お祭りの舞台は漁師町
三重県南伊勢町贄浦(にえうら)。静かな漁師町の贄浦が今回のお祭り「浅間祭(せんげんさい)」の開催地になります!今年の開催は6月23日、毎年6月下旬に行われています。
贄浦の看板には、”贄浦”と言う名前が付けられた由来が書かれていました。伊勢神宮とのつながりがあるのですね!
今年はあいにくの雨の中の浅間祭ですが、午前10時を過ぎて遠くから太鼓の音が聞こえてきました。
半纏を来た男達が登場。贄浦の浜へ向かって進んでいます。波を模った半纏が、漁師町らしくユニークです!
浜へ向かい、海で禊を行う
防潮堤を越え、浜へと向かっていきます。天高く竹幣が上げられ美しいです!
防潮堤に登ってしまえば、浜はもう目前です。
浜へ着くと、海で禊を行います。足や手を灌いで、中には顔を灌いでいる方もいました!
海を背に行う舞が美しい
禊を終えると本格的にお祭りがはじまります!竹幣を浜に立て、それを中心に舞が開始されました。
舞の先頭は朱塗りの桶を担いだ男性です。一人だけ周りと全く違う舞を行っていて、行列の前を歩き桶から水を撒いている様子は、お清めをしているのでしょうか?
歌が歌われる中、舞が行われます。鈴がキラキラなる音と併さって独特な雰囲気を作っています!
6/23に行われた南伊勢の浅間祭@贄裏の舞の様子。この浜で舞った後に、奥の山の頂上にある神社を目指して進んでいきます。浅間祭りの「浅間」は富士山のことを表していて、毎年夏至の後にお祭りが行われています。各浜(浦)で行われていて、一説には津波からの避難練習を兼ねていると言う話もあります pic.twitter.com/44rRAyGNGx
— 高橋佑馬@お祭りトラベラー (@yuma_walking) June 25, 2019
5分程度舞が行われると、奥の山の頂上にある”浅間神社”目指して進みはじめました!この山は贄浦から延びる半島の先にあり、かつては海を見渡す見晴台として使われていたそうです。
浅間祭@贄浦、鈴の音を鳴らしながら、浜から山の上の神社目指して進んでいます。朝は豪雨だったのですが、お祭りがはじまるとともに止みました。竹幣は若い衆が持つ習わしのようです。漁師町らしく、白い長靴なのがいい! pic.twitter.com/MhU9TvKtV9
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若い衆が竹幣を持ち、浜を進んでいきます!漁師町らしく、みんな白い長靴を履いているのがいいですね。
気づけば雨も上がり、多くの町の人が出てきてお祭りを見守っています!
神社へと続く、山の入口付近までやってきました。ここでもう一度舞が行われます。
後ろの山とのコントラストが美しいです!
浅間祭@贄浦、浜を進み、神社のある山への入り口で最後の舞と歌の奉納です。このなんとも言えない独特な雰囲気がいいです! pic.twitter.com/nIctmlL8En
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山を駆け上がります!
いよいよ頂上の浅間神社を目指して、山へと入っていきます。ここからは竹幣を担いできた、若い衆が主役になります!
竹幣を浜から山側へ上げ、山の入口の鳥居へと向かいます。
若い衆が2人1組で走って浅間神社へと向かいます!かつては集落ごとに竹幣が10組あり、競い合うように山を登っていたそうです。その競争が一説には、三重県特有のリアス式海岸で起こりうる津波から逃げるための、避難訓練を兼ねていたのではと言うお話がありました。町の人が集まるお祭りに防災の機能を重ねる、先人の知恵なのかもしれませんね!
竹幣を2人1組で担ぎ、険しい山を頂上まで登っていきます!若い衆の見せ場ですね。浅間祭@贄浦は静の舞や歌と、動く竹幣奉納のコントラストが見ものです! pic.twitter.com/laqOlM8P8W
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若い衆に続き、大人衆も山を登っていきます。
山頂へ到着すると、若い衆が竹幣を木にくくりつけていました。6本の竹幣を山頂に立て、奉納完了です!
竹幣が山の頂上の神社へ到着しました!まさかのここから木に括り付けると言う大仕事もありました!若い衆が軽々しく木に登っていてたくましいです! pic.twitter.com/buD6NFgdEw
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ところで、半纏を着ている大人衆の帽子がユニークだとは思いませんか?この帽子は”頭巾(とうきん)”と呼ばれ、皆さん違う柄の頭巾を被っています。
こちらの方はオレンジ色の頭巾。たくさんの鶴が羽を広げ飛んでいる模様は、千羽鶴のようで縁起が良いですね!
こちらの方は赤ベースに桜が敷き詰められた模様です。かわいらしい!
「サンゲ、サンゲ、ロッコンショウジョウ」
山の頂上、浅間神社に向かって今回のお祭り最後の儀式がはじまります。
まずは浜で行われていたものと同じ舞が奉納されます。
浅間祭@贄浦、竹幣が奉納された後は浅間神社に向かっての歌と舞の奉納です!海を模った半纏がいいですね! pic.twitter.com/sPmftrQFbi
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舞が終わると、ガラッと雰囲気が変わります。浅間神社に向かって座り、「サンゲ、サンゲ、ロッコンショウジョウ」と言う言葉を唱えはじめました。この「サンゲ、サンゲ、ロッコンショウジョウ」は「懺悔、懺悔、六根清浄」と漢字では表記し、修験道に伝わる言葉です。みんなで声を揃えて唱えられ、独特な雰囲気に包まれます。
浅間祭@贄浦のクライマックスは、さっきまでの舞や歌とは一転して、さらに独特な空間を醸し出すものになっています。「サンゲ、サンゲ、ロッコンショウジョウ」と言う、修験道に伝わる歌が山頂の浅間神社へ唱えられます。神社の裏へまっすぐ行くと富士山があり、富士山信仰との関係を感じられます。 pic.twitter.com/RsIQEjdynK
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富士山とのつながり
ここまで紹介してきた浅間祭ですが、贄浦をはじめ南伊勢地方で浜ごとに行われているお祭りになります。この日は隣の浜の東宮で、同じように浅間祭が開催されていました。
では浅間祭とは一体なんなのでしょうか?その秘密は富士山にあります。富士山の麓、静岡県富士宮市に富士山本宮浅間大社がありますが、こちらが全国に1300社ある浅間神社の総本宮になります。ご神体はもちろん富士山。この富士山信仰(浅間信仰)が伝わり、特徴的に地域ごとのお祭りとして盛んに営まれているのが南伊勢地方になります。
贄浦で行われる浅間祭の翌週、7月1日には富士山で山開きが行われます。お祭りの時期的な近さからも富士山とのつながりを感じられますが、なんと浅間神社の上にはきれいな富士山の飾りが掲げられています!しかもこの富士山の飾り越し(浅間神社越し)にずっと先まで行くと、本当に富士山があるそうです!
三重県の漁師町に伝わる歴史ある浅間祭、いかがでしたでしょうか?三重県でありながら富士山とのつながりがあるこのお祭り。これは仮説ですが、震災がその縁をつないでいるのかもしれません。江戸時代の宝永4年(1707年)。この年に起きた宝永地震では、贄浦をはじめ南伊勢地方は津波の大きな被害を受けました。贄浦にある最明寺には津波供養塔が伝わっていて、そこには60名の方が津波で亡くなったことが刻まれているそうです。
また同じ宝永4年に、富士山が噴火しています。宝永大噴火と呼ばれ、関東一体に大きな被害をもたらしたそうです。浅間信仰はこのような災害、防災を伝えることと重なって広く伝承されていったのかもしれませんね。
贄浦での浅間祭は毎年6月下旬に開催されています。ぜひこの独特な雰囲気を、現地に行って味わってみてください!