Now Loading...

飯田お練りまつりの獅子舞はなぜ巨大?なぜ盛り上がる?現地で考え分かったこと

更新日:2022/4/22 いなむ
飯田お練りまつりの獅子舞はなぜ巨大?なぜ盛り上がる?現地で考え分かったこと

7年に一度、開催される長野県の飯田お練りまつり。2022年はその開催年ということで、待ちに待った祭りの日がやってきた。3月25~27日の日程で行われ、活気あふれた街は獅子舞だらけだった。お祭りの様子は別の記事でレポートしているのでぜひご覧いただきたい。

この記事では、「なぜこんなに巨大な獅子を動かせるのか?」「担い手もかなりの数が必要だろうし、祭りが盛んな背景が何かあるのかもしれない」といった思いから現地での見聞を考察し、飯田お練りまつりで獅子舞が盛んな理由について考えていきたい。

飯田お練りまつりの起源とは?

まずはお練りまつりの起源について紹介しておこう。お練りまつりは元々、大宮諏訪神社の式年祭礼にあわせて行われるお祭りであり、大勢の人が街に出て練り歩くことからこの名前がつけられた。

お練りまつりの実施は江戸時代以降の話だ。慶安4(1651)年に飯田藩主の脇坂安元が大宮諏訪神社の社殿を大きく改築し、それを祝って翌年3月1日に祝賀祭を開催したのが始まりである。享保19(1734)年の大祭ののちに、諏訪社本宮に合わせて7年ごとに開催するようになった。

なぜ7年に1度かというと、長野県諏訪地域に伝わる御柱祭とともに語られることが多い。桓武天皇の頃、坂上田村麻呂は諏訪明神の助けを得て蝦夷を平定したことから、諏訪神社の社領が増加され、税負担により社殿の修造が行われるようになった。これが7年ごとに行われる御柱祭の起源であり、諏訪信仰の広まった飯田もこの影響を受けている。

なぜ巨大な獅子が練り歩くのか?

戦後以降、飯田お練りまつりの出し物といえば獅子舞が圧倒的に多く、現在も大きな見どころとなっている。なぜ日本でも稀に見るほどに大きな獅子舞が、街を練り歩くようになったのだろうか?

代田獅子囃子

戦後の1947年、飯田の市街地のほとんどが焼けてしまう飯田大火が発生した。この時、お祭りも大きな打撃を受けてしまい、古くからの屋台がほぼ焼けてしまったようだ。その後、1950年から飯田商工会議所が立ち上がり奉賛会を組織し、飯田の中心市街地だけでなく周辺地域と協働しながらお祭りを復興していった。

この時、飯田の農村部ではすでに獅子舞が盛んになっており、明治時代以降に盛んになった養蚕で経済力をつけて大型の獅子舞を演じていた。これらがそのままお練りまつりに登場するようになって今日に至る。つまり、農村部の経済力と祭り魂によって作られた巨大獅子が飯田の中心市街地に進出し、お練りまつりを賑わせる存在となったのだ。

日常的に獅子頭に親しむ地域文化

今では獅子舞に対して親しみを持っている地域の方も非常に多い印象だ。飯田市の中心市街地を歩いていると、祭り用品を販売しているお店で「獅子舞グッズ」が多数置かれているのを見かける。例えば、こちらは3000円のダンボール獅子頭。鼻や眉毛がとても可愛らしい。

祭り用品のお店の方にお話を伺ってみると、「お練りまつりで使われている獅子頭は、飯田市の職人さんが作ったものも多いです。15万円から50万円くらいで作ることができます。うちでは獅子頭は作っていませんが、法被や鉢巻きを作っています」とのこと。飯田市内にも祭礼用の獅子頭を作れる職人さんがいらっしゃるようだ。

また、獅子舞の担い手の方から「獅子頭は飛騨高山や仏壇づくりが有名な北信地域などに発注することもありますよ」というお話も聞いた。獅子頭づくりが盛んな地域は長野県内にもいくつかあるようだ。

次世代に祭りを繋ぐ!組織の仕組み

お練りまつりのガイドブックを拝見していて、1つ気づいたことがある。それは、飯田市内の獅子舞団体はほとんど「保存会」によって継承されているということだ。保存会ということは青年団や若連中などと比べると年齢制限がなく、獅子舞に関心がある多世代の地域住民が担い手になることができる。この保存会という組織形態が浸透していることはまず、飯田の獅子舞の特徴と言えるだろう。

また、獅子舞の担い手の方によれば、「お練りまつりの参加団体は年々変わってきました。伝統的な古くからの獅子舞がある一方で、最近新しく獅子舞を作ったところもあります。うちの団体はメンバーが40~50人で、町内の若い人は声をかければ入ってくれる人も多いです」とのこと。獅子舞を作っていくエネルギーや若い人が多数祭りに関わっている雰囲気を感じることができた。

歴史背景を深く伝え、さらに盛り上げる

お練りまつりの期間に飯田の中心市街地を歩いていて、祭りの写真展や展示が多数あることにも気づいた。例えば、こちらは飯田駅の待合室のところに設置されているお練りまつりの写真たち。駅で写真を眺めていると、お祭り気分が高まってくる。

また、「南信州民俗芸能サロン」というものもあった。室内ではお練りまつりの写真や歴史などの解説パネルなどが展示されていた。通りがかりにふと立ち寄ったところ、予想以上の充実ぶりに驚いた。長野県による地域発元気づくり支援金の活用事業の一環で、これらの展示が行われているようだ。

メインの祭りだけでなく、それに合わせて町中の空いている空間を活用して展示を行うことで、祭りのことをより深く知ってもらえる機会にもなる。このような取り組みが広がることで、より地域一丸となって祭りを盛り上げる動きに繋がっていくのだろう。

安全・安心を確保して開催を続ける

このように、お練りまつりでは巨大な獅子が登場し盛り上げるだけでなく、飾り獅子やダンボールの獅子頭作りなどを日常的に親しむという文化も根付いている。それと同時に、空いた空間を活用して祭りの展示も行われているのだ。

コロナ禍において開催するには多くの困難があっただろう。検温と消毒の場所を町中に設置するなど、しっかりとした感染防止安全計画に基づいた取り組みも行われてきたと聞いている。どうすれば7年に一度のお祭りを盛り上げられるか。様々な工夫を現地で感じることができ充実した1日だった。

<参考文献>
飯田商工会議所『令和4年飯田お練りまつり公式ガイドブック』2022年3月
小林経広 ほか編『目で見る信州の祭り大百科』1988年12月, 郷土出版社

いいねを押してこの記事を応援しよう!
この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
獅子舞マニアです。ライターやカメラマンをしています。趣味は、獅子舞の鼻を撮影することです。その他クレイジーな祭りにも潜入します。

あわせて読みたい記事