」という役割の重要性です。

「細かい根回しは区長さんがすべてやっていてくれたので、裏側で何が起きているか全然把握できていなかったんですよね。
これは後になってわかったことなんですけど、例えば協賛金を集めるために依頼文やお礼状を書いたり、会場の近所の方々にご迷惑をおかけしますと挨拶まわりをしたり…。イベント運営をする中で、やっぱり『企画』の部分が一番楽しく感じるんですけど、地域の人に話を通したり、裏での地道な仕事が大事なんだなと気づくことができました。
狭い地域なので、みんなが納得できる形で開催できるのがいいと思うんですよね」

新しい文化が生まれる土壌としての祭り

コロナ禍での中断を挟みながらも、2023年9月には4回目の開催を果たした「糸と糸盆踊り」。過去最高の約500人という来場者数を記録したそうですが、今回は特に若い世代がたくさん足を運んでくれたことを実感したと、大谷さんは言います。

提供:大谷彩子

提供:大谷彩子

「東京の大学で地域学を学んでいる学生さんが地域おこし協力隊みたいな形で入り込んで、準備から片付けまで手伝ってくれたんですよね。また、その学生のつながりで、地元の高校生も来てくれて。盆踊りって子どもやおじいちゃんおばあちゃんには来てもらえるんですけど、中高大学生って一番取り込むのが難しい世代なんですよ。

それで私は、その高校生に10分間、時間をあげるから何でもいいからやってみてと言ったんですね。そしたら、めちゃくちゃ最高なガチのオタ芸を披露してくれました(笑)。これからも、面白い若者をどんどん巻き込んで、いろいろな世代が活躍できる場にしていけたらいいですね」

オタ芸の様子 提供:大谷彩子

祭りを続けていく中で、大谷さんはこの盆踊りをどのようにしていきたいのか?「糸と糸盆踊り」の未来について質問をすると、「自分でもどうなるのかわからない」という意外な答えが返ってきました。

「『こういう祭りにしたい』と決めないようにはしていますね。あまり私が決め過ぎてしまうと、我が出ちゃって、自分がいいと思ったことを押し付けてしまう形になってしまうし、なりより自分の想像を超えていくことができないじゃないですか。
私の力だけでは祭りを続けていくには限界があるので、いろいろな人の『あれやりたい』『これやりたい』という意見をどんどん採用していきたいと思いますね。結構、なんでも受け入れていく方針というか、それだとカオスにはなっていくと思うんですけど(笑)」

変化をいとわず、若い人たちが新しい文化を生み出していく土壌を作っていきたい、大谷さんの言葉からは、そんな熱い思いが感じられます。

「歴史的に『文化』というものは、新しく生まれて、その土地に定着して、またそこから新しい文化が生まれて、ということをずっと繰り返してきたのではないでしょうか。
『糸と糸盆踊り』を体験した子どもたちが大人になった時、新しい何かを生み出してくれたら嬉しいですし、祭りを続けていく意味はそこにあるんじゃないかと私は思っています」

大谷さんの原点にあるのも、子どもの頃、祖父母に連れられて神社で盆踊りをしたという記憶。大昔から連綿と続く文化の新陳代謝を絶やさず続けていく、そういった試みもまた「文化の継承」と言えるのではないかと、「糸と糸盆踊り」についてお話を聞く中で感じました。

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