太鼓の音とともに、大きく舞い踊る虎。大迫力の演舞がとっても魅力的である。今回ご紹介するのは、岩手県山田町の境田虎舞だ。若手の力を生かし、人々を感動する演目をどう作り上げてきたのだろうか?
岩手県宮古市で行われた津軽石郷土芸能祭での演舞の様子をお伝えするとともに、参考文献やインタビューを通して知った境田虎舞の魅力についてご紹介したい。
津軽石郷土芸能祭での演舞の様子
今回、境田虎舞の演舞が行われたのは、岩手県宮古市の津軽石芸能祭。小学校の体育館で行われたこのイベントでは、10時50分から境田虎舞の演舞が披露された。休憩時間に運び込まれる巨大な舞台の鉄骨や笹の葉たち。これからどのような演舞が始まるのだろう?というワクワク感とともに開演した。
まずは1頭の虎が登場!ゆっくりとした様子で辺りを見回す。
2頭目の虎も軽快に登場!
いつの間にか、4頭、5頭と虎の数が増えていく(今回は最高5頭だったが、7頭の時もあるという)。
笹喰み(ささばみ)という演目は迫力満点!牙を笹で研ぎながらも、人間よりも背の高い笹を根こそぎくわえる。
笹をくわえた虎は、立ち上がり、大きな胴体を2本の足で支えて歩き出す。
会場内を堂々と歩く虎たち!虎が横を通ると鳥肌が立つほど圧倒される。
和藤内※の虎退治の演目。最後には虎を馬乗りにする。
最後に再び虎が踊り狂い終了!とても見ごたえのある演舞だった。
※和藤内(わとうない)は、近松門左衛門作「国性爺合戦」の主人公の名前。
大型の舞台で演舞!どのような演目がある?
演目としては、矢車(遊び虎)、笹喰み、跳ね虎がある。矢車(遊び虎)は上機嫌の虎がたわむれ遊んでいる情景を表す。笹喰みは矢車と正反対に、気性が荒くなった虎が獲物を求めて笹で牙を研ぐような様子が見られる。そして、跳ね虎は和藤内の虎退治の物語を舞踊化したもので、捕まるのを恐れる虎が戯れる芸態を示す。
これらの演目は、大型トラックが改造されたような階段状の舞台の上で虎達が乱舞することに大きな特色があり、独創的な発展を遂げたと言えるだろう。
境田虎舞の始まりとは?
虎舞の演目自体は、江戸時代の浄瑠璃である「国姓爺合戦」の虎退治の模様を舞踏化したもので、三陸の海産物を大阪に船で運ぶ水夫たちが習い覚えてきたものだ。
郷土芸能としては、大正時代に地域の交流があった釜石虎舞の演目を習ったことがきっかけで始まった。郷土の守護神である八幡神社や大杉神社の9月15日・16日の祭典に神輿のお供として参加したのが最初の形で、それから創意工夫の末に現在の芸態が生まれたようだ。
次の世代にどう伝えていくのか
演舞ののちに、境田虎舞の会長・小原裕毅さんにお話を伺うことができた。
9月の地域でのお祭りの時に、若手の人材育成という意味で1か月間練習をするのが恒例であること。しかし、今年と昨年はそれができなかったこと。現在の中高生の次の世代をどう作っていくのかを考えていく必要がある、ということをおっしゃっておられた。
コロナ禍において、このような課題を抱える芸能団体は他にも多いはずだ。それでも境田虎舞は虎役が19名、太鼓が9名、笛が3名と、30名以上の担い手が今回の郷土芸能祭に参加していた。
年齢層も30代以下の若手が大半であるようにも見受けられ、若い力が生かされた演舞の内容だった。創意工夫を重ねて発展を遂げた演目が、若い人でもやりたい!と思わせる魅力があるものになっているとも感じた。
境田虎舞の演舞はどこで見られる?
毎年9月にある八幡宮祭典と大杉神社祭典や、町内外のイベント等において、境田虎舞の演舞は披露される。
今年に入ってからは新型コロナウイルスの状況を見ながらも、10月初めに岩手県民会館での公演、11月下旬には山田町の郷土芸能祭と少しずつ出演の機会も増えつつあり、岩手県内を中心に各種イベントに出演されているようだ。演舞の様子はYoutubeでも見られるので、ぜひご確認いただきたい。
参考文献
佐藤敏彦『全国虎舞考』(平成4年3月, 富士印刷所)
津軽石郷土芸能団体協議会作成『第4回 津軽石郷土芸能祭』パンフレット