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風景としての盆踊りが語りかけてくるもの─現代アートの作家が感じた盆踊りの魅力とは!?

2022/5/23
2022/5/30
風景としての盆踊りが語りかけてくるもの─現代アートの作家が感じた盆踊りの魅力とは!?

(「オープニング」2018 500x600mm 木炭、パネル)

 私は普段は現代美術家として活動しており、絵画やパフォーマンス、写真など様々な表現方法で作品を制作している。一方で盆踊り愛好家でもあり、盆踊りからも作品制作に影響を受けている。

 幼少期は人前に出るのが苦手で、ましてや踊るなんて考えられなかった。しかし8年程前、後述するとある小さな盆踊りに遭遇して以来、私は盆踊りに夢中になっている。そして全国各地の盆踊りを巡るまでになった。

 今回は自身の絵画作品と、盆踊りに影響を受けるきっかけのひとつともなった「すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り」(以下、錦糸町河内音頭)を紹介したい。

錦糸町河内音頭大盆踊りとの出会い

 すみだ錦糸町河内音頭大盆踊りとは、毎年8月の下旬頃に東京都墨田区江東橋で開催される盆踊り大会だ。「錦糸町河内音頭」の通称でも知られる。大阪で最も有名な盆踊り曲である「河内音頭」を、現地さながらの生演奏で踊るという異色の盆踊り大会であるが、1980年代からの古い歴史があり、すっかり地元の夏の風物詩として定着している。

 私が錦糸町河内音頭に初参加したのは2018年のことだ。当時のわたしは愛知県に住んでいたが、関東にはたくさんの大規模な盆踊りや新しく始まった盆踊りがあるということを知って驚いた。過疎地の祭りの多くが消滅している最中、そんなものが乱立しているとは。関東へは美術館巡りでよく遠征していたため、この夏は関東の盆踊りに参加しよう、と気楽な気持ちで決めた。そんな時に耳にしたのが「すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り」だった。聞くところによると大阪発祥の「河内音頭」を東京の一大繁華街である「錦糸町」で踊ることができるらしい。しかもなかなかの規模で。待望の夏が訪れ、早速東京へと足を運んだ。

盆踊り会場はいきいきとした地獄だった

 会場は人がうごめいていた。個々人というよりも「塊としての人間」といった印象だった。これまで経験した盆踊りの中で圧倒的に規模が大きく、赤く照らされるその光景に息を飲んだ。2日間で3万人もの人が訪れるらしい。錦糸町にそんなスペースあっただろうかと思っていたが、スペースなど関係なく、そこには踊りたい人が居る、それだけだった。

 盆踊りというと一般的にはヤグラを中心に、輪になって踊るというイメージがあるが、錦糸町河内音頭では、外から見ただけでは踊りの輪は見当たらない。しかし、実際に踊り子の群衆に飛び込むと、意外と整然と輪になっていることがわかる。ただし輪は何重にもなっており、河内音頭には踊り方が複数あるため、それぞれの輪ごとにスピードや踊りが異なる。輪の中心にヤグラが無いのも錦糸町河内音頭の特徴だ。長方形の会場の一番奥にヤグラ代わりのステージが存在する。数百はあろうかという提灯を背に、ベンベンとなる三味線やギター、「イヤコラセー、ドッコイセ」という高い声の合いの手、そして勇ましく歌い続ける音頭取りが立つ。

 生歌と生演奏が特徴の「河内音頭」。しかも、歌われるのは「口説き」と呼ばれる物語形式の歌詞だ。歌い手(音頭取り)は、長い時には30分程かけてひとつの物語を語ることもある。うごめく人間の渦の中、長時間夢中になって踊っていた(今思えばトランス状態だったかもしれない)時に、音頭取りの「これがこの世の見納めじゃもの〜!*」と、鮮烈なセリフが轟いた。無意識の中に突然飛び込んできたその言葉は正に、私が目にしている、いきいきした地獄を物語っているように思えた。

*山昌会で歌われている河内音頭の歌詞

ニューヨークのミュージカルと日本の盆踊り

 ところでわたしは、まだ大学生だった頃の2014年、本場ニューヨークでミュージカルを体験している。華やかなものに届かないけれど憧れる気持ちを持っていた私は、本場のミュージカルを鑑賞できるということで浮き足立っていた。高揚する鑑賞のクライマックスに、スタンディングオベーションが起こり、歓声が湧き上がった。しかし私は最前列の席で申し分ない高揚感に包まれていたはずなのに、立ち上がることができなかった。「ノる」ことができなかったのだ。そちら側の人間ではないということを突きつけられたようでショックを受け、しこりを抱えたまま帰国した。

ニューヨーク旅行で撮影した写真。

 帰国後の夏、そんなミュージカルの経験も忘れかけた頃に、たまたま通りかかった小学校の校庭で開催される盆踊りに遭遇した。冒頭で挙げた盆踊りに夢中になるきっかけとなったものだ。平凡な、小さな規模の盆踊りであったが、万人に開かれた踊りの輪と、それをぶった斬るように縦横無尽に駆け回る子供、カセットテープだろうか、延々と流れるバリバリとした音楽。どれもが祝福的で身の丈に合うような魅力を感じた。

「現場:跡地」2019 500x600mm 木炭、パネル

 この時、いつかのニューヨークの記憶が思い返された。スタンディングオベーションという表現ができなかった私が、気づけば何か確信的な衝動に動かされ、輪に入り踊っていた。

 盆踊りの体験は私を受け入れてくれ、私の身体も盆踊りを受け入れた。この頃から盆踊りにのめり込み、のちに錦糸町河内音頭にも出会うことになった。

人の痕跡が残る「物語る風景を描く」こと

 錦糸町の風景を目撃してから、日々生活する人間の風景そのものがいきいきした地獄のように思える。そしてそんな場所で生きる「人間」を描きたい。

 私は風景の中に残された痕跡を記録するように、作品制作をしている。なんでもない住宅街や農村、祭りの風景。これらを作り出したのも、そこから立ち去るのも人間だ。しかし立ち去ってからも、人間の営みは跡として風景に残り続ける。痕跡というのは、朽ちかけた家や農具のような人工物の場合もあるし、ただその風景を目撃したという一個人の記憶そのものを指すこともできると思う。

 そんな中で重要に思っているのは、人の痕跡は「人が立ち去った後にこそ際立つ」ということだ。人間がしてきたことは風景が物語ってくれる。わたしはそれを読み、記録に残すために描く。風景を描くことで人間を描く。

「クライマックス」2018 900x1360mm 木炭、キャンバス

“記録する”ように絵を描いていく

 半年ほど経って、ふと錦糸町河内音頭の会場を訪れると、その風景は抜け殻のようだった。でもその風景にはむしろ、「抜け殻」として置いて行かれた人間の記憶や熱などの「痕跡」がはびこっている。

 私はなんでもない住宅街や限界集落の痕跡を読んで描いたり、街灯をスポットライトに見立てて踊り、その風景を記録するように絵にした。ぎこちなく踊ること(踊りは得意ではない)で、風景の中で違和感のある存在になれる。風景の一部でもなく、外から俯瞰しているのでもない、異物として風景と対峙することができるのではないか。こうして踏み込むと風景自ら「物語って」くれる。

 絵は描画用の木炭で、基本的には色を使わずにモノクロの絵を描いている。色を使うと情感や彩度による奥行きが画面の中に生まれるが、モノクロであることで面や線の構成になり、絵画でありながら言葉に近い要素を持つことができるのではないか。それにより「記録」的な効果を持った絵画が描けるのではないかと考えている。

「風景の祝福」2022 650x910mm 木炭、キャンバス、刺繍

 踊らずには居られない、どうしようもなさを抱えた人間が作ってしまった風景を愛おしむ。そして忘れないように、記録するように描いていきたい。

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