江戸・東京の祭りといえば、筆頭に挙がるのが「神田祭」。同じく東京の山王祭と隔年で交互に開催され、西暦の奇数年の5月に行われます。今年2023年は4年ぶりの開催ということもあり、「天下祭」の異名に相応しく、海外のお客さんも交えて、大いに盛り上がりました。
神田祭というと、氏子町から大小200にものぼる御神輿が繰り出し、神田明神への宮入で一帯が御神輿と担ぎ手の威勢のいい掛け声で1日中盛り上がるというイメージがきっと強いことでしょう。
しかしそれだけではありません。期間中、さまざまな行事が行われる中で、最も盛大な神事と言われるのが神幸祭(しんこうさい)です。江戸時代を彷彿とさせる、きらびやかな装束に身を包んだ豪華絢爛な行列が東京の街を練り歩く様は、まるで歴史絵巻を見ているかのよう。
また、神幸祭の中で行われる「附け祭(つけまつり)」は江戸時代の神田祭で、最も人気があった催し。当時流行した能や浄瑠璃などを題材にした曳き物や仮装行列が、現代版となって練り歩き、今の人々も楽しませてくれます。
今回はそんな「神幸祭」に密着して、神田祭の魅力をお届けしたいと思います!
目次
まずは神田明神で神田祭限定の特別御朱印をゲット
4年ぶりの祭りに沸き立つ街。神田明神の最寄りである、御茶ノ水駅でも「神田祭」のどでかい看板がお迎えしてくれました。
祭りの起点となる神田明神に行って、まずはお参りをします。まだ朝早いせいか、人はまばら。
境内には、加茂能人形山車(魚河岸会)と、桃太郎人形山車(岩本町二丁目岩井会)が奉安されています。
加茂能人形山車は、神田祭と同様に江戸時代に「天下祭」と称された日枝神社の山王祭で、行列の十番目に曳き出されていた山車です。実物は関東大震災で焼失してしまいましたが、残っていた精巧な模型を基に昭和30年に復元されました。
神田祭限定の特別御朱印も頒布されていました。
境内には屋台がずらり。これを見ると「祭りが帰ってきたな」と実感します。
神幸祭は、早朝から行われる「御鍵渡し(みかぎわたし)の儀」「発輦祭(はつれんさい)」を皮切りにスタートします。儀式の後、行列は朝8時に神田明神を発ち、江戸の町をぐるりとめぐって、夕方に再び神田明神に戻ってきます。
今回は、その行列についていって、神幸祭を存分に堪能したいと思います。
東京の街に現れた古式ゆたかな歴史絵巻パレード
そもそも、神幸祭とは何か。神田祭というと御神輿のイメージが強いかもしれませんが、神幸祭は神輿だけでなく、バラエティ豊かな山車や、騎馬、馬車などが登場する現代でいうパレードのような祭りとなっています。
三柱の神様が乗った鳳輦(ほうれん)と神輿を中心とする豪華絢爛な大行列が、東京都心の氏子108町会を巡り、神々の力によって各町会を祓い清めます。
さらに、途中からは「附け祭(つけまつり)」の行列も加わり、行列はさらに賑やかさを増していきます。
この日はあいにくの雨模様です。しかし、降ったり止んだりを繰り返している感じで、なんとか持ち堪えてくれている印象。雨で潤ったアスファルトに鮮やかな衣装が写り込んで、それもまた綺麗です。
「一の宮 鳳輦」はさすがの迫力。だいこく様をお乗せしています。願わくば、雨よけのビニールをとった状態でも見てみたいところです。
巫女さんや市女笠(いちめがさ)が通過すると、「キレイ!」の声が沿道から上がります。
弓を持った勇ましい姿の「随神」。かっこいいですね。
驚きの声を集めたのが、馬車。馬の迫力もさることながら、和装が多い中で、馬車の御者(ぎょしゃ)だけは洋装で、一際目を引きます。
「かわいい」という声が多かったのが、諫鼓(かんこ)山車。ニワトリ?もさることながら、だいこく様と、えびす様の笑顔に癒されます。打出の小槌と鈴を手にして、人々への幸福を授けるとされています。
将軍塚を経由し、儀式と組み太鼓の演舞を堪能
道中では、各町会の方々が行列を迎え、氏子総代が献饌(けんせん。神様にお食事を献上する儀式)を執り行います。
行列を迎える、各町会の方々の嬉しそうな表情がとても印象的でした。
時に拍手が巻き起こることも。祭りの再来を、心の底から喜ばれている印象です。
大手町にある将門塚では、「奉幣の儀(ほうへいのぎ)」が行われました。
平将門の首を祀る「将軍塚」が、神田祭とどのような関係があるのでしょうか。
『神田祭 公式ガイドブック<令和五年度版>』の説明によると、もともとこの地にあった将門の塚が、延慶2年(1309年)、この塚にほど近い神田明神に合祀され、村の鎮守として人々に手厚く祀られるようになった、そんな縁があるそうです。
奉幣の儀の後は、迫力のある神田明神将門太鼓が演奏されました。
「奉幣の儀」の後、再び行列は動き出します。
日本橋の町を通過する光景は、本当に絵になります!
行列が秋葉原に差し掛かる頃には、沿道の観客の数もグッと増えます。電脳都市としての秋葉原の光景と、江戸情緒あふれる行列の取り合わせが、なんともシュールで面白いです。
附け祭や騎馬武者行列が登場し、行列はさらににぎやかに!
一行は、お昼過ぎに東日本橋で「昼御饌(ひるみけ)」の儀式を行った後、人形町を経由して、再び神田明神へと戻って行きます。午後の見所は、なんといっても神幸祭と並行して行われる「附け祭」です。
「附け祭」とは、曳き物と呼ばれた巨大なハリボテをの人形や、さまざまな衣装を身にまとい流行の音楽を奏でながら、行列に参加した踊り子などのことをいいます。ユニークな山車や、仮装をした人々が行列になって歩くこの出し物は、江戸時代においてもかなりの人気を誇ったそうです。
浦島太郎
花咲か爺さん
花咲か爺さんの山車には、これまた昔話風の仮装をした人々がついていきます。
自分結い大江戸和髪学会そして、附け祭の行列とともに、一際目を引いた一団が、馬に跨った武者姿のもののふたち!
この日はなんと、神田明神の御祭神・平将門公の意を継ぐ、「相馬野馬追(そうまのまおい)」の騎馬武者行列が福島県南相馬市から特別参加! 都心の公道で騎馬が闊歩する姿を目撃できる、またとない機会です!
神幸祭の行列は、日本橋三越に差し掛かります。
「なんだあれ?」と見物客のみなさんがざわついているので、目を向けていると、なぜか製薬会社のマスコットキャラクターたちがずらり。
実は日本橋本町は昔から「くすりの街」と呼ばれていまして、江戸時代から薬の商売が盛んな町、いまでも大手製薬会社の数多くが、この場所に本社を構えているのです。
さて、行列は再び秋葉原の町を通過します。外国人観光客のみなさんも「なにごと?」と、興味津々でその行列を眺めています。
一行が神田明神に近づき、いよいよ祭りもクライマックスに差し掛かったところで、最後の大物がその姿を現しました!
思わず二度見してしまうこの山車は、令和4年の東京藝術大学の藝祭で行われた御輿コンテストで明神賞を受賞した日本画・工芸・邦楽・楽理の学生たちによる曳き物「ジンベエザメ」です。
なぜジンベエザメ?という疑問を吹き飛ばすほどの、学生たちによるエネルギッシュな運行に圧倒されます。これは見ものだ。
神田明神の鳥居の前で、最後の大盛り上がり。サンバのリズムが辺り一体に鳴り響きます!
神幸祭とともに、江戸東京の街並みを楽しもう
まさに神幸祭は、「百鬼夜行」とでも言いたくなるようなお祭り。さまざまな装束の人や山車が登場して、パレードのように楽しむことができました。
今回のように行列についていくと、朝から晩まで歩き倒すことになるため、体力に自信のない方にはあまりおすすめはできませんが、メインストリートから、東京に住んでいる人さえ普段歩くことのないような裏路地まで通ることになるので、江戸東京の街並みを堪能できるという意味では、ぜひ試していただきたい神田祭の楽しみ方でもあります。
ぜひ、神田祭に行かれる際の参考にしてみてください! あと、初めて訪れる方は、神田明神で販売しているガイドブックを事前に買うのが、絶対におすすめです!
参考文献:
『神田祭 公式ガイドブック<令和五年度版>』