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素朴で古式ゆかしい舞楽 遠州の地に伝わる小國神社 十二段舞楽とは

更新日:2020/7/8 小澤 洋一
素朴で古式ゆかしい舞楽 遠州の地に伝わる小國神社 十二段舞楽とは

遠江の国に鎮座する小國神社の歴史とは

遠江國一宮 小國(おくに)神社の御祭神は大国主命。創祀は社伝によると、人皇第29代欽明天皇の御代16年(555年)2月18日に本宮山に御神霊が鎮斎せられ、後に都より勅使が差遺せられ本宮山麓約6kmの現在地に社殿を造営しました。社殿は明治15年3月の火災により焼失しましたが、明治19年に大社造の本殿で復興されました。焼失する前の社殿は、天平3年(1575)武田方との合戦に勝利をした徳川家康が、御本殿の造営、拝殿・楼門を再建され、江戸時代にも歴代の将軍が社殿の造営や営繕、社領の寄進を行っています。

 


[小國神社の拝殿と舞殿]

天宮神社と対をなす十二段舞楽

 

十二段舞楽は、文武天皇元年(701年)の勅使奉幣の際、奉奏され1300年余もの間継承され続けております。
小國神社は中国を経由して伝わった左方舞の唐楽(からがく)、対して摂社の天宮神社は朝鮮半島を経由して伝わった右方舞の高麗楽(こまがく)で、両社の舞楽は単独のものではなく、別当寺である天台宗八形山蓮華寺を中心とする遠江一宮という地域を金胎両部(こんたいりょうぶ)の思想に二分し、これを左方・右方にも意味付けて、両社の舞楽を番(つがい)とすることにより、遠江の豊饒と国家の安泰を祈る一宮の曼荼羅(まんだら)を形成させました。

演目や舞の内容は、両社の十二段舞楽と共通する部分が多いのですが、微妙な違いが数多くあります。舞の所作やリズムに違いがあり、小国神社の舞が速いテンポなのに対し、天宮神社はゆっくりとしたテンポで舞われます。

 天宮神社例大祭の紹介はこちら

御例祭は新緑が輝き始め、境内に石楠花が咲き乱れる4月18日。十二段舞楽の奉奏は18日に近い土・日曜日に行われます。


[境内の石楠花と新緑]

 

唱歌(しょうが)で舞う

舞子も舞人も唱歌(しょうが)と呼ばれる、旋律を擬音化した数え歌や呪文のようなものを歌いながら舞います。唱歌を口ずさむことで2人、もしくは4人の調子と楽人を合わせて舞うことが出来ます。

[舞子が口ずさんでいるのが唱歌です]

 

古式十二段舞楽の紹介

番外 「花の舞」

番外の曲で「連舞」の前に社家の人々によって舞われる清めの舞です。
竹筒から紙吹雪を撒き祓い清めます。


[花の舞]

一番「連舞(えんぶ)」

稚児のふたり舞で「神に供へる又は押し鎮める」という意味があります。


[連舞]

 

二番「色香(しきこう)」

大人の二人舞で、菩薩の面を着け舞います。

手の指でひし形を作り舞いますが、この手は女性器を表現します。


[色香]

次は男性器を意味する人差し指を立てる所作をして舞います。
これは、男女の交わりによって世の中が繁栄することを意味します。
「色香」は「いろか」とも読めます。男女の交わりを表す舞のタイトルにピッタリな気がします。


[色香]

 

三番「蝶の舞(ちょうのまい)」

稚児の四人舞。蝶が舞い遊ぶ様を現します。小國神社の舞楽古伝書には「庭小鳥」と記されているそうです。


「蝶の舞」

 

四番「鳥の舞(とりのまい)」

この舞も稚児四人舞で、鳥が舞い遊ぶ姿を表現します。


「鳥の舞」

 

五番「太平楽(たいへいらく)」

乱世を正し太平の世にする舞です。舞子が被る鳥兜(とりかぶと)のすそは小國神社では垂らし、天宮神社では吊り上げます。


「太平楽」


[太刀の一人舞]

 

ここまでが神仏への供養のための舞。これ以降は入調の舞楽で、観衆の娯楽の舞です。

 

六番「新まっく(しんまっく)」

稚児の四人舞。笏を手に舞います。

稚児と太刀の舞子たちは3月後半と4月初旬に親元を離れ舞楽合宿を行います。小國神社の記念館で指南役のもと、集団生活をして御例祭の舞楽奉奏にむけて練習に励みます。


[新まっく]

 

七番「安摩(あま)」

大人一人舞で、紙で作った面をかぶり杓を持って舞います。

安摩は海女に繋がるようです。


[安摩]

 

八番「二の舞(にのまい)」

安摩と番舞。神の舞である安摩を真似るが上手くできない老爺と老婆を滑稽に演じます。


[二の舞]

九番「陵王(りょうおう)」

竜頭の付いた金色の面と龍の被り物を付け舞います。


[陵王]

 

十番「抜頭(ばとう)」

稚児の一人舞。優雅な舞です。
日曜の舞の途中から「ざっとらぼー」が行われます。


[抜頭]

ざっとらぼーは稚児と人さらいの合戦です。


ざっとらぼー

 

十一番「納蘇利(なそり)」

陵王と番舞。地に伏す所作の多い天宮神社のの納曾利に対し、天をあおぐような所作が多い小國神社の納蘇利。


[納蘇利]

 

十二番「獅子(しし)」

 

赤ら顔の獅子伏せと獅子役2人の3人で舞い、悪魔払いとも五穀豊穣の祈りとも伝えられ、祝儀舞です。

日曜日の最後の追い込みでは獅子が舞殿の提灯を鼻先で落としていきます。観客はその縁起物の提灯を拾う争奪戦を繰り広げます。


[獅子]

 

神楽舞「いちっこ」

小國神社の 神楽 ( かぐら ) は、「いちっこ」と呼ばれる 巫女の舞で、10歳の女子が鈴を手に舞います。この舞は御旅所と拝殿で舞われます。


[御旅所での巫女舞]

 

神幸祭

日曜日の14:00からは神幸祭が執り行われ、小國神社の大神さまが御旅所へとお出ましになられます。
事待池の付近で舞楽と合流して御旅所に入り、神幸所祭を斎行します。その後、整列して一の鳥居まで進み勅使行列と合流して拝殿まで巡行し還行祭を行います。

勅使行列は、文武天皇大宝元年(701)に勅使参向を復元したものです。

御旅所祭のあと、行列は一の鳥居へ向かい、勅使行列と合流します

オサキ面(猿田彦)が先導

[稚児は地面に降ろすと穢れるということで肩車されます]

[この年の勅使役は太田町長]

 

一の鳥居まで進み勅使行列と合流して拝殿まで巡行します

まとめ

静岡県西部の小さな田舎町、森町に古くから継承されている十二段舞楽。

中央から伝えられ伝承されていく中で、面や装束、楽などすべてが素朴な形に変化していったと思われます。

ぜひ遠江一宮の十二段舞楽をご覧になりに来てください。

小澤 洋一
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小澤 洋一
オマツリジャパン オフィシャルライター

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