梅雨の晴れ間、嬉しいですね。しっとりした梅雨も素敵ですが、洗濯物が乾かないのはまだ良し、危険な豪雨災害も頻発するこの季節、「青天」を待ち侘びる気持ちが高まります。
晴れの願いを込めるのは昔から「てるてる坊主」と決まっていますが、その起源をさかのぼるととある伝説にたどり着きます。この記事では、映画『天気の子』にも似たその伝承と、薩摩川内はんやまつりで行われる「リアルてるてる坊主」について紹介します。
そもそも「てるてる坊主」って何?
「てるてる坊主」は「テリテリ坊主/法師」などとも呼ばれ、望んだ日を晴れにしたいときや、長続きする雨を止めたいときに、軒先につるしてお祈りする紙の人形を指します。江戸時代にはすでに盛んに行われていたことが文献などでわかっていますが、起源は定かではありません。
起源は晴れを願う「天気祭」?
妖怪道中記:岩手県北上市「鬼の館」を訪問。展示されていた虫送り人形は害虫を人形につけて災害を逃れようとする行為で、岩手県の北部で盛んに行われているそう。男女一対の鬼形で集落をひとめぐりして川に流されるそうです。 pic.twitter.com/Z2HZzxLFIN
— 妖怪サロン (@yokaisalon) August 26, 2021
稲作・農耕の根付いた日本では、天気は常に人々の関心ごとでした。そのため、古代から「雨乞い」や「日乞い」の儀式が行われてきました。特に農村では近代まで「天気祭」と呼ばれる日和乞いの行事があり、ワラで束ねて作った男女2つの人形を、村境に飾るなどしていたそうです。
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山口県萩市付近や福岡県小倉には「日和坊主」という人形を作り、軒先につるす風習があります。民俗学者の柳田國男は、この風習を「虫送り」や「疫病送り」と同じく、「害」を人形に託して鎮めるまじないの一種だとしています。
知ってる?正しい「てるてる坊主」の作り方
皆さんは正しいてるてる坊主の作り方や吊るし方を知っていますか?
といっても、作り方自体はそう難しいものではなく、丸めたティッシュや布を、別のティッシュで包み、首をゴムで止めればいいのですが、ここではまだ顔を描き入れてはいけません!
のっぺらぼうが可哀想でつい目鼻を描きたくなりますが、正式には、願い叶って「晴れ」の日になった際に顔を書き入れて、神社などで弔うべきなのだそうです。半分だけ顔を描いて、願いが叶ったらもう半分を描く、という説もありますが、ダルマの目入れとの混交かもしれません。
「坊主」じゃなくて「女子」!?
さらにてるてる坊主の起源をさかのぼっていくと、中国までたどり着きます。てるてる坊主の起源は、次のような伝説だという説もあるのです。
「掃晴娘」伝説が由来か?
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その昔、中国のある村に「掃晴娘(サオチンニャン)」という娘がいました。その村は、長く降り続く雨のせいで水浸しになり、作物は枯れ、人々は疫病に苦しんでいました。
そこで掃晴娘は雨の神「龍神」に、雨を止めてもらえるようにお祈りをします。すると、天上から「我のきさきとなるなら、雨を止めてやろう」と声が響いてきました。
掃晴娘がそれを受け入れると、雨は止まり、空は澄んだ青空をのぞかせるのでした。それと同時に掃晴娘は天に登り、二度とその姿を見せることはありませんでした。
また、北京ではこのような話も残っています。
その昔、北京には手先が器用で切り紙を得意とする、美しい娘「晴娘」がいました。ある年の6月、北京を大雨が襲い、水害が起きました。
晴娘や人々が天に向かって空が晴れるようにお祈りすると、雨の神の使いが現れこう言います。「雨の神が晴娘をきさきに望んでいる」と。
晴娘がそれを承諾すると、一陣の風が吹き、空が晴れ渡ると同時に、晴娘はその姿を消してしまいました。その後雨が続くと、彼女をしのんで切り紙の人形を門に飾るようになったそうです。
この話が中国から仏教とともに伝来したため、日本では飾る人形をてるてる「坊主」と呼ぶようになったのではとも言われています。
映画『天気の子』は「てるてる坊主」の物語?
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「掃晴娘」や「晴娘」の逸話は、雨の神にいけにえを差し出すことで天気を晴れに変えてもらう、というものでした。この展開は、大ヒットした映画『天気の子』(2019)のストーリーに似ていると思いませんか?
映画では、異常な雨が降り続く東京で、主人公の少女・天野陽菜がいけにえとして天に昇ることで東京に晴天が戻ってきます。天野陽菜がてるてる坊主と共に登場することなどから、ファンの間では「掃晴娘」がモデルになっていると考察されています。
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『天気の子』監督の新海誠さんは、大ヒットした『君の名は。』でも自身の故郷信州の風習を取り入れたり、民俗学や古典にも造詣が深いことで知られています。きっとこうした伝承についてもご存知で作品に取り入れたのではないでしょうか。
「リアルてるてる坊主」のお祭りがあった!
鹿児島県薩摩川内市で行われる「薩摩川内はんやまつり」は、毎年11月の第1日曜日に、市内国道3号で開かれるお祭りです。1968(昭和43)年に開戸橋の開通記念として、川内に古くから伝わる民謡、「川内はんや節」を、市民が沿道で踊って祝ったのがはじまりとされ、その後も「薩摩川内はんやまつり」として現在まで続いています。
音楽隊や神輿のパレードをはじめとした路上パフォーマンスの数々が人々を魅了し、中でも九州最大といわれる武者行列は圧巻の一言です。また、「はんや踊り」は市内外から約5000人もの踊り連が参加するもので、市民にも市外の方にも広く愛されるお祭りとなっています。
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そして本題は、「薩摩川内はんやまつり」の前に行われる「晴れ乞い祈願」のこと。
はんやまつりの当日が晴れるようにと行われるこの「儀式」。願をかけるために頭を剃った氏子代表が、白い布で全身を覆ったリアル「てるてる坊主」に扮し、踊り手や囃し手をはじめとした関係者が、その頭を手拭いでピカピカに磨き上げていきます。コミカルなやり取りを楽しみながらも参加者一丸となって晴れを祈る姿は、祭を楽しむ共同体の喜びに満ちているように見えます。
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まとめ
当記事では、てるてる坊主は中国の「掃晴娘」が元になったとする説を紹介しました。また、てるてる坊主に関連して「薩摩川内はんやまつり」の「晴れ乞い祈願」もご紹介しました。てるてる坊主に興味を持った方や、お祭りに興味を持った方は、この機会に足を運んでみてはいかがでしょうか。