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「帯解寺」=無事に帯が解けて安産できた寺ということが起源
安産祈願・求子(ぐし)祈願霊場の「帯解寺(おびとけでら)」。858(天安2)年に文徳天皇の皇后・藤原明子が本尊の子安地蔵菩薩に安産祈願し、惟仁親王(後の清和天皇)を無事、出産されたというお寺です。
この「無事に帯が解けて安産できた寺」ということから「帯解寺」という名前になりました。
奈良駅から、たった2駅先の帯解駅。ただしJR桜井線は30分に1本くらいですから、時刻表をよくご確認ください。
車窓の景色は、奈良駅を出発するとたちまち田舎の風景に変わっていきます。次の駅は平城京が終わるところを意味する京終駅(きょうばて)。この京(みやこ)の果てを超えると、帯解駅に到着です。帯解駅周辺は奈良町を出て最初の宿場町だったということが分かる、歴史を感じさせる平入りの建物が並んだ懐かしい風景が広がります。
今回はこの帯解寺で行われる「小野小町忌」をレポートいたします。
小野小町忌「小町の宮」の扉が年に一度だけ開く!
平安時代の歌人で絶世の佳人と名高い小野小町。
その小野小町が「かさ」(現在の天然痘)にかかった際に、近くにある疱瘡平癒祈願で有名な青井神社に通っていたそうです。また恋人であった僧正遍昭(そうじょうへんじょう)も近くの石上(いそのかみ)寺(※現在は廃寺)にいたため、会いに行く際に帯解寺へ立ち寄ったといわれています。
江戸初期刊行の案内書『南都名所集』には帯解寺の境内に「小町の宮」があると描かれていますが長い間、そのお宮がどこにあるか誰にも分かりませんでした。
近年、駐車場になっている場所から石碑を発見。やっと場所が特定され、2006年に新たにその場所に祠を建立し、小町像を安置しました。
以来、江戸時代に行われていた地蔵会式の日程に合わせて毎年4月24日に小野小町忌が行なわれています。
小野小町を偲び、参詣者が心うるわしい「心の美人」になるよう願う法要
14時近くになると檀家さんや小野小町ファンなどが集まりはじめました。奉賛会の方が小町の宮について丁寧に説明してくださり、今も小野小町との繋がりを大切にされているのを感じます。
法要が始まり、辺りに読経の声が響きます。はらりと散る、美しい散華の一瞬の美に目を奪われていると、参拝者によるお焼香がはじまりました。お経が終わると奈良市観光協会などの来賓祝辞、住職からの謝辞が行われます。
法要が終わると参拝された方にはお米で作られた優しい味の飴「帯解じょう煎飴」(帯解地黄煎飴/おびとけじょうせんあめ)が配られました。(※無くなり次第終了)この飴は江戸時代の観光ガイドブック『五畿内産物図絵』に紹介されており、母乳がよく出ると大変人気のあるものだったようです。
坂本流「七小町舞踏」美人の小町が年老いるまでの七変化の舞
法要が終わると「良かったら椅子を持って、本堂の方に移動してください」とアナウンスが入ります。舞が行われるのは本堂の左側。ゆったり座って観覧もできますし、後から来た場合でも後ろからもとても見やすくなっています。
舞「七小町」は草紙洗小町、通小町、雨乞い小町、関寺小町、卒塔婆小町、清水小町、鸚鵡小町という、普通はそれぞれ能で舞われる曲で構成されています。7曲を日本舞踊で一度に舞うというのはこの帯解寺の小野小町忌でしか見られません。
奉納する坂本晴千翠(はるせんすい)さん。「小町」といえば美女の代名詞ですが、その小野小町の名に恥じない美しさです。
次は年老いた小町。お面があると視界が悪くなりますが、それを感じさせない舞でした。そしてその舞の美しさから、皺があり、年をとっていてもなお小町は美しく見えました。
もう一度、若い頃の小野小町の姿で舞い、小野小町忌は終了です。
帯解寺の魅力的な年中行事
帯解寺のたくさんある年中行事の中でも7月23日、24日は帯解子安地蔵会式大法会は大きな行事です。屋台も並びます。
他に平安時代の貴重な不動明王坐像などが見られる秘仏公開など、また訪れたくなる行事がたくさんあります。奈良に来る際に足を運んでみてください。
1月1日 修正会
2月3日 節分星祭
3月6日~15日 秘仏公開
3月21日 春季水子供養彼岸会法要
4月24日 小野小町忌 (2023年は4月23日)
7月23日~24日 帯解子安地蔵会式大法要
9月23日 秋季水子供養彼岸会法要
未定 胎教コンサート
11月中旬予定 秘仏・秘宝特別開帳
12月31日 除夜の鐘つき
毎月23日 写経会 (7月を除く)
毎月24日 地蔵尊護摩祈祷(4月・7月を除く)
子安山 帯解寺
〒630-8444 奈良県奈良市今市町734
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