ゆったりした調べの「よへほ節」に合わせ、女性たちがたおやかに踊る美しい灯籠踊りは、山鹿灯籠まつりの名物。踊り手が頭に載せている金灯籠は、闇夜に優しく輝き、伝統と歴史あるこの町の夜を情緒豊かに演出します。
この金灯籠は精巧な金細工のように見えますが、和紙と少量の糊だけで作られた山鹿の伝統工芸品「山鹿灯籠」です。優しく幻想的な灯りが町に満ち、幽玄の世界に引き込まれる山鹿灯籠祭りが2023年8月、4年ぶりに開催されます。地元の人々だけでなく日本全国が、この九州屈指の美しいお祭りを待ち望んでいたことでしょう。
今回は、山鹿灯籠まつりをもっと楽しむために、お祭りの由来や見どころなどをご紹介します。
目次
九州屈指の美しいお祭り「山鹿灯籠まつり」とは?
山鹿灯籠まつりは、熊本県山鹿市で例年8月15日、16日の2日間にわたって開催されます。
祭りの起源は遙か古代。ヤマトタケルの父である第12代景行天皇が、熊襲(クマソ)を討伐するため九州南部へ向かっていました。菊池川を船で進み、山鹿の火の口(現在の地名は宗方:山鹿灯籠まつりが開催されるエリアです)に着岸したところ、一面に濃霧が立ちこめ、行く手を阻まれてしまいました。そこで、里人がたいまつをかかげて御一行をお迎えし、導いたといわれています。
以来、里人たちは天皇を祀って毎年たいまつを献上し、室町時代には和紙で作られた灯籠を奉納するようになっていったそうです。これが山鹿灯籠まつりの由来とされています。
2日間の祭りでは、まず、景行天皇を御祭神とし祭りを主宰する大宮神社で灯籠や踊りの奉納、数々の神事が行われます。おまつり広場でも灯籠踊りが繰り広げられ、明治43年から続く歴史ある芝居小屋「八千代座」でも灯籠踊りの納涼公演が行われます。
そのほか、演芸や郷土芸能のステージ、エンタメショーやグルメフェス、初日の夜に菊池川を華やかに彩る4000発の花火など盛りだくさんですが、何といっても最大の見どころは2日目の夜に山鹿小学校グラウンドで行われる優美にして迫力のある「千人灯籠踊り」です。
人数が多いことを表現するための「千人」ではなく、本当に出演者を1000人集めているのですから驚きです。
やぐらを中心に1000人の踊り手が幾重もの周円をつくり、踊りにあわせて金灯籠の灯りがゆらりゆらりと揺れたり、周ったりする光景は、光と幻想の世界に迷い込んだような陶酔感をもたらしてくれるでしょう。
踊りの輪の外側には特別観覧席が設けられます。椅子に座ってじっくりと見たい方は早めの購入がおすすめです。もちろん、無料の自由席や立見席もあるので、チケットをとっていない方でも十分楽しめるお祭りです。
まるで昔話のお姫様?頭に載せる金灯籠に注目!
「主(ぬし)は山鹿の 骨なし灯籠 よへほ よへほ
骨もなけれど 肉もなし よへほ よへほ」
これは山鹿灯籠踊りで歌い踊られる「よへほ節」の一節。ここに出てくる「骨なし灯籠」は、山鹿の伝統工芸品「山鹿灯籠」を意味しています。
なぜ「骨もなけれど、肉もなし」なのかというと、山鹿灯籠は全て和紙と糊で作られており、木や金属が一切使われていないから。また、和紙や糊を重ねて強度を上げるのではなく、全てのパーツの内部を空洞にしているので「肉もなし」なのです。そのため、山鹿灯籠はその精巧で重厚感のある見た目に反して、驚くほど軽いそうです。
山鹿市では古くから和紙の原料である楮(こうぞ)の栽培が盛んに行われていました。豊かな素材と、良質な和紙を生産する技術が合わさって、紙で織りなす芸術の極意ともいえる山鹿灯籠が生まれたのかもしれませんね。
山鹿灯籠踊りで用いられるのは金灯籠ですが、実は山鹿灯籠にはさまざまな形状があります。神殿造り、座敷造り、城造りといった、どれも細部まで精巧に作り込まれた建物のミニチュアのような形をしているのですが、これらが大宮神社に奉納される行事も見逃せません。
山鹿灯籠師の技術と魂を感じる「上がり灯籠」神事
華やかな灯籠踊りが注目される山鹿灯籠まつりですが、大宮神社で行われる「上がり灯籠」はもっとも重要ともいえる神事です。上がり灯籠は、御祭神の景行天皇に灯籠を奉納する儀式。起源は古く、室町時代の応永年間には行われていた記録が残っています。
灯籠は氏子や篤志家の企業、団体によって奉納され、4月下旬の燈籠制作開始祭から制作が始まります。灯籠師の素晴らしい技術と魂が盛り込まれた奉納灯籠は、山鹿灯籠まつりの見どころの一つです。
祭り2日目の午後10時になると「ハーイとうろう、ハーイとうろう」のかけ声とともに、奉納灯籠は次々と大宮神社に運ばれていきます。お祓いの神事を終え、並べられた奉納灯籠は灯りのなか浮かび上がり、どこか神秘的な雰囲気。午前0時になると「下がり灯籠」といって、奉納灯籠は全て神社境内の燈籠殿に納められ、その年の祭りも終わりを迎えます。
ところで「よへほ」ってどういう意味?
山鹿灯籠踊りといえば「よへほ節」。
「よへほ」は「酔へ+ほ」を意味するといわれています。「ほ」は肥後弁で、他人に何かを促すときや、相手の気を惹いたりする意味があり「あーたにやったい、ほっ」(あなたにあげるわよ、ホラ!)といった使われ方をするとか。
「よへほ」とは、「お酒や踊りに酔いしれなさい、ホラ!」というニュアンスなんですね。確かに、よへほ節の「よーへーほー、よーへーほー」を聞いているとなんだか気分も良くなってくるようです。
「よへほ節」は山鹿地域で明治時代ごろから歌われていましたが、現在の歌詞は昭和8年に野口雨情によって改作されたものです。野口雨情は「七つの子」や「赤い靴」「青い眼の人形」などの童謡の作詞を手がけたことで有名ですね。
もともとの「よへほ節」は温泉旅館の座敷唄として歌われており、男女のちょっとロマンチックな歌詞が含まれていたようです。誰もが親しめて町全体で楽しく歌えるように、現在の歌詞にしたのかもしれませんね。
「洗いすすぎも鼓の湯籠 よへほ よへほ
山鹿千軒たらいなし よへほ よへほ」
こちらもよへほ節の一節ですが、「山鹿千軒たらいなし」とは山鹿温泉は湯量がとても多いという意味です。
肥後藩主・細川忠利公御用達の歴史がある「さくら湯」をはじめ、立ち寄り湯も豊富にあるエリアなので、お祭りで疲れた身体を温泉で癒すのもよいかもしれません。
素敵すぎる灯籠踊り、飛び入り参加できるの?
現在、千人灯籠踊りの出演者は、「山鹿灯籠踊り保存会」をはじめ、鹿本農業高校郷土芸能伝承部や地域の3高校が集まったOne Teamプロジェクト、大宰府天満宮の巫女さんたち、全日本民踊指導者連盟の皆さんで構成されています。残念ながら、観光客がその場で自由に参加できる演目ではないんですね。
しかし、千人灯籠踊りでは毎年約150名の一般参加者を募集していて、山鹿市内外や県外からも応募が可能です。一般参加とはいっても、練習に2回以上参加でき、自分で浴衣の着付ができるなど出演条件をクリアする必要があり、山鹿灯籠踊りの伝統を継承していく気概が必要です。今年はすでに締め切られているので、興味のある人は来年以降にぜひチャレンジしてみてはいかがでしょう。今年2023年の募集要項をご参照ください。
また、灯籠まつりの期間中でなければ、山鹿温泉観光協会が主催する「山鹿灯籠おどり体験」に参加してみるのも一興です。
これは、浴衣を着て金灯籠を頭に載せ、本格的な灯籠踊りが体験できるというもの。山鹿灯籠踊り保存会メンバーから踊りの指導を受け、練習後は由緒ある芝居小屋「八千代座」の舞台で踊りを披露できるなど、何もかもが本格仕様です。本物の金灯籠を載せ、連綿と続く伝統を感じながら優雅に踊るなんて、とても貴重な経験ですね。詳しくは熊本県観光公式サイトの案内ページなどでご確認ください。
また、美しすぎる金灯籠を自分でも入手できないの?と思った方も多いはず。
山鹿市で唯一の灯籠専門店であり老舗の「山鹿灯籠の店なかしま」では、さまざまな山鹿灯籠を展示販売しているそうです。プラケースやガラスケース入りの金灯籠はインテリアとして、LEDを取り付けたタイプは間接照明として人気があるそうです。伝統の技術を活かして作られたモビールやディフューザーなど、現代のライフスタイルに馴染むグッズも手に入るので、山鹿灯籠の魅力にハマってしまった人は要チェックですね。詳しくは「山鹿探訪なび」で案内されています。
山鹿灯籠まつりには、山鹿の伝統・歴史・魅力がつまっている!
夏の夜に優しく輝く山鹿灯籠の灯りが、山鹿の町を情緒たっぷりに彩る、山鹿灯籠まつり。
景行天皇の故事を由緒とする山鹿灯籠まつりですが、お祭りの中には、伝承の時代から現代までにこの地域の人々が育んできたものがたっぷりとつまっていることがわかります。
感動的な美しさを堪能した後は、山鹿の町の歴史や伝統に想いを馳せてみるのもいいかもしれませんね。