江戸三大祭のひとつとも数えられ、2018年は2年に1回の「本祭」として数多くの催し物が盛大に行われる山王祭。今回オマツリジャパンでは祭礼を執り行う日枝神社(東京都 赤坂)の神主、権禰宜の伊久裕之(写真右)さん、小野太誠さん(写真左)にお話を伺ってきました。
日枝神社と山王祭
―日枝神社からみて、山王祭はどのようなお祭りなのでしょうか?
神主が考えるお祭りと町が考えるお祭りと二つの側面があると思っています。
神社としては、年に一度の神様との約束として、神様をおもてなしし、1年の平和をお祈りする静かな「神事」として、鎌倉時代ころから始まっているもの。いわば「静」のお祭り。
一方で江戸時代から始まったとされているのですが、山車や神輿が賑やかに行列をする「動」のお祭り。皆さんが考える山王祭は、2年に一度神幸祭が行われる「動」のお祭りのほうの印象が強いのではないでしょうか。
画像提供:日枝神社
―山王祭にはどのくらい関わっていらっしゃるのでしょうか?
平成21年4月から日枝神社にお勤めをしていますので、これまで4回のお祭りに携わってきました。
実は最初はあまりお祭りが好きではなかったんです。
―今はどうですか?
もちろん今はお祭りが好きです。お祭りが好きになったきっかけは山車でした。
神主にとってお祭りというのは神社の中のもの。一方で町には町のお祭りがあり、町の方々がどのようなものをお祭りとして受け取っているかを知る必要があるではないかと考えていました。山王祭は昔は山車のお祭りでしたが、今で山車はほとんどなくなってしまいました。昔のはどんなお祭りだったか探すため、今も以前の山王祭の山車が残されている地方に行ってみたんです。
埼玉県加須市本町に残されている山車(画像提供:日枝神社)
そこで話をしてみると「あっ、この人形山車はあなたのところから来たんですね」と故郷のように言われ。正確には神社からではなく町会から提供された山車ではあるものの、その方からすると「江戸から来たお祭りの道具を使っている」ということに誇りを感じていたんですね。江戸で有名なお祭りで使われていたものをもってくるということが地域のお祭りの目玉になっていました。
もし山王祭が昔やっていたお祭りになってしまうと、各地のお祭りにも残念な思いをさせてしまう。山王祭を盛り上げることは、各地のお祭りを残していくことにもなるのではないかと感じました。
画像提供:日枝神社
神幸祭の行列の中には、一度は歩いてみたいということで、その地方からいらした方もいるんです。自身の町会に戻り神幸祭での体験を各地のお祭りに反映させたということもありました。そういう化学反応が起こることもありお祭りが好きになっていきました。
山王祭の未来
―山王祭はこの先どんなお祭りにしていきたいですか?
2020年に向けてお祭りを通じて文化の発信という思いは、みんな思っていることと思います。神社の立場から言うと、お祭りは神様とのお約束であり、どう永続させていくか、維持していくかを考えていかなければいけません。
神道の考え方に「神は人の敬によりて威を増し 人は神の徳によりて運を添う」言葉があるのですが、多くの人に信仰されて、ご利益があるとされると、どんどん人が集まり栄えていきます。お祭りを通して人が集り、神社を知ってらうきっかけになればと思っています。
「観光」も、昔はご利益を仰ぎに行ったことから始まり、その土地で遊び土産を買うことが楽しく「旅行」というものになっていったようです。最初は「面白い」というきっかけでもよく、誰もがフラットに入りやすいお祭りになっていくことで、お祭りが永続していくのではないかと思っています。もちろん格式も求められる世界ですので、守るところは守ってくことも大切なことです。
お祭りとは
―お二人にとって「お祭り」とは?
伊久さん:全力で神様とつながれるタイミングですね。
普段の神社とのかかわりはお参りのような「静」の営みになるのですが、お祭りでは全力で盛り上がっても許される部分があると思います。全力で神様に関わっていく、そういう機会であるかなと思っています。
小野さん:「つながり」です。
お祭りを通して、神様と私たち、地域と地域がつながっていけるものだと思っています。