春のお彼岸入りして、ぼたもちをご先祖様にお供えしたり、家族で食べたりしている方も多いことでしょう。
ところで、ぼたもちが昔から広く食されていることを表すかのように、日本の各地にはぼたもちにまつわる民話や言い伝え、風習や観光スポットなどが存在します。中にはちょっとゾクゾクして怖いものも!?そこで、この記事では、そんなぼたもちにまつわる話をぼたもちの豆知識とともにご紹介します。
なぜ「ぼたもち」をお彼岸に食べるの?
ぼたもちにまつわるお話を紹介する前に、まずはぼたもちの基礎知識を。ぼたもちをお彼岸に供えたり食べたりする理由には、ぼたもちに使われる小豆が大きく関係しています。小豆の赤は「血」や「太陽」の色。つまり生命力を象徴する神聖な色で、古くから邪気払いや厄除けなど呪術的な力を持った特別な食材とされてきました。
また、ぼたもちに使われる砂糖は、昔は高級品でした。お彼岸というご先祖様と通じあう特別な期間だからこそ、魔除け効果のある小豆と高級品の砂糖を使ってぼたもちを作り、感謝の気持ちや祈りを捧げていたと考えられています。
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糯米(もちごめ)と粳米(うるちまい)混ぜて炊き、米粒が残る程度に軽く搗(つ)いたものを丸め、小豆餡(あん)やきな粉をまぶした「ぼた餅」。お彼岸では、お餅には「五穀豊穣」を、小豆には「魔除け」の意味を込め、墓前やお仏壇に、ぼた餅をお供えする風習ができたようです。#ぼた餅
. pic.twitter.com/IveOn7OIZB— ツキとタイヨウと暦 (@_NichiNichi_) March 17, 2021
「ぼたもち」と「おはぎ」は何が違う?
ぼたもちとおはぎは良く似ていますが、違いはどこにあるのか?これもよく聞かれる疑問の一つです。
春のお彼岸に食べる「ぼたもち」の呼び名は、春に咲く「牡丹」からきていて、牡丹の花のように丸くて大きいのが特徴です。一方、秋のお彼岸に食べる「おはぎ」は秋に咲く「萩」が名前の由来で、萩の花のように小さく俵型の形をしています。しかし近年では、大きさや形に明確な違いがなく、通年を通して「おはぎ」として出回ることも多くなっています。
また、本来は「あんこ」も違っていました。ぼたもちもおはぎも小豆を使いますが、小豆の収穫は9月~11月です。秋のおはぎには収穫したばかりの、皮まで柔らかく食べられる小豆なので粒あんを使います。一方、春のぼたもちでは小豆の皮が固くなっているので、皮を取り除きこしあんにして使用するのです。
春のお彼岸が近づくと、和菓子屋さんの店先に並ぶこのお餅。実はつくる季節によって、その名前は異なるのだとか。
小豆を春に咲く“牡丹”の花に見立てたことから「ぼた餅」に。一方、七草のひとつである“萩”の花と小豆の形が似ているため、「おはぎ」と呼ばれるようになったのだそうですよ。#春分の日 pic.twitter.com/h3YkMeYaoG— 土屋鞄製造所 (@tsuchiya_kaban) March 20, 2020
「ぼたもち」にまつわる言い伝え、風習、場所6選!
お待たせしました。ここからはぼたもちにまつわる言い伝えなどをご紹介します。ぼたもちは昔から日本人に愛され、暮らしに根ざしたお菓子の一つでもあることを、これらの話などからうかがい知ることができます。
◎明日は半殺し!?侍を恐怖に陥れた老夫婦の民話
山形県に伝わる民話には、こんなお話があるそうです。
侍が山中にある家に泊めてもらい、寝床に入る準備をしていたところ、家の老夫婦が「明日、半殺しにしようか」と相談しているのを盗み聞きしてしまいます。侍は、自分が殺されるのではないかと慌てふためくものの、翌朝美味しいぼたもちをごちそうになるという話です。
参考:フジパン・民話の部屋「半殺しとお手打ちと本殺し」
ぼたもち・おはぎともに同様の民話は日本の各地に伝わっています。半殺しとはぼたもちのお米の状態を表す言い方で、炊いたご飯の粒が半分くらい残るまでつぶした状態のことを「半殺し」、お餅になるまでつぶした状態のものを「皆殺し(または本殺し、全殺し)」と呼びます。
徳島県や群馬県の一部で「半殺し」はおはぎの別名ともなっているらしく、中にはパッケージに大きく「はんごろし」と書かれたおはぎがお店で売られていることもあるようです。
皆殺しよりも半殺しが好きです。
おはぎの話です。
おはぎの米粒を餅状になるまで潰す(皆殺し)より、米粒の形がしっかり残っている(半殺し)おはぎが好きです。都内スーパーでは成城石井さんが皆殺し。三浦屋さんが半殺し。「これは三浦屋さんが自社工場で作っているおはぎ…フム、米粒が美しいな」 pic.twitter.com/EOhNdyiEcq
— マサキマニア🌼🌻🥨。箱(島)推し相談員👤 (@seahiveLab) July 21, 2019
◎処刑寸前で首をつなぐ!?首つなぎぼたもちとぼたもち寺
文永8年(1271年)、鎌倉幕府に捕らえられた日蓮が龍ノ口刑場に送られる途中でのこと。桟敷尼(さじきのあま)という老婆が「仏のご加護がありますように…」と祈りをこめて作った胡麻のぼたもちを差し出します。
尼の祈りが通じたのか、処刑の瞬間に目もくらむような不思議な光が走って日蓮は首を討たれずに済んだことから、このぼたもちは「首つなぎのぼたもち」「頸つぎ餅」と呼ばれるようになり、桟敷尼が住んでいた鎌倉市の常栄寺は別名「ぼたもち寺」と呼ばれるようになったといいます。
常栄寺では、この法難のあった毎年9月12日に「ぼたもち供養」が行われています。境内では桟敷尼が作ったのと同じ胡麻をまぶしたぼたもちが振舞われ、災難除け、厄除けの首つなぎぼたもちとして人気なのだそうです。
今日も鎌倉は、ぽかぽか陽気です。ぼたもち寺と呼ばれている常栄寺。小さなお寺ですが、いつも美しい境内に心が落ち着きます(^^) pic.twitter.com/LDEJgkW0Rk
— 君の顔が好きだ (@Tosh30221836) November 16, 2019
◎3つの目がある!?「みつめのぼたもち」の風習
「みつめ」と聞くと、3つの目がついたぼたもちの妖怪なのかと想像してしまいますが、実は第一子の赤ちゃんを生んだ3日後に、お母さんが食べる大きなぼたもちとその風習のことをいいます。
かつて、食糧が満足に得られなかった時代に、出産直後の母親の栄養補給のために、ぼたもちを食べさせたことが始まりといわれます。出産の疲労回復や母乳に不自由しないようにという思いが込められているほか、赤ちゃんが生まれたことを隣近所に知らせる意味もあったようです。
江戸時代には多くの地域でこの風習が行われていましたが、現在では茨城県や千葉県、神奈川県、愛知県などの一部の地域に限り残っています。ぼたもちも最近では家庭で作らず、店で購入するほうが多数派だそうです。
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◎心優しいお梅を救った!伝説のぼたもち地蔵
昔、和歌山の山間の村に住むお梅という女性が夫を亡くし、手作りのぼたもちを海沿いの村へ売りに行く仕事を始めました。しかし、ぼたもちはさっぱり売れません。帰る途中、薄暗い大川峠の道端に古いお地蔵様が打ち捨てられているのを見て、お梅はお地蔵様を起こしてぼたもちを全部お供えしました。すると、翌日からぼたもちが飛ぶように売れるようになったといいます。
ある日、帰りが遅くなったお梅は、お地蔵様の近くで山賊に襲われてしまいます。すると、お地蔵様に供えてあったぼたもちからとてもいい匂いがしてきて山賊たちは思わず食いつきますが、それはお地蔵様が見せた幻影で、実際はただの石でした。お地蔵様に許しを乞い腹から石を取り出してもらった山賊たちは逃げ、お梅は難を逃れます。
その後、お地蔵様のお告げに従って、お梅はお地蔵様の近くに茶屋を開き大変繁盛しました。毎日お地蔵様にぼたもちを供え、お地蔵さまは「ぼたもち地蔵」と呼ばれて長くこの地域で愛されたといいます。
参考:まんが日本昔ばなし~データベース~「ぼたもち地蔵」
現在は、言い伝えのある大川峠の周辺は車両通行止めになっており、お地蔵様も見当たらなくなっているそうです。
和歌山県 和歌山市 深山
クルマ・オートバイの通行が13年くらい前から禁止になってる 県道65号線 大川峠の旧道区間を加太方面のゲート近くにカブを駐車して歩いてみました
2月24日 撮影 pic.twitter.com/bwNVMa9j5B
— しかずきん (@shikazukinsan) February 24, 2020
◎今も子育て祈願が絶えない東京のぼたもち地蔵
東京都杉並区の長延寺には、「ぼたもち地蔵」と呼ばれて信仰を集めるお地蔵様が現存しています。
江戸時代、寺の門前に信心深い夫婦が住んでおり、お地蔵様に願いをかけて男の子の赤ちゃんを授かりましたが、産後の肥立ちが悪く、母子ともに危険な状態になってしまいます。すると、お地蔵様が化身した小僧さんがぼたもちを持って現れ、食べた母子が元気になったという話が、このぼたもち地蔵の由来だそうです。
それ以来、子育て地蔵として子どもの健やかな成長を祈る多くの人がお参りに訪れています。
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◎呼び名とは裏腹に実はお墓!?熊本の「ぼたもちさん」
熊本県の長洲町には、通称「ぼたもちさん」と呼ばれる不思議な形の石があります。
実はこれは、初代柳川藩主・立花宗茂の夫人である誾千代(ぎんちよ)のお墓です。立花誾千代は7歳で家督を相続し、立花城の女城主となった人物。13歳のときに立花宗茂を婿に迎えて結婚という、この時代には非常に珍しい経歴をたどった女性でした。
勇猛果敢な女武将としても名を轟かせ、10代にして稀代の名将と賞された夫とともに、歴史ファンの中には「戦国最強夫婦」に推す声も。関ケ原の戦いで立花宗茂が味方した西軍が敗れた後、誾千代は加藤清正に庇護されて現在の長洲町に一時滞在しますが、病を患い不遇な死を遂げてしまいます。
その後、立花宗茂によって手厚く葬られ、この供養墓が建てられました。「ぼたもちさん」の呼び名の由来は、墓石の形がぼたもちのように見えるため。領民に愛された誾千代の人気を物語るかのように、今もぼたもちさんには常にお花が絶えないそうです。
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まとめ
ぼたもちの豆知識とともに、日本各地に伝わるちょっと怖いような言い伝えなどをご紹介しました。
半殺しに皆殺し、首つなぎぼたもち、みつめのぼたもちなどは、語感からついついホラーなものを想像してしまいますが、由来が分かればクスっと笑えたり、なるほどと感心したり、特に怖い意味はありませんでしたね。
今年の春彼岸は3月21日が中日で3月24日が彼岸明けです。ぜひこちらで紹介した言い伝えを思い浮かべたり、家族にお話ししたりしながら、ぼたもちを味わってみてはいかがでしょう。