長野県松本市の中心市街地から車で1時間。北アルプスの麓にある奈川地区の集落寄合渡(よりあいど)に脈々と受け継がれる「奈川獅子(ながわじし)」があります。獅子退治の特徴を持つこの獅子舞は、手踊りとともに継承されています。
近年は人口減少が進み、働き手が松本市の中心部に働きに出ている背景もあり、担い手不足が顕著です。それでも昔と変わらず、獅子舞は受け継がれているそうです。この獅子舞の魅力やその継承のコツについて知るために、多世代にわたるインタビューと練習会の取材を行いました。
保存会会長から見た奈川獅子の歴史と今
まずは練習が始まる前に、奈川獅子舞保存会・会長の勝山好夫さん(71)にお話を伺いました。21歳から担い手に加わり、それ以来、奈川獅子に関わり続けてきたそうです。
勝山さんの調べによれば、奈川獅子は明治44年に富山県東礪波郡平村(現在の南砺市)出身の横井市蔵氏がこの地に伝えたのが始まりだそうです。村を荒らす大獅子と獅子捕りの格闘が行われ、大変勇壮で激しい舞いが特徴とのこと。毎年9月の第1土曜日に行われる天宮大明神祭で奉納されるもので、平成19年には松本市の重要無形民俗文化財に指定されました。
――昔の練習の様子はどうでしたか?
昔のほうが厳しかったですよ。振りを直されて「もう一回」「そこは違う」などと言われたこともありました。この地域では土建屋さん、製材所、村役場、農協、などの仕事をする人が多くいて、昔のほうが担い手の人数は多かったです。特に各家庭の跡取りが参加していました。今では地域外で仕事をする人が多いですが、松本市の中心部から車で通って獅子舞を続けてくれる人もいます。むしろ、そういう通いの人のほうが多いくらいです。地域の人口は年々減っていて、今では寄合渡のみで40世帯ちょっとですね。
――現在は住民が少ない分、担い手になる率は高いように思います。どのように新しい担い手を確保されているのですか?
基本的には集落に残っている人はやってほしいということで、自然と獅子舞をやる流れになっています。踊りは30代までやって、それ以降は笛や太鼓などの楽器に移ります。ただ徐々に担い手の年齢も上がっていますね。人がいればなんとか続けられるので、とにかく担い手を確保したいですね。若い人たちが色々担い手確保のために動いてくれているようです。
――奈川獅子の魅力は何だと思われますか?
やはり激しいのが魅力ですし、お祭りには絶対に必要なものですよね。ただ、新型コロナウイルスの流行もあり、獅子舞ができない年もありました。練習は体温を測ることを徹底して、検査キットの配布も行いました。休憩中はマスクありなどの工夫も必要でした。獅子舞はやるのが当たり前でしたから、これは奈川獅子の歴史の中でも初めてのことかもしれませんね。
若手が仕掛ける獅子舞継承の工夫とは?
次に小学校1年生の時から踊り手を務め、現在は子どもに獅子舞を教えることもされている奥原貫さん(43)にお話を伺いました。
――日本全国で数多くの獅子舞が担い手育成と継承に苦労をされていると思うのですが、現在、奈川獅子では工夫されている取り組みはありますか?
やはり人がいないという現状があり、約10年前から寄合渡だけでなく、奈川地区全体から担い手を募集するようになりました。子どもが少なくなってくると、大人になった時に踊り手がいなくなってしまいます。そこでまずは子どもの確保をするために、対象地域を広げたという経緯がありました。ただ現在小学校も人が少なくなっていて、5年先もどうなるかわからない危機感があり、奈川地区以外からも踊り手を募集していく必要が出てきています。まずは知ってもらうことが大事で「踊ってみたいな」と思ってもらえるように発信に力を入れていきたいです。
――子どもは何歳から所属できますか?また、どのようなことから練習を始めますか?
小学校1年生から所属できます。保育園の頃から祭りを見てきている人が多いので、元々リズムを知っている子どももたくさんいて、1ヶ月あれば皆覚えられます。多い時だと週3回の練習をしており、学校終わりの19時くらいから練習を始めます。自分が小さい頃は獅子舞が「かっこいいな」と思っていて、迫力がある印象でした。一番は薙刀のシーンで、とても激しい踊りです。
――祭りや練習だけではなく、奈川獅子を発信する機会はありますか?
奈川獅子は松本市の無形民俗文化財です。第1回山の日記念全国大会の祝祭式典の時に、松本市の中心部で踊る機会がありました。その他にも、東京や富山、鹿児島などで出演を頼まれたこともあります。これは松本市の姉妹都市の関係で紹介してもらえる場合が多く、年に2回くらいは遠征をしています。
山車のような大きな出し物は持ち運びが大変な一方で、獅子舞は運ぶのが簡単で、遠征しやすい特徴があります。他の地域を訪れて新聞に載ったり喜んだりしてくれると、自分たちも自信がつきます。ただし、獅子舞をきちんと広めていくには、奈川、松本市、長野県という風に、徐々に近いところから広げていくほうが、長い目で見て認知してもらえる可能性が高いでしょう。いきなり遠くに行っても「どこかの田舎の踊り」という風な認識をされることもあるからです。
――獅子舞がこれからこんな風になっていったら、ということはありますか?
奈川獅子を知ってもらえるチャンスが広がれば、担い手も増えていくので理想的な展開ですよね。
獅子舞の道具や衣装から継承を考える
今回はインタビューだけでなく、獅子舞に使う祭り道具も見せていただきました。獅子頭は飛騨高山で作ってもらったそうですが、年々作る人も作る数も減っているので、値段は上がっているとのこと。基本的には修理をするほうが多いらしく、新品はほとんど作っていない人が多いようです。獅子頭は薙刀や棒がよく当たるので、獅子頭の口周りには傷がついているものもありました。ただ、もう使っていない古い獅子頭も大事に保管されていました。獅子頭の耳の部品など、取れてしまったものは何かしらで使えるかもしれないので、残しておくそうです。
ハジメという名前の担い手さんがいるそうで、「ハジ」という名前が小刀に書かれていました。獅子舞に使われる道具に対する愛着が感じられました。
また、担い手の方々が、格好良い練習用の衣装を揃えているのも印象的でした。こちらは手作りのパーカーです。
体育館で練習を見学、子どもから見た奈川獅子の魅力とは?
その後は奈川寄合渡体育館で練習を見学しました。練習時間は2時間半ほどで、大人と子どもがそれぞれ、獅子舞と手踊りの演目を一通り行っていました。綺麗で広い体育館だったので、素晴らしい練習の環境が整っていると感じました。昔は担い手の人数が多かったのに狭い場所での練習をしていたそうで、今ではのびのびと取り組んでいるようにも思えました。
練習後に、高校生にお話を伺ってみました。
高校3年生の勝山流星(りゅうせい)さんは現在18歳。小学校3年生の頃から獅子舞の担い手をされており、もう10年以上のご経験があります。子どもの練習だけでなく、大人にも混じって練習する姿が印象的でした。最近は獅子頭を被る時に体の使い方を覚えたことが大きな成長だったそうで、どんどん成長されている印象でした。
――学校との両立はどのようにされていますか?
バトミントン部に所属しており、学校が終わった後に獅子舞の練習をするので疲れますね。大会の日程は獅子舞のお祭りに重ならなかったのですが、文化祭と被ってしまってどちらにも顔を出したことがありました。あとは大学受験の勉強との両立も頑張ってきました。高校でたまに獅子舞の話を聞かれることがあります。生まれは奈川なのですが、現在は松本市の中心部に住んでおり、奈川まで通っています。保存会に所属し続けるかは未定ですが、これからも奈川獅子の魅力を伝えていけたらという想いがあります。
次に中学1年生の奥原陽菜(ひな)さんにもお話を伺いました。親や姉の影響で小学校低学年から獅子舞の担い手をされてきたそうです。初めは見ているだけだったのが、かっこ良かったので「私もやりたい」という想いに変わったのだとか。
――学校との両立はどのようにされていますか?
部活は文化系なんですが、休日にはバドミントンをしています。部活の後に獅子舞がある時は大変ですけど、「ああ、楽しみだな」とも思います。朝起きて学校に行くときは眠いですが、獅子舞がある日は楽しみで1日頑張れるんです。
――獅子舞の楽しさはなんですか?
獅子舞を覚えて自分の納得のする踊りができたときに楽しいなと思います。あといろんな人と一緒に踊れるのが楽しいです。普段学校では会えない方達と会えます。大人と話をするのは緊張しちゃうので、そんなに深い話はしないですが。それでも奈川は狭くて人が少ないからこそいろんな人と関わり合えるんだと思います。
インタビューを終えて、担い手たちが小さい頃から獅子舞に慣れ親しんでいる姿がとても印象的でした。奈川獅子は小学1年生から担い手に加わることができます。引退するまで何十年も踊り続けるという意味では、長い目で見た担い手育成が行われていると言えるでしょう。
舞いの役は2年ごとに交代し、全員がすべての役の習得を目指しているとのこと。小さな山奥の集落で、なぜこれだけ獅子舞が活発に行われているのか?という疑問の裏には、かっこいい大人に憧れて、獅子舞を楽しみに練習に通う子どもたちがいたのです。