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青森の「弘前ねぷたまつり」。中止だからこそ楽しむ「城下の美風」とその思い

更新日:2024/3/8 工藤 健
青森の「弘前ねぷたまつり」。中止だからこそ楽しむ「城下の美風」とその思い

青森の夏祭りといえば「ねぷた・ねぶた」。青森県内にはエリアごとに大小40以上もの「ねぷた・ねぶた」の祭りが行われ、国内のみならず海外からも多くの観光客が訪れます。中でも約300年もの歴史があり「ねぷた・ねぶた」の発祥とも言われる「弘前ねぷた」は、扇型のねぷたが主流で町会や地元の有志らによって結成した団体によって合同運行が行われることが特徴です。

今年は新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、「弘前ねぷたまつり」の合同運行は中止。弘前市などで組織する弘前ねぷたまつり運営委員会では「城下の美風」と題し、街角に金魚ねぷたや角灯籠を飾るといった取り組みを行い、例年にはない街の風景が見られるようになりました。今回お話をお聞きした高橋紋章染工場の高橋勝良さんは約40年ぶりに加筆・改編した「弘前ねぷた本」の制作にも携わった「ねぷた・ねぶた」を深く知る人です。「弘前ねぷた」の長い歴史を振り返りつつ、新たに取り組む「城下の美風」についてお伺いしました。

1.合同運行がねぷたのメインではない

「ねぷたはそもそも町会といった地域のコミュニティ単位で実施していたもの。合同運行が本来の目的ではなかった」と高橋さんは指摘します。歴史を紐解けば、「弘前ねぷた」の合同運行が始まったのは1914(大正3)年。団体同士の喧嘩(喧嘩ねぷたとも言われた)を防ぐため、警察が管理するようになったことが始まりとされています。合同運行はいつしか「ねぷた・ねぶた」の主な行事となりました。


1955(昭和30)年の撮影された弘前ねぷたまつりの様子(撮影:長部誠)

現在の形で「弘前ねぷたまつり」が開催されるようになったのは1957(昭和32)年から。過去に「弘前ねぷたまつり」の合同運行が開催前から中止となったのは戦時中のみ。1937(昭和12)年から終戦する1945(昭和20)年までの間で、ねぷたの運行は中止もしくは自粛となっていたそうです。しかし、当時の新聞には、戦時中でも町会ではねぷたの運行をしていたといった記事が残っています。

高橋さんは「実は、ねぷたまつりの最終日にあたる8月7日が重要な日。『なぬかび』と言い、祓(はら)いをねぷたと共に流し、身を清め、盆に先祖を迎える準備をする日」と話します。つまり、ねぷたまつりは夜に灯籠などを持って練り歩く行事ではあるが、あくまでも「なぬかび」の前夜祭のような位置付けでしかないと言います。


高橋勝良さん

2.ねぷたは毎年ではなかった?

ねぷたは、その年の事情によって運行しない団体も多くあります。例えば、りんご農家に甚大な被害をもたらしたりんご台風の翌年にあたる1992(平成4)年は、りんご農家の多い町会では合同運行への参加はありませんでした。また、高橋さんによれば、1年おきに合同運行に参加していた団体があったり、合同運行には参加せず町会だけの運行を行ったりする団体もあったようです。

運行しない団体が行っていたのが、角灯籠と呼ばれる手持ちねぷたや金魚ねぷたを軒先に飾るという風習。「40、50年前までは合同運行に参加しない町会では飾っていた。近年でもお盆に角灯籠を飾っていた町会もあった」と高橋さん。夕涼みながら、街並みを彩る角灯籠を見た記憶があると振り返ります。

さらに高橋さんは、運行するねぷたの写真は多く残っているが、街中に飾られた角灯籠や金魚ねぷたの写真はほとんどないと言います。今のように簡単に写真を残せるような時代ではないため、当然のことながらねぷた自体の写真は多くあるが、街に飾られた角灯籠などは人々の記憶にしかありません。


土手町通りに設置された金魚ねぷた。約200個が並ぶ

3.「城下の美風」実施に向けて

「弘前ねぷたまつり」が中止となり、弘前市では市民や企業が祭りに代わるさまざまな取り組みを実施するようになっています。弘前ねぷたまつり運営委員会も高橋さんに意見を求め、ねぷた団体の運行が休みの年に設置していた角灯籠の話を聞くことになります。そこで形となった「城下の美風」でした。

弘前の繁華街・土手町通りに200個、弘前駅や観光施設にも200個の金魚ねぷたを設置。店の入り口などには200個の角灯籠が飾られるようになりました。土手町通りでは夜に点灯もします。金魚ねぷたは、高橋さんを中心にねぷた絵師らが制作。高橋さんは真竹による骨組みで昔ながらの製法にこだわりました。厄除といった意味がある赤色にもこだわり、ひとつひとつに思いが込められているといっても過言ではないでしょう。


弘前市役所本庁入り口に設置された金魚ねぷた

角灯籠の表面はねぷた絵師が描いたねぷた絵を飾りつけ、裏面には弘前市内の高校書道部を中心んに約100人の生徒らがメッセージを書きました。その内容は「無病息災」「ヤーヤドー」といったもの。弘前ねぷたまつりのない夏を盛り上げるため、高校生らも一役買って出ました。


角灯籠のメッセージを描く高校生たち

そのほか、今年できたばかりの市民中央広場には、24本の「フットライトねぷた絵」を設置。実際のねぷた絵を使用した高さ約1メートルの筒状のオブジェで、夜になればライトアップします。新しい名所として期待が高まります。


市民中央広場に設置されたフットライトねぷた絵

4.今年のねぷたは中止となったが

津軽の夏といえば、各地にねぷた小屋が建てられ、人々が集まり手分けをしてねぷたの準備に勤しみます。どこからかねぷた囃子が聞こえ、祭りへの期待が高まるものでした。今年は物足りなさを感じる市民も多く、夏をおう歌できる楽しみが奪われた思いは計り知れないものなのがあります。

ねぷたは時代に合わせて変化していくものでした。地域から伝播してきた行事やしきたりなどが複雑に絡み、単純な要素一つ二つだけで作られていたものでもありません。合同運行や団体のあり方、開催方法も同じ。300年という長い歴史において、伝統は守られる一方、その風景は移り変わっていきました。

高橋さんは言います。「今年はねぷたが本来持っている意味や習わしを考え直すチャンスを与えられた年にしたい。街に飾られているねぷたをいったん足を止め、ねぷた文化の継承や来年に向けて準備する年にしてみてはどうだろうか」と。


2018年の弘前ねぷたまつり

高橋勝良さん

高橋染紋章工場の6代目。弘前ねぷた保存会会員で国内では12人しかいない国選択無形文化財紋章上絵保存会認定上絵師

高橋さんの一枚


(出典:弘前ねぷた本)

昭和30年代のねぷたの町会運行の様子を撮影したという写真。手持ちねぷたを持った子どもたちが先導し、奥には扇ねぷたが見える。電灯などがまだなかった時代で、早い時間から運行を始めていたことがわかる

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祭り開催情報

名称 弘前ねぷたまつり
開催場所 青森県弘前市
弘前市内
開催日 2023年8月1日(火)~2023年8月7日(月)
主催者 弘前市、公益社団法人 弘前観光コンベンション協会、弘前商工会議所
アクセス JR奥羽本線弘前駅からすぐ(駅前コース)
関連サイト https://www.hirosaki-kanko.or.jp/web/...
この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
自称りんごジャーナリスト、イギリストーストライター。津軽弁は勉強中。

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