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祭りの伝統を支えている人の正体は?民俗芸能の守り人「保存会」にせまる!

2020/7/16
2024/3/5
祭りの伝統を支えている人の正体は?民俗芸能の守り人「保存会」にせまる!

皆さんは「日本の祭り」と聞いて何を連想しますか?屋台や花火、そしてお神輿や盆踊りなど、人によって様々だと思います。とはいえ、その地域独自の民俗芸能が楽しめることが、祭りの最大の魅力ではないでしょうか。
しかし、それらの伝統芸能は誰の手によって演奏・披露されているのか、考えたことはないかもしれません。そこで、今回は多くの伝統を支える集団「保存会」について紹介します!
日本の民俗文化はどのようにして守られているのか?少しでもその実態について知ることで、皆さんの祭りに対する意識が変わるかもしれません!

そもそも保存会とは?詳しく解説!

簡潔にまとめると、保存会とは主に民俗芸能の披露と伝承を目的とした団体です。保存対象はその土地に長年伝わる民謡・お神輿・神楽など、非常に多岐にわたります。

海外における日本の民謡研究の第一人者であるデイビッド・W・ヒューズ教授の記述によると、保存会の特徴として

1 地元住民による小さな団体である

2 主に一つの民俗芸能のみを取り扱う

3 団体名として保存対象の民俗芸能の名を冠する

が挙げられます。例えば郡上踊り保存会の場合、メンバーは主に町民で構成され、保存対象は郡上おどりである、といった具合です。

2019年の西馬音内盆踊り。盆踊りの保存会は囃子方と、他の参加者に混ざって踊る踊り手に分かれているのが一般的です。

注意していただきたいのが、一部の公益財団法人が上記以外の目的で保存会の名を用いているケースもあります。例として記念艦「三笠」の管理・運営を司る三笠保存会や、フィギュアスケーターのアリーナ・ザトキワさんに秋田犬を贈呈した秋田犬保存会など。しかし、本記事では法人化された団体ではなく、純粋に地元の民俗芸能を伝承することが目的の保存会について取り上げていきます。

お祭りだけじゃない!保存会の活動内容について知ろう

保存会の活動は多岐にわたりますが、主に3つに集約されます。

1つ目は、地元のお祭りでの披露・演奏。お神輿や盆踊りといった民俗芸能を守ることはそれらに付随する伝統行事を守ることでもあるので、必要不可欠だと言えるでしょう。また、多くの団体は「ふるさと祭り東京」など国内外のイベントに参加することで認知度を高め、観光客を呼び込もうとしています。もちろん、高いレベルを維持するために練習や定期的なリハーサルも行っているのも忘れてはいけません。

2つ目は、学校などでの教育活動。若い頃から民俗芸能に興味を持ってもらうことで、いずれ保存会に加入してもらうことが目的です。一部の小学校や中学校では郷土芸能の授業が組まれており、保存会の会員が教えに行くことも。他にも高校の部活動や、生涯学習の一環として公民館で教えるなど、伝統を絶やさないよう精力的に活動しています。

五箇山のこきりこ祭りでささら踊りを披露する子供たち。地元の小学校と中学校では五箇山民謡の他、獅子舞を教わるそうです。 提供:南砺市観光協会

3つ目は、郷土資料の記録保存。リサーチや聞き込みを通じて得た貴重な情報は、町の郷土史や保存会の記念誌を発行することで、後世へ残そうとしています。

演奏と教育、そして記録。活動内容の詳細は保存対象によって様々ではあるにせよ、保存会の活動は主に以上の3つで成り立っています。

五箇山民謡に関するパンフレット・DVD・記念誌・書籍など。

保存会が設立された理由とは?歴史的背景から学ぼう!

保存会はなぜできたのか?その背景を知るためには明治時代まで遡ります。

そもそも、民俗芸能は時代による発展や興衰を経験しながらも、その地域に住む人々によって受け継がれていました。また、多くの農民にとってはこれらは唯一の娯楽であったこともあり、組織的な伝承活動は必要なかったわけです。

しかし、明治維新によって近代の幕が上がると、事態は一変します。民俗芸能は近代化の妨げになるとして、政府は「盆踊り禁止令」などを通じて規制・弾圧を進めたのです。この過程で数々の伝統が失われましたが、その一方で反発した住民がその後も続けるなど、結果的に「保存」の機運が高まる契機となりました。

20世期に入り、大正デモクラシーを通じて日本の文化が見直されることによって、民俗芸能は転機を迎えます。この時期から、人々は保存会を設立することで地元の文化を守るようになりました。では日本最古の保存会は?断定することはできませんが、富山県の越中五箇山麦屋節保存会(1909年)や島根県の安来節保存会(1911年)などが最初期に設立された保存会として挙げられます。

屋形の中で演奏する郡上踊り保存会の方々。風紀の乱れを危惧した警察と長年の葛藤を経て、1923年に設立されました。

やっと復活したかに見えた民俗芸能ですが、日中戦争から始まった戦時体制によって、またもや禁止の憂き目にあいました。長年のブランクと戦後の混乱によって多くが退廃・衰退の道を辿りましたが、西馬音内盆踊り保存会(1947年)のように住民が再度立ち上がり、再整備を行ったことで、祭りなどの文化は今日まで続いています。

一見すると、ただ伝統を「守る」ために設立された保存会。しかし、その背中には数多くの苦難と危機を乗り越えた、人々の想いがつまっているのです。

迫りくる数々の危機!保存会の今後は?

戦後に復活を遂げた民俗芸能は、お祭りがその地域を代表するイベントとして観光化され、1970年代以降における個人旅行客が増加したことによって最盛期を迎えます。それからおよそ半世紀。現在では多くの保存会が危機的状況に瀕している状況です。

最大の原因は、地方の少子高齢化です。都心部への移住などによって若者の数が減る中、保存会の平均年齢は上昇の一途をたどっています。今後も「限界集落」化が進行するに伴い、民俗芸能が自然消滅することは避けられません。

しかし、問題はそれだけではありません。実は保存会の方々は全員本職を持っており、基本的には仕事の合間の時間を縫って活動されています。また、保存会の活動で収入を得ることはないのに関わらず、交通費や楽器・衣装を買いそろえるためにかなりの支出が必要です。このように負担が非常に大きいため、人口が多い町でも思うように若い世代が集まらないという課題に直面しています。

前世紀から民俗芸能を守り続けた「守り人」こと保存会。時代や社会が変化する中、今後の保存伝承のあり方が問われているのかもしれません。

秋田県羽後町仙道地区に伝わる仙道番楽。一時期は保存会の平均年齢が70を超えるなど、小規模な保存会は常に消滅の危機と隣り合わせであることを忘れてはいけません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。非常に簡潔にまとめましたが、すこしでも保存会に対する理解が深まったでしょうか?今後お祭りに参加する機会がありましたら、そこで披露される民俗芸能の歴史背景を知ることで、もっと楽しめるかもしれません!

 

本記事は、以下の論文を参考にして作成しました。(順不同)

名越 健郎, 秋田犬が県活性化の起爆剤に, 国際教養大学 アジア地域研究連携機構研究紀要 8, 2019-03

塚田 修一, 体験なき戦争の記憶の現場 : 日本海海戦記念式典の観察より, 三田社会学会 (23), 2018-07

Hughes, David W. Traditional Folk Song in Modern Japan, (Leiden, The Netherlands: Global Oriental, 2008) doi: https://doi.org/10.1163/ej.9781905246656.i-408

 

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