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継ぎ獅子って何?その意外な由来と「高さ」を追い求めた理由とは

更新日:2022/8/24 稲村 行真
継ぎ獅子って何?その意外な由来と「高さ」を追い求めた理由とは

二継ぎ、三継ぎ、四継ぎ…。獅子はどんどん高くなる。一番下の人は肩の上に人を乗せ、そのまた上に人が乗る。頂点に立つのは子どもであり、不安な顔一つせずに堂々としている。

日本中でも非常に珍しいこの獅子舞は、愛媛県今治市とその周辺で継承されており「継ぎ獅子(つぎじし)」という名前で親しまれている。継ぎ獅子の特徴を知るとともに、なぜ継ぎ獅子は生まれたのか?という背景も探ってみたい。今回は2022年8月7日に今治市内で行われた市民のお祭り「おんまく」での演舞の様子とともにお届けする。

継ぎ獅子とは?

まず基礎知識として、継ぎ獅子について簡単に触れておきたい。継ぎ獅子は愛媛県今治市や越智郡などで広く発達して演じられる曲芸的な立ち芸のことだ。

獅子頭と胴幕を被った舞い手はそれらを脱ぎ、突如組体操をするかの様に、肩の上に次々と人を乗せていく。頂点に登る子どもを獅子児(ししこ)と言い、扇や鈴を持ちながら舞う。非常にアクロバティックであり、観客を魅力する獅子舞である。

おんまくで披露された継ぎ獅子の演舞

それではここで、8月7日の夕方に今治市内で行われた市民のお祭り「おんまく」に訪問して拝見した継ぎ獅子の様子を振り返りたい。

ここでは鳥生獅子舞に焦点を絞り見ていくことにする。獅子舞の演舞は、はじめに獅子の胴幕と獅子頭をかぶる、通常のよく観る獅子舞の形態から始まる。 胴幕の部分がとてもカラフルだ。

獅子舞は口を開けると、赤い舌のようなものが出てくるのが可愛らしい。舞い方は上下動がかなり激しく、獅子頭に取り付けられた銀色の鈴がシャンシャンと鳴る。

この獅子舞が一旦解体され、始まるのが三継ぎの獅子だ。まずは二継ぎ獅子を4組作ってから、子どもの方を上に持ち上げて合体させることで、三継ぎ獅子が2組完成する。

こちらが完成した三継ぎ獅子だ!

「獅子舞」とは言っても、獅子頭を被るわけではない。継ぎ獅子の中でも獅子頭を被るタイプのものもあるが、今回、おんまくに出演していた団体は獅子頭を被っていなかった。日本全国には、新潟県の角兵衛獅子のように獅子頭を被らない子どもが演じる獅子舞も存在する。

頂点の獅子児は、単に肩車をしてもらうだけでなく様々な芸を披露する。例えば、このように肩の上に立つこともある。

難易度が高い技だと、子どものひざ部分を上に突き上げる形で支えるという技も見られた。二段目の人の安定感が試され、腕の見せ所だ。子ども達は怖がる様子を全く見せないのがすごいと感じた。

難易度が高い技になると、一番下の土台の人に補助が入るようだ。グッと支える力強い腕がとても印象的だった。

このように獅子舞から継ぎ獅子までの一連の流れが繰り返された。時には獅子舞の胴幕の上に子どもが扮する三番叟が乗ることもあり、少しずつ変化が見られた。それにしても、見飽きることがないアクロバティックな技の数々に感動しっぱなしだった。

団体ごとに異なる衣装と技

今回のおんまくでは6組の継ぎ獅子の団体が出場したため、様々な継ぎ獅子の演舞を拝見することができた。

例えば、こちらは今治市の延喜獅子舞だ。鳥生獅子舞とは衣装も技も少しずつ違っており、延喜獅子舞のほうは子どもがうっすらと化粧をして鉢巻を巻いている。衣装が派手でとても手が込んでいるように見えた。

また、阿方獅子舞は獅子舞が1頭だけでなく、デザインの違う2頭が激しく舞った上に、天狗も登場する場面が見られた。獅子舞の髪は緑、黄、赤など様々な色が使われていてとてもカラフルだ。

主に獅子頭と胴幕を身にまとった獅子舞と、上に上に伸びていく継ぎ獅子が交互に繰り返されるという流れはどの団体もほとんど共通しているようだ。また、今回はどこも三継ぎ獅子を演じており、頂点には子どもが上ることになっていた。継ぎ獅子としてのアイデンティティは持ちつつも、各団体ごとに個性があり見所満載だった。

継ぎ獅子の由来

継ぎ獅子の始まりは江戸時代中期に遡り、先ほどご紹介した鳥生獅子舞が最古のようだ。きっかけは現在の今治市にある鳥生村三嶋神社で、「祭礼の神輿渡御が貧弱だから獅子舞行列を加えたい」という話が出てきたことだったという。

氏子総代決議の結果、村人を獅子舞修行に出すことに決まった。春から秋にかけて伊勢大神楽の流れをくむ獅子舞を習得して、それを村の若衆に教えたのが始まりとされている。鳥生の三嶋神社には、獅子発祥の地の石碑が建てられており、今も5月の祭礼で獅子が登場する。この由来を考えてみるとわかるように、継ぎ獅子が「魅せる獅子」として導入されていったことが伺える。

※明治初期に高山重吉という人物によって始められたのが継ぎ獅子の発祥という説もある。おそらく明治になってからの方が今の芸風にかなり近づいたということであろう。

なぜ獅子の背が高くなる?

なぜ獅子の背がどんどん高くなるのか?というと、天へ届くように上へ上へと芸風を磨いていった結果とも言える。ここには「神様に近づきたい」という意識が少なからずあったとされる。

継ぎ獅子の原型となった伊勢大神楽では人の肩の上に獅子が上がる「二継ぎ」の獅子が演じられるが、継ぎ獅子の場合は3段の三継ぎ、4段の四継ぎが当たり前だ。かつては五継ぎや六継ぎまであった。そうなると、一番下の人は4~5人分の人間の体重を支えるわけだから、相当丈夫な身体と技術が必要になるだろう。

今治で継承される継ぎ獅子の数々

このように継ぎ獅子は素晴らしい技術に支えられ、観客を魅了する獅子舞として今でも受け継がれている。1年のうちで継ぎ獅子が数多く見られる時期といえば5月。今治市の継ぎ獅子開催情報はこちらの今治市ホームページにまとまっている。

令和四年度はコロナ禍においてどこも中止になってしまったようだが、来年以降の開催に期待しよう。継ぎ獅子に関心を持った方は、ぜひ現地で見ていただきたい。

参考文献
久保田裕道『日本の祭り 解剖図鑑』(2018年11月, 株式会社エクスナレッジ)
阿方文化連盟会長 二宮大『阿方獅子舞・昭和~平成の歩み』(平成19年8月, 原印刷)
近藤晴清『愛媛のまつり』(昭和47年1月, 新居浜観光協会)

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
日本全国500件以上の獅子舞を取材してきました。民俗芸能に関する執筆、研究、作品制作等を行っています。

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