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女性活躍の聖地!?日本の近代化を支えた富岡製糸場を深掘り

更新日:2022/5/11 一般社団法人富岡市観光協会
女性活躍の聖地!?日本の近代化を支えた富岡製糸場を深掘り

世界文化遺産「富岡製糸場」のある街・富岡。

かつてこの街には全国から女性たちが集まり、ここで作られた生糸はヨーロッパやアメリカに輸出されていきました。

日本が急激な近代化を迎えるなか、富岡製糸場で働く女性たちの環境も、当時最先端のものとなっていったのです。

近代日本の躍進を支えたといっても過言ではない彼女たち。

一体どういった環境で、働いていたのでしょうか?

富岡製糸場とは?

富岡製糸場は、明治5年(1872年)に明治政府が日本の近代化のために設立した模範器械製糸場です。

明治維新後、政府は日本を外国と対等な立場にするため、産業や科学技術の近代化を進めました。そのための資金を集める方法として力を入れたのが、生糸の輸出でした。政府は生糸の品質改善・生産向上と、技術指導者を育成するため、洋式の繰糸器械を備えた官営の模範工場をつくることを決めました。

こうして富岡製糸場が建設され、現在までほぼ変わらぬ姿で残されています。

富岡製糸場2画像提供 富岡市

和洋折衷の近代的な建築 世界最大規模の製糸工場

創業当初に建てられた富岡製糸場の建造物は、横須賀製鉄所建設に携わったフランス人のオーギュスト・バスティアンが図面を引き、日本人の大工や職人によって建てられました。

建造物の主要資材は石、木、煉瓦、瓦で構成され、鉄枠のガラス窓や観音開きのドアの蝶番などはフランスより輸入されました。中心となる材木の杉は妙義山、松は吾妻と主に官林より調達し、小振りの材木は近くの山林から集めました。また礎石となる石は連石山(現甘楽町)から切り出してつくりました。

 

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なかでも、繭から糸を取る作業が行われていた建物である、繰糸所(国宝)は、長さ約140mの巨大な工場で、世界最大規模の器械製糸工場でした。

創設時にフランスから導入した金属製の繰糸器300釜が設置されています。

小屋組みにトラス構造を用いることで建物の中央に柱のない大空間を作り出すことが出来ました。

日本経済発展の原動力となった女性たち

当時世界最大級の製糸工場の働き手は日本全国から集まった女性たちでした。

日本の近代化の原動力として世界に輸出する良質な生糸を作るため、全国から集まった女性たち。

遠くは北海道や九州から訪れた彼女たちは「いつか地元に帰り、自分が製糸の指導者になる」という熱い想いを抱き、「工女」と呼ばれた彼女たちは熱い想いで懸命に技術を磨きました。

その結果、富岡製糸場では世界水準の生糸が作られ、ヨーロッパやアメリカに輸出されることにより、日本経済発展の原動力となっていったのです。

 

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近代日本の発展を支えた 富岡製糸場・工女の暮らし

「工女」と呼ばれた女性たちは、政府主導の時代に「寄宿舎制度」「1日3食提供」「週1日完全休暇」「夏期休暇と年末年始休暇」などが整えられた富岡製糸場で懸命に働き、充実した日々を過ごしました。

また彼女たちは休日や祭りの際に街中に繰り出すこともあり、娯楽を楽しんでいたといわれています。

富岡製糸場を中心に形成された富岡の街には飲食店、喫茶店や映画館など当時最新の流行が持ち込まれ、現在の富岡の街並みの原型が生まれました。

画像提供 富岡市

おわりに

日本の近代化の担い手として活躍した富岡製糸場の工女たち。

彼女たちは富岡で新たな文化に触れ、新しいライフスタイルの一端を担いました。

彼女たちは富岡の街でどのように過ごし、富岡製糸場でどんなことを学んだのか。

富岡市を訪れた際は、ぜひ彼女たちに思いを馳せながら観光してみてくださいね。

この記事を書いた人
ブンカジャパン
ようこそ、明治へ。生糸が育んだ文明開花 群馬県富岡市の魅力をご紹介します。

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