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祭りの意義は「まちづくり」にある。文化を受け継いでいくために-佐原の大祭

2022/9/30
2024/2/29
祭りの意義は「まちづくり」にある。文化を受け継いでいくために-佐原の大祭

祭りの意義は「まちづくり」にある。文化を受け継いでいくために

千葉県香取市にある佐原は、かつて利根川の水運で「江戸優り」と呼ばれるほどに栄えた土地。現在でも、川沿いを中心にその江戸情緒の面影が残っています。その佐原の風物詩が、約300年の歴史を誇り、関東三大山車祭りの一つに数えられる「佐原の大祭」。佐原の人々が自分の町自慢の山車を曳き廻す、勇壮で華やかなお祭りです。7月の夏祭りと10月の秋祭りがありますが、2020年と2021年は新型コロナウイルスの影響でどちらも中止に。今年、3年ぶりに開催となります。

今では町にとって欠かせない存在となっている佐原の大祭ですが、一時は町の人に疎まれ、存続が危ぶまれたこともあったそうです。佐原の大祭実行委員会の初代会長・小森孝一さんは、当時の大祭を支え、祭りの継承に尽力してきた一人。小森さんが見た祭りの記憶や、古文書をあたって気づいた価値、佐原の大祭を守り続けていくための取り組み、そして3年ぶりの開催への思いなどを語っていただきました。

小森孝一(こもりこういち)
1934年千葉県香取市佐原生まれ。佐原商工会議所顧問、佐原の大祭実行委員会初代会長。佐原の大祭に参加する中で次第に運営の中心を担うようになり、昭和50年代の大祭低迷期には先陣を切って立て直しに奔走。「まちづくり」のための祭りという、現在につながる佐原の大祭のあり方を再発見した。2004年の国の重要無形民俗文化財への指定、2016年のユネスコ無形文化遺産への登録でも重要な役割を果たしている。

――小森さんは佐原のご出身ですが、小さい頃から佐原の大祭は身近な存在でしたか。

小さい頃のお祭りの記憶はあまりないんですよ。昭和16年(1941)、私が7歳の時に太平洋戦争がはじまり、その頃からしばらく大祭も中止となっていましたから。記憶にあるのは、第二次世界大戦終戦直後のお祭りです。8月15日に終戦して、わずか一ヶ月後の9月25日には山車を曳いているんです。佐原の人たちもそれだけお祭りに対する熱意があったのでしょうね。子どもの私も参加しましたが、みんな戦地から帰ってきたばかりですし、めったに飲めない酒も振る舞われて、荒々しい生気に満ちたお祭りでした。

――戦争が終わって、生きている喜びを噛み締めたお祭りだったのですね。その後、大祭に参加する中で印象に残っていることはありますか。

18歳くらいになると、祭りの中枢部である山車の運行に関わるようになりました。町ごとの対抗意識が強いので、頭の中に常にあったのは「隣の町内には絶対に負けるな」。佐原の大祭の山車はただ勢いがあるだけでは駄目で、統制が取れたキレのある動きをすることで評価が高まります。でこぼこの道路でバランスを崩さないよう、若衆たちと息を合わせて山車を曳く。山車がすれ違う時にどれだけ隙間を開けずに通ったか競って、「去年のあいつらは15センチだったから、今年の俺らは3センチでいくぞ!」とか檄を飛ばす。その興奮は印象深いです。

ただ、それがどんどん激化していき、昭和50年代ごろには参加者が盛り上がるだけのお祭りになっていた時期がありました。観光客は足を運ばなくなり、街の人からも「参加者が酒を飲んで喧嘩するばかりで、佐原にとってなんのプラスにもならない」と疎まれるようになってしまったんです。

――祭りを存続するために、小森さんはどうしたのでしょう?

私はお祭り大好き男でしょう、このまま大祭ができなくなったら大変なことになると、同じように危機感を抱いた人たちで集まって知恵を出し合いました。そこで出てきたのが、「そもそもなんでお祭りをやっているんだろう?」という問いでした。当時の大祭の中心にいたのは戦後に生まれ育った人たちです。山車の運行技術はプロ並みでも、祭り本来の意味はまったくわかっていなかったんですね。

グループの一人が「諏訪大社に記録があるはずだ」と言うので、長野まで足を運んで記録を見せてもらいました。佐原の山車祭りの起源は享保6年(1721)と言われており、その頃の記録こそなかったものの、明治10年(1877)からの大祭を記録した古文書が残っていました。とはいえ、明治10年の古文書を自分たちで読むことはできません。宮司さんに頼み込んで当時普及し始めていたコピー機で複製し、専門家に2年かけて解読してもらいました。

ようやく届いたものを読んだ時は、「そういうことだったのか!」と驚きましたね。佐原の大祭の意義が「まちづくり」にあるとわかったんです。

――詳しく教えてください。

佐原のまちづくりの原点をたどると、伊能忠敬先生に行き着きます。忠敬先生は江戸時代にはじめて実測による日本地図を完成させた人物ですが、17歳で佐原の有力商家だった伊能家に婿養子として入っています。そこで佐原の地域づくりにも力を入れているんです。

佐原は武士のいない町人自治の町。だからこそ強力なコミュニティを作ることで、外からの犯罪者を入れなくし、利根川が氾濫した際に協力して逃げられるようにする必要がありました。町内ごとの一体感を築く方法の一つが山車の曳き回しだったんです。

古文書には「祭りは町のために活用すべきである」とも書いてあり、経済振興の資源であったこともわかりました。それからは、山車の有料観覧席を設けるなどして集客の仕組みを整えました。「神聖な祭りを金儲けに使うなんて」と批判もありましたが、史料をもとに説得を続けましたね。そのうちに各町も、自分たちだけが楽しむものから「まちづくりのため、祭りを見せるため」と意識が変化していったんです。祭り本来の価値が広まる中で、さまざまな人の尽力もあり、平成16年(2004)には国の重要無形民俗文化財に指定され、平成28年(2016)にはユネスコの無形文化遺産に登録となりました。

――様々な困難を乗り越え、祭りを伝統文化として守り続けていることがわかりました。今回、3年ぶりに佐原の大祭が開催されますが、どんな思いですか。

古文書を見ると、祭りが毎年開催できていたわけではなかったことがよくわかります。私が子どもの頃の戦争だけでなく、洪水、コレラや天然痘といった疫病で中止となったこともありました。

だから3年ぶりの開催となる今年も、心配することはないでしょう。過去にもっと長い間開催できなかった時でもちゃんと山車を曳けているんですから、大丈夫です。うまいか下手かは別として、みんな体が覚えているんですね。

もちろん、中止となった2年間もお祭りのことを考えていましたよ。毎年開催していると痛んだ山車を修理する時間もないので、この期間を利用して抜本的な修理をしたり、山車を作った昔の職人の技術を改めて学んだりしました。私の東関戸区の大楠公の山車でも、若い衆が中心となって格天井の彫刻の制作を進めました。以前から進んでいた計画ですが、コロナ下においても町内の家々を一軒ずつまわり、「みんなで協力して町内の財産を作りたいんです」と寄付を募るなど、頑張っていたようです。完成した山車は今年の秋祭りでようやくお披露目になります。

――佐原の大祭は山車の運行以外にも手踊りやお囃子が特徴です。お祭りを次世代に継承していくためにはどんな取り組みを行っていますか?

技術向上のため、歌舞伎座の第一線で活躍する笛のプロを呼んで練習会を行ったことがありました。また、佐原には小学校、中学校、高校を対象にした「郷土芸能部」があり、ここでごく基本的なお囃子を教えています。ただ、それだけですべてが身につくわけではありません。佐原は山車も手踊りもお囃子も町ごとに個性があって、それを競っていくので、自分の町のお祭りに参加して身につけていくことが大切なんですね。そう考えると、今回3年ぶりに開催できたことは文化継承にとっての大きな一歩だと思います。

――2022年の佐原の大祭の感染症対策について教えてください。

参加者は一週間前から体温測定と健康観察をし、祭りの開催前に責任者が確認、合格者のみが参加できるようにしています。手指消毒や可能な限りの距離の確保、マスクの着用などの感染対策も行います。

今年のゴールデンウィークごろからは、文化の継承とコロナ下における感染症対策の試行として、一部の町で山車の特別巡行を行っています。実施した町では健康観察や感染対策の経験値がたまっていますし、未実施の町でもその様子をみてそれぞれに学び、当日の感染拡大防止に生かす予定です。

観覧されるみなさまにも安心して参加していただけるよう、さまざまな対策や感染症拡大防止のお願いを行っています。

●観覧をされる皆様へ(新型コロナウイルス感染症拡大防止のお願い)
・発熱の症状、体調に異変を感じている方は観覧をお控えください。
・マスクを着用し、大声を出すことを控えてください。
・観覧中に体調に異変を感じましたら、観覧をお控えください。
・山車の曳き回し区域は込み合うことが予想されます。観覧者の皆様は一定の場所に留まらず、密にならないようにお願いいたします。
・曳き回し区域内に消毒用アルコールを配置しておりますので、細めな消毒をお願いいたします。

●新型コロナウイルス感染症対策の一例
・手が触れる場所の消毒を細めに行います。
・曳き回し区域内に消毒用アルコールを配置します。
・シャトルバス乗り場において、検温の実施、手指の消毒および利用者乗降後に座席や手が触れる場所の消毒を行います。
出展:佐原の大祭夏祭り公式

――最後に、参加される方々にメッセージをお願いします。

祭りを運営しているのは若い衆です。大祭の規約にも書いてあるのですが、佐原の大祭は若い連中がどんどん決めて、年輩者はそれを承認するのみ。例えば、普段は区長に一番権限がありますが、山車を曳く時には「当役」と呼ばれる若者に決定権があります。もし区長が何か口を挟んでも、「ちょっと黙ってて下さい」で終わりです(笑)。非常に民主的なお祭りなんですね。だからすでに運営を退いた私から言うことはありません。事故なく楽しくやってくれたら十分です。ご覧になるみなさまにも、ぜひ魅力を味わっていただけたらと思っています。

Photographer/高橋昂希
取材:2022年7月6日

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