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なまはげは、江戸時代とこんなに違うの!?秋田県男鹿市・菅江真澄研究会にインタビュー

更新日:2021/2/13 いなむ
なまはげは、江戸時代とこんなに違うの!?秋田県男鹿市・菅江真澄研究会にインタビュー

江戸時代と今では、なまはげ行事の内容が全然違っていたという。なまはげといえば、怖いお面をかぶり「なまけものはどこだー!」と声を張り上げて、家の中に入ってくる恐ろしい姿を思い浮かべる方が多いだろう。しかし、江戸時代を生きた旅人・菅江真澄の旅行記を読んでいると、これらの私たちがイメージするなまはげとは印象が異なる描写ばかり。実際、何がどう違っていたのかを男鹿市菅江真澄研究会の天野荘平さんに電話でお話を伺った。

現代のなまはげ行事に関する基本情報

まずは、現代のなまはげについて再確認しておきたい。なまはげは元々、秋田県の男鹿半島を中心に小正月などに行われる来訪神行事だ。現在は鬼面やケラ、ケデなどを身につけ村の各家々を回る。入る時は、先立ちが「これからなまはげが来ます」と知らせてから、なまはげが「うおー!」「なまけものはどこだー!」などと叫び声をあげて家の中に入ってくる。迎え入れる家は、お膳やお酒などでもてなし、「怠けないで頑張ります」というような言葉を述べて、なまはげを送り出す。このような流れである。近年は観光化も進み、毎年2月中旬には観光客向けに「なまはげ柴灯まつり」などを実施し、人口減少や高齢化が進む中で、少しでもなまはげに興味を持ってくれる人を増やそうという動きも広がっている。2021年は2月12~14日に開催予定だ。

江戸時代のなまはげは、どんな姿だった?菅江真澄の旅行記から読み解く

それでは、江戸時代のなまはげは今とどこが違ったのだろうか。江戸時代(1754年-1829年)を生きた菅江真澄という旅行者の紀行文である、『男鹿の寒風』や『男鹿の島風』になまはげ行事の場面が登場する。いずれも1810年頃の記録である。これは、当時としては、珍しいなまはげに関する貴重な記録であり、どのようなことが書かれていたのかについてここで触れておく。書物の解釈についてはお電話で、男鹿市菅江真澄研究会の天野荘平さんに詳しいお話を伺った。

現代のなまはげと違う点①服装や身につけているもの

出典:秋田県立博物館

まずはこちらの絵を見ていただきたい。こちらは、『男鹿の寒風』に出てくるなまはげが登場する場面だ。小刀を持って、お面をかぶり、不意に入ってくるなまはげに、家主が餅を差し出している。まず、現在のなまはげは出刃包丁を持つが、この時は小刀だったそうだ。そして、お面も鬼のような怖い形相のものがある一方で、「ひょっとこ」のようなお面をかぶっている。「ひょっとこ」は現在のなまはげには登場しない。そして、腰に下げている小箱にも注目だ。これは、現代のなまはげには見られない。先祖の歯、小豆が入っているなどといわれるが、はっきりしたことはわからないという。先祖が帰ってくるという来訪行事であることの表れだろう。

現代のなまはげと違う点②なまはげ役をする人の年齢と動作

昔のなまはげは、独身の若者がほとんどであったが今では、若者から70代のご高齢の方まで幅広い年代がなまはげ役を務める。また、なまはげが家に入ってくる動作も玄関で足踏みをする町内、しない町内などがある。そして叫び声をあげたり、家の中まで入ってきて子供をおいまわしたりと、暴れ放題のようだという。菅江真澄の記述によれば、そのような動作について書かれてはおらず、なまはげが不意に現れ驚き、家主が玄関先で餅を渡すという風に、比較的静かに玄関先でやりとりが終わるという描かれ方をしている。

現代のなまはげと違う点③なまはげに対する人々の意識

江戸時代の人々にとって、なまはげはどのような存在だったのだろうか。なまはげの語源は、「生身を剥ぐ」だったそうで、脛に火文ができるまで囲炉裏にあたって仕事を怠けている人を諌めることだという。つまり、先祖が山から降りてきて、村人の子孫をうまく導いてくれるという考え方だ。ナマハゲが帰る時、村人はお餅を渡すのである。なまはげと似た行事には、餅の存在があるといわれる。そういえば、山に住む人はお餅が好きだという話は、全国各地の民話にも登場する。遠野物語を読んだ時にも、木を切る仕事の人が、餅を供えてから山に入るという話があった。実際に現在のなまはげでは、餅ではなく、お金がほとんどのようだ。熨斗袋には「御祝儀」「年賀」「年始」「寸志」などと書かれているそうで、天野さんは餅からお金に変わったので、餅の名残として「餅代」で良いのではないかともおっしゃっている。確かに、なまはげ行事の原点に返ると、それがしっくりくるやり方かもしれない。

時代の変化を知った上で、なまはげを楽しむ

私たちは、なまはげという民俗行事を通して、昔の人々が大事にしていた感覚を思い出すことができる。そこには、先祖に感謝したり、寒い中でも怠けずに仕事を頑張るということだったり、普段忘れてしまいがちなメッセージが込められているのである。近年、なまはげは生活の中に息づくものとしてだけではなく、観光客向けの見世物という感覚も広まってきている。無形文化遺産に登録されたことも相まって、認知度も広がりつつある。この機会に再び原点に立ち返り、なまはげ行事が大事にしてきたことに思いを馳せるのも良いだろう。

参考文献
菅江真澄,『菅江真澄遊覧記 5』, 平凡社, 2000年

参考リンク
http://www.masumiken.com(菅江真澄研究会)

※ 男鹿市菅江真澄研究会は菅江真澄を通して、男鹿市の歴史や文化についての理解を深め、次世代へと継承しようと活動をされているそうです。

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
獅子舞マニアです。ライターやカメラマンをしています。趣味は、獅子舞の鼻を撮影することです。その他クレイジーな祭りにも潜入します。

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