Now Loading...

ユネスコ無形文化遺産、岐阜県郡上市「寒水の掛踊」。背の高いシナイを振り、花飾りを散らす風流踊!

2023/10/3
2024/5/21
ユネスコ無形文化遺産、岐阜県郡上市「寒水の掛踊」。背の高いシナイを振り、花飾りを散らす風流踊!

約100人の長い行列は山あいの道を歩き、神社にたどり着く。巨大な花飾りを背中に背負った拍子打ちを中心に、大きな円を描きながら役者は踊り続ける。踊りは徐々に激しさを増していき、花飾りを散らすとともにその踊りはより一層の盛り上がりを見せるのだ。

岐阜県郡上市に伝わる、寒水の掛踊(かのみずのかけおどり)。ユネスコ無形文化遺産にも登録されたその貴重な踊りは、毎年9月に開催されている。この民俗芸能に託された想いとは何か、現地を訪ねて感じたことを振り返る。

寒水の掛踊とは?

岐阜県郡上市明宝寒水に伝わる、風流の太鼓踊だ。白山神社の祭礼に合わせて、毎年9月第二日曜日とその前日に奉納される。1日目を試楽(しんがく)、2日目を本楽(ほんがく)と言い、2日間とも「中桁(なかげた) 打ち出し」「中桁前の踊り」「行列」「お庭踊り」「拝殿前の踊り」の五部構成となっている。2022年にはユネスコ無形文化遺産「風流踊」のひとつとして登録された。

この踊りには、シナイと呼ばれる長さ3.6mの花飾りを背負った拍子打ち(以下の写真)をはじめとする、さまざまな衣装を身にまとった「役者」が登場する。そのほかには、花笠を被った子ども、大黒舞など、約100人の人々に31の役がある。まさに、村人総出の踊りと言っても過言ではないほどに役柄が多い。

この踊りの起源は、1709(宝永6)年、隣に位置する母袋(もたい)村という村から伝えられたとされている。当時掛踊が教えられるだけでなく、十一面観音や、神社建立の棟札なども同時に伝来したと言われる。明治の末頃まで、毎年掛踊の日に母袋村から声自慢の人が数人、峠を越えて踊りに来て寒水の人たちと輪になって踊り、歌の掛け合いをしていたという。掛踊の名称は、この「掛け合い」によるものであり、その民俗芸能の起源をも物語るエピソードだ。

背の高いシナイを振り、花飾りを散らす!踊りの様子

明宝庁舎から無料シャトルバスに乗っていくこと10分。たどり着いたのは一軒の旧家だった。ここが中桁と呼ばれる場所だ。寒水の掛踊は正午ごろに、この旧家から始まった。出花が咲き誇るようにどっしりと立ち非常に目立つ。

衣装をつけていよいよ祭りの始まりだ。

中桁を拠点に行われる「打ち出し」

中桁の座敷で行われる音合わせの試奏、中桁をぐるりと回る行列の出立と道行、中桁の前庭への入場までが、「打ち出し」と呼ばれる行事だ。シナイをつけた役者「拍子打ち」が奏でる音は周囲の山へと鳴り響き、田園ののどかな空気に音を添えた。

最初の踊り「中桁前の踊り」

その後に最初の踊りである「中桁前の踊り」が始まる。踊りは拍子打ちの演奏に合わせて、その周囲を役者たちがぐるぐると回る。まだ大人しいその歌い出しと所作は、これから迫り来る激しい踊りを予感させる。

規律のある行進「行列」

中桁の家での踊りが終わると一行は行列をなして旧道である「神様道」と呼ばれる道を通り、寒水白山神社を目指す。その道のりは昔から決められており、その途中で一回休憩を挟む。約100人の役者たちの行列は、のどかな川、なだらかな斜面、田園の中をゆっくりと通り抜け、晴れ渡る空に向けて何かを祈りかけるように歩みを進めていた。そよぐ風が気持ち良く、ジリジリとした太陽が行列を照らしていた。

飛び跳ね、縁起物を拾う「お庭踊り」

14時過ぎに寒水白山神社の鳥居をくぐり、拝殿前にたどり着いた。さあ、ここからはいよいよお庭踊りである。円を描くように役者たちは並び始め、その中央には拍子打ちの役者たちが並ぶ。

後半に差し掛かると、「ニワハキ」という所作が始まる。これは拍子打ちの役者たちが背負ったシナイを地面に擦るようにしながら、装着させていた花を散乱させていく。飛び跳ねて、この振り回されるシナイを避けながら、散乱した花を集めるのが大黒舞の役者や鬼たちだ。

さて、このニワハキが終わり、15時ごろになると鳥居の前にシナイが並べられ、休憩に入った。神社の境内にブルーシートが張ってあり、あらかじめ場所取りをしていたところで、役者たちは家族をはじめ親戚や仲間たちと食事を食べながら、思い思いの時間を過ごした。

激しいテンポのクライマックス「拝殿前の踊り」

さて、休憩が終わったのは16時前。この踊りではニワハキが比較的早いタイミングで始まり、そして、先ほどよりもさらに激しく花を撒き散らす。そして、最後に「めでためでたののやれそりゃめでたのよ」からはじまる「拝殿前の踊りのしずめ歌」が終わると、拍子打ちはシナイをぬき取り、そして残りの花飾りはもぎ取り、縁起物として観客へと渡される。

そして、最後に行われる拍子打ちの叩き上げは圧巻の一言!非常に激しい所作に盛り上がりを見せ、掛踊は終了となった。その後は、祭礼後の余興で「どじょ(寒水どじょう)」という踊り唄の輪踊りが行われた。

当日の様子はYoutubeにも公開しているので、ぜひ御確認いただきたい。

掛踊の起源に想いを馳せる

寒水の掛踊が行われるエリアは電車利用のみでは訪れられず、車と会場への無料シャトルバス利用が必要な圧倒的秘境感のあふれる立地だった。青い空に大きな雲、夏空の下で、繰り広げられる踊りと演奏は、のどかにどっしりと構える山々にこだましていた。

村人たちによって継承されてきた伝統に忠実な風流踊りであり、隣村との「歌の掛け合い」をしたという掛踊の起源をも私たちに教えてくれる存在だった。昔は村に干ばつ・害虫などが発生した場合、悪霊の仕業として太鼓や鉦を鳴らしてこれを村外に駆逐したようだ。自然と共に生きる人々が作り出した芸能の想像力には驚かされるばかりである。

参考文献
岐阜県郡上市役所明宝振興事務所発行「寒水の掛踊」パンフレット
明宝観光協会 公式webサイト「寒水の掛踊」
柳田國男『柳田國男全集18』筑摩書房 1990年

タグ一覧