毎年8月14日~16日に開催されている、新潟県魚沼市堀之内に伝わる盆踊り「大の阪」に参加してきました。優雅で哀愁漂う唄や踊りは、江戸時代からの伝統が現代まで受け継がれています。
そんな貴重な盆踊りをレポートします!
越後堀之内ってどんなところ?
新潟県中越地方の南東部に位置する魚沼市堀之内地域は、周囲を山々に囲まれた日本有数の豪雪地帯です。この地はかつて、越後と江戸を結ぶ三国街道の宿場として賑わっており、魚沼地方特産の織物である越後縮(ちぢみ)の集散地として栄えていました。
大の阪の起源は定かではありませんが、江戸時代中頃から始まったとされ、この越後縮(ちぢみ)の取引で京阪地方へ行き来していた商人たちによって伝えられたと言われています。
「大の阪」の会場となるのは、JR上越線越後堀内駅から徒歩5分のところにある、八幡宮(藪上神社)の境内。こちらの神社は9月に開催されている「堀之内十五夜まつり」や2月に開催されている「雪中花水祝」のメイン会場にもなっています。堀之内は1年を通して伝統的なお祭りが行われている地域です。
大の阪は、毎年8月14日~16日の3日間踊られています。
大の阪のシンボル高さ6メートルの櫓!
会場までの道を歩いていると、暗闇の中にぼんやりと灯りが見えてきました。この道中のワクワク感が堪らないです。
会場に到着すると、薄暗い境内にひときわ存在感のある櫓が目に飛び込んできます。境内の真ん中にそびえ立つ木製の櫓は、高さ6メートルほどあり、その中心には「大の阪」という文字と、唄の歌詞がビッシリと描かれた六角灯籠が吊るされています。
装飾などは一切ない素朴な雰囲気は、江戸時代にタイムスリップしたかのような感覚になります。
盆踊り開始時間の19時半になると寄せ太鼓が鳴り、いよいよ踊りが始まりました。
ご先祖様に想いを馳せて優雅に踊る
大の阪は、念仏を唱えながら踊る「念仏踊り」が源流とされており、御詠歌調の歌詞の中には「南無西方(なむさいほう)」の文句が入っています。流行りの歌詞を取り入れつつも、先祖供養の意味合いが強く残っています。
唄、篠笛、太鼓という構成で、唄は4人ほどの音頭取りが二対となり、交互に歌い合う掛け合い式で行われます。(以前は踊り手と掛け合いをしていたそう)15番まである唄を30分ほどかけてゆっくりと唄われます。
ベテラン音頭取りたちの伸びやかな歌声は、哀愁の中にもどこか心地よさがあります。唄の合間には篠笛が入り、哀調を帯びた音色がより一層物悲しさを誘います。
踊りは、一歩引いて二歩進むというような優雅でゆったりとした素朴な振りで、シンプルが故に踊りが身体と一体となり、繰り返し踊ることで徐々に無心になっていきます。
太鼓の拍子と手拍子が合う瞬間は、なんともいえない気持ちよさがあります。
存続の危機を乗り越え、昨年ユネスコ遺産に登録!
明治維新や戦時中などに盆踊り禁止令が出たことにより、大の阪も幾度となく存続の危機にさらされましたが、昭和の初めに堀之内の青年たちによって、唄や踊りが再現され、今に至っています。
平成10年には国指定重要無形民俗文化財に指定され、令和4年11月には風流踊の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録されました。
風流踊は、除災や死者供養、豊作祈願など安寧な人々の暮らしを願う祈りが込められ、地域の歴史や風土を反映し伝承されている民俗芸能です。
今年は登録されてから初めての開催となりましたが、「最近は踊る人が少なくなっていたが、今年は多くの方が訪れ、踊りの輪が二重になった」と、大の阪の会の方が驚きと喜びが混じった声で仰っていました。
しかし踊り手が増えたとはいえ、やはり後継者不足は課題となっています。大の阪の会の方々は、踊りはもちろん、音頭取りや囃子方にも興味を持ってもらいたいと、子どもたちへの伝承教室や芸能発表会などに参加し、大の阪を広める活動に力を入れているそうです。
参加自由! 伝統的な盆踊りを体感すべし!
大の阪の起源については謎に包まれていますが、「だいのさか」と呼ばれる踊りは日本各地に分布しており、様々な歴史を辿ってこの地で踊られているということにロマンを感じます。堀之内の人々の暮らしとともに踊られてきた大の阪は、これからも大切に守り続けていきたい文化です。
大の阪は誰でも自由に参加できるので、ぜひ踊りの輪に入り、江戸時代から脈々と受け継がれてきた盆踊りを体感してみてはいかがでしょうか?
■祭り開催情報
名称:大の阪
開催場所:新潟県魚沼市堀之内 八幡宮(藪上神社)境内
開催日:毎年8月14~16日
主催者:大の阪の会
アクセス:JR上越線越後堀之内駅から徒歩5分
※詳細は魚沼市公式サイトの「大の阪」紹介ページでご確認ください。