1月2日(土)に鳥越神社・成田山東京別院深川不動堂(以下「深川不動堂」)・富岡八幡宮に初詣に行って参りました。新型コロナ対策のため分散参拝を推奨されていたこともあり、神社によって全然違う状況で、鳥越神社は人が殆どおりませんでしたが、深川不動尊や富岡八幡宮に関しては結構人手がある状態でした。NHKの「都内の元日の人出」のよると、23区内は例年に比べ人出が減ったようで、確かに体感と一致していましたが、そのような初詣の様子を個別にレポートいたします。
鳥越神社の初詣の様子 -人が閑散-
鳥越神社は日本伝承大鑑によれば「祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。東征の折にこの地に留まったことを近在の者が尊び、白鳥神社を建立したのが始まりとされる。その後、永承年間に源義家が奥州征討へ赴く際、この付近を渡河しようとし、白い鳥に導かれて浅瀬を渡ることが出来たため、鳥越神社と改称したという伝承が残る。」とあります。651年頃の創立で、鎮座1350年の古社ということになりますが、大変長い歴史を有しており、何度疫病を経験して来たのだろうかと思いました。
午前中に初詣に行きましたが、写真通りの人出となります。例年どのぐらいの人が鳥越神社に初詣に行っているのか気になり調べてみますと、『神社人』というサイトによると約1万人とのことで、鳥越祭の印象が強かったので少し驚きました。
徳川家康を祀っていた松平神社が関東大震災で焼失し、鳥越神社に併合されたため、徳川家康のありがたい言葉が掲示されておりました。ちなみにライターは外出する時は殆ど手ブラです笑
深川不動堂の初詣の様子 -屋台もあり活気あり!-
深川不動堂についてHPによると「千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の東京別院です。古くより『深川のお不動様』と親しまれて参りました。その開創は元禄16年と伝わり、成田山の御本尊を江戸に奉持し特別拝観したことに始まります。この御尊像は、弘法大師自らが敬刻開眼されたと言われており、現在深川不動堂で奉祀する御本尊はその御分霊を勧請した、御分身であります。成田山別院の嚆矢として法燈は今も守り継がれ、日々皆様の諸願成就をご祈念いたします。」とのことです。
お寺ですので先程の神社人には参拝人数に関する情報が載っておらず、目安となる人数が分かりませんでしたが写真で見るように、とても沢山の人が参拝しておりました。
お寺の境内に入ると、お守り購入や、おみくじ購入の待機者が多く見られました。参拝の列は200m程となっており、大変な賑わいを感じました。参拝が終了したら、そのまま近くの富岡八幡宮に向かいました。
富岡八幡宮 -落ち着いた印象-
深川不動堂から富岡八幡宮の本殿に向かうまでの間も、概ね200m程あるのですが、その間にも屋台が充実しておりました。吉原遊郭編のアニメ化配信の決定した人気アニメ『鬼滅の刃』の屋台もありました。
こちらは正面入り口からの写真です。着物を来た綺麗なお姉さん達が日本酒や和風の食べ物を提供しておりました。ライターは甘酒を美味しく頂きました。
初詣恒例のおみくじも人気で列が出来ておりました。写真では分かりにくいのですが、テントの右側に待機列がつくられていました。富岡八幡宮はおみくじ待機列に並んでいる人の年齢が高めだったように感じました。
富岡八幡宮は本殿まで50mぐらいの待機列が出来ていましたが、横に沢山列をつくれていたので、スムーズに進んで行くことが出来ました。
初詣に参加された皆さん、胸に秘める願い事等を丁寧に祈願されておりました。先程の『神社人』によれば、富岡八幡宮は約20万人参拝者がいるようで、その規模に比べれば、人出は減ったのかなと思いました。
富岡八幡宮はHPによると「寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。世に『深川の八幡様』と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める『江戸最大の八幡様』です。江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念されました。」との由緒が分かります。
コロナ禍の初詣に参加して
新型コロナ禍の初詣にいくつか参加して来ましたが、23区内は何処も人出が減ったことを体感出来ました。そんな中でも、皆さん安全・安心の対策を施した上で、出来る限りのことを行い、頑張っている様子が見られました。長い歴史を持つ神社仏閣ばかりですが、疫病が流行る度に、このように時代時代で出来ることを積み重ね、幾星霜を煌めく祈りを受け止めて来たのでしょう。来年は新型コロナが収束し、思いっきり初詣を楽しむことが出来ればいいなと思いました。