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おながわ冬のまつり「おながわ復興記念冬花火」で3,000発の星々が輝く!

おながわ冬のまつり「おながわ復興記念冬花火」で3,000発の星々が輝く!

まもなく東日本大震災より10年が経過しようとしています。宮城県の女川町と言えば、10mを越える津波が町を襲い、メディアでもたくさんの被災状況が報道されていたので、あの状況を見た覚えがある人も多いと思います。

今回は、2015年12月に商業施設であるシーパルピア女川、翌年12月に地元市場ハマテラスが完成した周年記念である、おながわ冬のまつり おながわ復興記念冬花火のレポートです。また現在の女川町がどの様に変わったのかも含めて書いてみましたので、是非読んでみてください。
(この記事は2019年に公開されたものを再編集しています。 2020年12月3日 編集部更新)

現在の女川町

・JR女川駅

JR女川駅は震災当時、土台だけを残して全てが津波に流されてしまいました。駅舎の建て直しに伴って、現在では町営の温泉施設 女川温泉ゆぽっぽ が併設されており、気軽に立ち寄れる日帰り温泉として多くの人に利用されています。

また冬の風物詩としても親しまれているイルミネーションイベントでもあるスターダストページェント2019 海ぼたるは、約4万5000ものLED電球が女川駅をきらびやかに照らしています。1999年から始まったこのイベントは震災時も途切れる事なく続いている様です。

なお、同じ場所には上皇、上皇后両陛下が女川町に復興状況の視察に来られた際の行幸啓碑(ぎょうこうけいひ)、上皇后陛下がJR石巻線の全線運転開通を祝い「春風も沿ひて走らむこの朝(あした) 女川(をながは)駅を始発車いでぬ」と詠まれた御歌碑(おんかひ)が建てられています。

震災後、両陛下は各地の被災地を足繁く訪れ、多くの人達が勇気付けられました。避難所の冷たい床に膝をついて被災者と同じ目線で励ます姿に、特に年輩の方にはどれ程の活力を与えられたか分かりません。被災地復興に貢献された方々であるのは間違いありません。

・商業施設 シーパルピア女川

駅に続くレンガ道には商業施設であるシーパルピア女川が建てられています。町民の日常生活を支えるだけでなく、観光客も気軽に訪れる場所として日用品・工房・飲食エリアに分かれ、27店舗のテナントが集まっています。中央に走るレンガ道は、津波が来た際の高台への避難路としての役割もあります。

翌年には、その一角に地元市場として新しくハマテラスが完成しました。女川町はリアス式海岸を有する天然の港であり、漁業を行うには最適な場所に位置しています。ホタテやカキなどの養殖漁業が盛んで、また沖に出ると漁場も近く、特にサンマの水揚げ量は日本でも有数な地域です。ハマテラスでは、そんな新鮮な魚介類が味わえる飲食店や販売店の8店舗が集まって出店しています。

・女川港周辺

現在も工事が行われており、海を一望できる場所としてゆくゆくは遊歩道や公園などカップルも楽しめる地域や施設が完成される様です。今回の花火は沖に停泊している作業台船より打ち上がります。(株式会社丸本組による台船提供)

おながわ復興祈願冬花火セレモニー

18:10からは商工会長などによる開会セレモニーが行われました。この花火イベントは、おながわ冬のまつりの一部であり、イベントとしては12/21・22の2日間に町民による吹奏楽やコンサート、バンドステージなどが商業施設内の女川まちなか交流館で開催されました。

館内では復興の歩みなどのパネル展示もあります

昨年はクリスマスイヴが休日にあたっていた為、イベントのフィナーレとしてクリスマス花火が打ち上がりましたが、今年は日程の関係で花火だけを24日に移動した様です。また、挨拶の中で来年7月23日に2010年以降休止となっていた女川みなと祭り・海上花火大会が復活するとの発表がありました。

夜間は冷えるのでホットスープが振舞われます

おながわ復興記念冬花火3,000発

カウントダウンの掛け声と共に18:20からは花火の打ち上げが行われました。担当は宮城県仙台市の芳賀火工になります。ウィンターソングや流行曲と共に最大4号玉で約3,000発の花火が打ち上がりました。特に型物花火の形や向きが映えており、普段はあまり見られない貴重な宮城県の花火を堪能できて良かったです。また周辺には様々な添景物もあるので撮影目的でも色々と楽しめました。

トナカイ

サンタクロース

なお、打ち上げ中にはサンタクロースが会場に来ている子供達にクリスマスプレゼントを配って歩く姿もみられました。折角なので花火と一緒に写って貰いました。また花火師さんによると現在でも尺玉を打ち上げる保安距離はある様なので、来年のみなと祭りでは是非とも尺玉の打ち上げを行って頂きたいものです。

まとめ

2011年から自分が得意な事で何か被災地の為にやれないかと、色々な撮影ボランティアに携わってきた事もあったので、今回の女川取材は非常に興味深いものがありました。

現在も携わっているその撮影ボランティアのひとつでもあるLIGHT UP NIPPONの花火でお世話になっている芳賀火工の花火師さんと久し振りにお会いする事もできて、楽しい時間が過ごせました。

また、セレモニーの挨拶でもありましたが、新しい建物ができて便利になっても、一度出て行ってしまった人は戻って来なかったりと町の人口が増えない事に頭を悩ませている様です。現在は少子化の時代なのでなかなか難しい問題だとは思いますが、今後はこう言ったイベントをたくさん行い女川町に住みたくなる様な街づくりをしていきたいとの事でした。あれほどの壊滅的な状況から立ち直り、再び前を向いて進む女川町を見られて良かったです。

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
花火専門カメラマン&花火専門ライターです。
日本の良質な花火文化を後世に残すために記録し、花火に携わる人達を応援しています!

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