令和元年9月14~15日、大阪南部に位置する泉州岸和田で令和最初となる岸和田だんじり祭りが開催されました。8日の試験曳き、13日の試験曳きを含め4日間その祭りを見学してきましたのでその様子をレポートさせていただきます。
1.9月8日(日)試験曳き:14~16時
試験曳きとは、祭り本番に備えての試し曳きのことで、約1年ぶりにだんじりを曳くにあたり、だんじり本体の調子(コマの転がり具合いや、ブレーキの利き具合い)や参加している人の感覚(前梃子を入れるタイミング、後梃子を切るタイミング、青年団の走りや綱を入れるタイミングなど)を確かめるためのものです。試験曳きといっても曳行時間が短いだけでやってることは祭り本番と同じです。
岸和田祭りの試験曳きは2回行われ、その1回目は通常9月の第1日曜日に行われます。ただし1日が日曜日の場合は三郷の寄合い(パレードや宮入りの順番を決める重要な会議)が開催されるため、第2日曜日に行われます。そのため今年の1回目の試験曳きは8日となりました。
だんじりは紀州街道から下を曳行することが多く、駅前はそれほど通りません。駅前近辺の町と大北町を見て私は紀州街道(武部)へ移動しました。
後の建物が武部佛だん店なのでこの交差点は通称武部と呼ばれています。カンカン場を通っただんじりが、紀州街道の北町交差点を小門紙店側(左折)に曲がるとここの交差点に出てきます。
武部を左折しただんじりは、日通前は右折となります。ここでのやりまわしは比較的前で見れて見やすかったです。だんじりもよく通るのでやりまわしの見物ポイントとしてお勧めです。
この手前の道は疎開道と呼ばれ、通常は和歌山側(写真右)から大阪側(写真左)へ曳行します。しかし中町は小屋が交差点より和歌山側にあるため帰町時は交差点を左折して疎開道を逆走して帰っていきます。大手町交差点も比較的やりまわしが見やすいポイントです。
2.9月13日(金)試験曳き:14~16時
毎年祭り前日の金曜日には2回目の試験曳きが行われます。岸和田の旧市と春木地区以外は試験曳きは1回しか行われないのですが、何故か昔から旧市と春木地区は試験曳きが2回行われます。
城下町である岸和田。江戸時代、敵が攻め込んで来た時に先のほうまで見通せないようにと道路がS字に曲がっています。紀州街道の堺町と本町に現在もS字カーブとして残っています。やりまわしの難所です。何故難所かというと綱が道沿いにS字になるので力の支点が2点となりそのバランスが非常に難しいからです。
普通は○○町なんですが、春木南には町がつきません。何故なら春木南という町はなく春木南浜町と春木北浜町が一緒に曳いているからです。
試験曳きが終わった後、地元出身の川崎亜沙美ちゃんとHARTYによる前夜祭ライブが中北町と中之濱町で行われました。
「FURUSATO~ちょうちんのあかり~」を熱唱していました。岸和田祭りをイメージさせるようないい唄でした。今後、お祭りソングとして定着しそうな勢いを感じました。
3.9月14日(土)宵宮
3.1 曳き出し:6~7時30分
朝6時少し前、待ちきれずに宮本町が予定より少し前に出発。いよいよ祭り本番が始まります。
各町のだんじりが一斉に走り出しました。宮本町に続き筋海町が駅前に向かいました。
筋海町のだんじりには、だんじり工務店の隆匠の親方が参加しており、だんじりが事故した時にすぐに修理できるよう道具袋が積まれています。
曳き出しは全町が岸和田駅に向かうので、駅前や商店街での見学がお勧めです。全台のだんじりを見た後は、紀州街道より海側での見学がお勧めです。
私は紀州街道から疎開道の大手町交差点へ向かいました。紀州街道の本町辺りは昔ながらの街並みが残っており、景観とだんじりが非常にマッチします。ただ時間帯によってはあまり通らない場合もあるのでこのポイントで待っていても待ちぼうけの時間が長くなることもあります。遠くに見える纏を見て、こちらに来るか途中で曲がってしまうのか注意深く観察することが必要です。
3.2 午前曳行:9時30分~11時30分
午前曳行の出発前に疎開道の中之濱町のだんじり小屋前で、中之濱町と中町の2台のだんじりが並びました。
ここで2台のだんじりの出発を見届けました。この2台のだんじりは駅前に向かい、塔の原岸城線を2台並んだ状態で下ってきます。
この後、9時に町方が欄干橋に集合するということで欄干橋へ行きました。
町方とは紀州街道沿いにある南町、本町、堺町、(魚屋町)、北町を指します。魚屋町は現在だんじりを所有しておりません。
午前曳行ではヤングと呼ばれる闇市から商店街(music shop YOUNG )側へのやりまわしが見所なのですがやりまわしポイントは人が多いので、私はそこを避けて紀州街道の曳行コースの北の端である下野町へ向かいました。
ここは曳行コース内とは言え周回コースより離れているため、下野町のだんじりと春木南のだんじりが行き来する時くらいしか通りません。そこで町内の人にいろんな町のだんじりを見てもらうために宵宮の午前中に複数の町のだんじりを曳き入れています。
3.3 パレード・午後曳行:13時~17時
午後からは岸和田駅前パレードです。各町のだんじりが決められた順番に従いやってきます。
パレード終了後は紀州街道から海側にだんじりが集中するので臨海線に移動しました。旧リバティ前では中央分離帯の上でカンカン場への順番待ちのため迂回するだんじりを見ることができます。ここではたくさんのだんじりを見ることができます。
3.4 灯入れ曳行:19時~22時
たくさんの提灯に飾られただんじりを子供たちが曳き、ゆっくりと歩いて曳行します。鳴り物をする子供たちや屋根に乗る子供たちもいます。夜は子供たちがメインで楽しむ祭りです。
4.9月15日(日)本宮
4.1 宮入り:9時30分~12時30分
私が子供の頃は敬老の日が9月15日固定で、岸和田祭りも9月14~15日固定でした。今は敬老の日が毎年変わり岸和田祭りの日もそれにあわせて変更されています。しかし岸城神社の例大祭の日は9月15日固定のため、神社の例大祭の日と岸和田祭りの日がずれるという現象が発生していました。令和元年はたまたま神社の例大祭の日と宮入りの日が一致しました。記念すべき令和最初の祭りがいい日にあたりました。
私は岸城神社の宮入りを見てきました。
大工方が大屋根の上で片足をあげて踊っています。粋な着流しです。費用もかなり掛かってると思います。
この後、だんじりは岸和田城のお堀を周って岸城神社へ向かいます。
城下町岸和田。各地でだんじり祭りはありますが、祭りの時にお城とだんじりが同時に見れるのは岸和田だけです。
だんじりの前に付けられた番号持ち、通常は宮入りの順番を書きますが、中町では宮入順が最後の場合に「殿」と書きます。「殿」は「しんがり」と読み、列の最後尾という意味です。
4.2 午後曳行:13時~17時
宮入りを終えただんじりは再び岸和田の市内を駆け巡ります。
大工方は日の丸をデサインしたシンプルな法被ですが格好いいですね。京都で作られた法被のようで材質は正絹だそうです。おそらく一着数十万円はします。
17時頃、紙屋町の最後のやりまわし。少しだんじりが浮くくらいスピードのあるやりまわしでした。
4.3 灯入れ曳行:17時~22時
昼の激しさと対極的な優雅な祭りです。献灯台には岸和田出身の世界的にも有名デザイナーのコシノ三姉妹の提灯があげられていました。
22時頃、大手町のだんじりが小屋に戻ってきました。提灯が外され小屋へ納められて行きます。
最後に曳行責任者のご挨拶。大手町のだんじりは無事故で傷1つなく無事に帰ってきました。
名残り惜しまれながら小屋の扉が閉まり、大手町の祭りが終わりました。
ほぼ同時刻、近くの中之濱町でも最後のセレモニーが行われていました。
大工方が胴上げされ綺麗に宙に舞っていました。
青年団団長の挨拶。祭りをやりきった清々しい顔。目にはうっすらと涙が浮かんでいました。
最後は青年団団員による胴上げ。1年間の苦労が報われた時だと思います。
こちらも名残り惜しまれながら小屋の扉が閉められました。
これにて令和元年の岸和田祭りが終了しました。
5.終わりに
今年も試験曳きを含め岸和田祭りを密着撮影してきました。この記事を見て来年は岸和田祭りを見に行ってみたいなと思っていただけたら幸いです。岸和田の旧市と春木地区の祭りは終わりましたが、岸和田の山手や泉州各地のだんじり祭りは10月が本番です。特に10月12~13日はJR阪和線沿線(和泉府中駅、久米田駅、下松駅、東岸和田駅、熊取駅付近など)でも祭りが行われますので興味のある方は見物に行ってみてはいかがでしょうか。