全国各地で様々なお祭りが開催されますが、元気あふれるよさこい祭りもおススメです。各チームの個性溢れる踊り、和装をアレンジし、趣向を凝らした衣装で鳴子を鳴らす様子は輝いて見えます。知っておくと少し楽しい、よさこい祭りの起源やどういう変遷を経て現代のスタイルとなったかご紹介します。
高知で生まれたよさこい祭り、込められた思いと創意工夫
1954年(昭和29年)、徳島の阿波踊りに負けない、もっと面白くて商店街が活気づくものを、と言う思いで、高知商工会議所青年団 により第1回よさこい祭りが企画されました。踊りの曲は高知県にふるくから伝わる花柳界の騒ぎ歌、「夜さ来い、晩に来い」という囃子言葉をもつよさこい節をもとに愛媛出身の作曲家武政英策が作曲した「よさこい鳴子踊り」でした。
阿波踊りに負けないようにとの依頼にこたえるよう、武政は鳴子(作物を狙う鳥を追い払う農機具)をもって踊ることを思いつき、鳴子を振って音を確かめながら作曲しました。
こうしてスタートしたよさこい祭りですが、武政は工夫を怠りませんでした。自身作曲のペギー葉山の曲「南国土佐をあとにして」が大ヒットして土佐ブームともなり、映画が製作されることにもなりました。その中でのよさ来い踊りのシーンのためにサンバ調の曲をあらためて世に出すなどさらに盛り上がるように創意を重ねていました。武政の努力もあり、高知市の祭りから高知県の祭りへ、観客動員数もさらに増え、日本の祭り10選にも選ばれ、さらにフランスでも披露するにいたりました。
土佐の高知のはりまや橋の恋
よさこい節の代名詞ともいえるのが「土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい」というもの。この囃子詞からよさこい節、そしてよさこい祭りと呼ばれています。これはどういうお話なのでしょうか?
よさこい節の歌詞に登場する「坊さん」とは高知県高知市五台山にある真言宗の寺院・竹林寺の僧。竹林寺は文殊菩薩を本尊とし、お遍路さんが巡拝する霊場・四国八十八か所(お四国さん)における第三十一番札所としても有名です。
江戸末期(安政)のころ、この寺には鋳物の修繕を行う鋳掛屋の娘お馬(十七歳)が僧侶たちの洗濯ものを届けに出入りしていました。
寺の僧たちは煩悩を捨てて清い心で仏につかえる身でありながら、若くて美しいお馬に心を奪われてしまうものも現れました。それがかんざしを買った僧侶、純信です。
純信はお馬に寺の品物をもちだし与えていましたが、ある時はりまや橋の小間物屋でサンゴの簪を買っているところを見つかり、情事と不正が明らかになって二人とも追放されるという事件が1855年にありました。お馬へのプレゼントに簪を買っていたのです。よさこい節にはこの二人の恋がうたわれています。
道ならぬ恋に走った二人でしたが、関所破りで捕えられ、二人は別の場所に追放。後に純信はお馬を再度連れ出そうとしますが再び捕まり今度は伊予へ。その後二人は二度と会うことができませんでした。お馬は須崎・池ノ内の大工と結婚、その後東京に移り住み60歳まで生きたということです。若い二人の恋の情熱の一コマをよさこい踊りは宿しているのです。
よさこいからYOSAKOIへ、全国に広がり成長を続ける
よさこい祭りはパレード形式で、地方車(じかたしゃ)と呼ばれるトラックにPA機器を搭載し、踊り子がその後ろに連なってよさこい踊りを舞い、各演舞場を順番に回っていきます。当初のよさこい踊りは、現在「正調」と呼ばれる日本舞踊の振り付けを踏襲した盆踊りスタイルでしたが、武政が自由なアレンジを許したため、その後色々なバリエーションを生むことになりました。現在ではサンバ、ロック、ヒップホップ、演歌、フラメンコ、フラダンスなど各々のチームが趣向を凝らした楽曲と振り付けを披露し、その中に「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい」というフレーズを入れて自由な創作を行い、伝統を色濃く残す「正調」とともに観客を楽しませています。
1992年(平成4年)、北海道札幌市でYOSAKOIソーラン祭りが開催、これを皮切りに「よさこい祭り」は2000年代にかけてYOSAKOIとして全国各地に広がることとなりました。地元の民謡と鳴子を手にしたよさこい祭りが各地で開催されることになりました。よさこいは踊りが主体で参加者が集まるため、集客などの効果が高く、一躍人気となりました。こうして今では高知県だけでなく様々な町の歴史や風土と溶け合いながら、多くの人の手による様々な工夫を取りこんで、成長をとげているのです。
※2018年7月に発生した豪雨による被害に遭われた地域の皆様に心よりお見舞い申し上げます。