鑁阿寺で頒布される「足利氏館」の御城印
全国各地の神社や寺院では参詣の記念に御朱印を頂くことができます。朱印帳に訪れた神社や寺院の御朱印が並ぶと、貴重な思い出となり写真とは趣の異なる味わいが滲み出てくるものでしょう。1336年に室町時代を開いた足利家の住宅跡に建立された栃木県足利市の鑁阿寺(ばんなじ)では、中央に「足利氏館」の文字が記された御城印が頒布されています。寺院が真言宗大日派の本山であるため、通常の御朱印で主座に仰がれるのは「大日如来」です。
特別御朱印にも工夫が凝らされ2022年には、丑年、寅年の守り本尊である「虚空蔵菩薩」、2月~3月には源家相伝の宝刀「髭切丸」の御朱印も準備されます。
鑁阿寺では本堂の西正面に設けられる納経所で御朱印を頂くことができます。窓口にはお守りなどのバラエティー豊富な授与品が並んでいます。
平安時代後期の武士の館の面影が残される「史跡足利氏宅跡」
鑁阿寺は鎌倉時代の1197年に、源姓足利宗家の第2代当主の足利義兼によって建立されました。土塁と堀がめぐらされた約4万平方メートルの敷地には、足利氏が館を構えていたのです。平安時代後期の武士の館の面影が残され、「史跡足利氏宅跡」として国の史跡に指定され、「日本の名城百選」の一つに数えられています。
境内の中央で堂々とした姿を見せる本堂は、1299年に足利尊氏の父、貞氏が再建したものです。鎌倉時代に中国から取り入れられた寺院建築様式の一つ、禅宗様の建築様式が採用されています。禅宗様仏堂の先がけ例として国宝に指定されています。
創建時に境内に点在した伽藍は1129年の火災などによって失われましたが、時を置かずに再建が行われています。本堂の南に設けられる鐘楼には、創建時の禅宗様建築の特色を色濃く留めています。本堂の西に建立される一切経堂は、1407年に関東管領を務めていた足利満兼により再建され、内部には八角の輪蔵があり、一切経二千巻余を大切に保管しています。多宝塔は江戸幕府第5代将軍の徳川綱吉の母、桂昌院によって再建されました。境内の北端の御霊屋は足利大権現、赤御堂とも言われ、江戸幕府第11代将軍の徳川家斉の寄進によって再建されたものです。
寺院の伽藍は、堀と土手に囲まれます。ほぼ正方形の敷地の東西南北の四方には門が設けられ、南の門が玄関山門の役割を担っています。室町幕府第13代将軍の足利義輝が再建した桜門の前の堀には反橋が渡されています。
四季の彩りで豊かな表情を見せる伽藍
歴史感を漂わせる伽藍は、ご神木の大銀杏をはじめ多種多様の草木で覆われるため、四季の移り変わりによって豊かな表情を見せてくれます。
1915年の節分に創始された初春の行事「鎧行列」
鎌倉時代からの伝統を受け継ぐ鑁阿寺では、一年を通して多種多様の行事が開催されています。例年2月3日に行われる節分では併せて「鎧行列」が行われます。1915年に創始された初春の行事は、2022年は残念ながら中止となりました。例年は18:30前後から坂東武者に扮した市民など約200人の「鎧行列」が、織姫公民館から鑁阿寺まで練り歩くのです。一同が本堂に集結すると、追儺式の豆まきが行われます。
鑁阿寺はJR両毛線の足利駅の北西、東武伊勢崎線の足利市駅の北、1キロ足らずに建立されています。両駅を結ぶ大通り沿いには寺院の名前が刻まれた石碑が設置され、約200メートル北上すれば、山門前の反橋を渡ることになります。
栃木県足利市の足利家の住宅跡に建立される鑁阿寺では、「足利氏館」の文字が記された御城印が頒布されています。1197年に創建された寺院には平安時代の後期からの歴史感が漲っています。大銀杏がご神木として育つ境内は四季折々の豊かな表情を見せ例年、節分の日には「鎧行列」が行われ、国宝の本堂前には坂東武者が集結します。