神楽には人を虜にする何かがある。実際、福岡県豊前市には、神楽に憑りつかれた人々がいる。そんな憑りつかれた人々にとって、5年に1度の「神楽まつり」は何ものにも代えがたいイベントであったに違いない。豊前市民の私もそのひとりだ。とりわけコロナ禍で、毎年当たり前に行われていた秋まつりがことごとく中止になった昨今を想起するならば、その思いは格別である。そんな神楽に憑りつかれた人々が集う「ぶぜん神楽まつり2022」(11月5、6日開催)の熱い2日間を報告する。
子ども神楽1日目。15時開始にもかかわらず、「9時前から並んでいる」と言う豊前市外からかけつけた神楽ファンの行列があった。豊前神楽への関心の高さがうかがえる。
豊前には6つの神楽団体があり、長きにわたり里神楽の伝承保存に取り組んできた。その1つに「子ども神楽」がある。6団体は地域の子ども達に普段から神楽を教え、伝承に努めている。そんな6団体の子ども神楽の競演で幕が上がった。鬼の面を被り、様々な衣装を纏った小中学生が、日頃の練習の成果を如何なく発揮している。コロナ禍で練習時間の制限を余儀なくされ、しかも披露する場所や機会をなくした。辛く、不安の日々だったことだろう。そんな想いを払拭するような華麗で迫力のある舞の数々。そこには控室であどけない表情や緊張の面持ちでいた子どもの姿はない。鬼となり、幣方(ひいかた)となり、元気いっぱいに舞う姿は頼もしい。そんな継承者を指導者でもある神楽舞が厳しくもあたたかい目で見守る姿が印象的だった。
※参考記事
湯立(神楽)
子ども神楽の6演目が終わると外はすっかり陽が落ちていた。会場外の広場に人だかりができている。その中心には10mを超す湯鉾(竹)が建てられ、その下には火が焚かれ湯釜が設えられる。豊前神楽の特徴的な演目のひとつ「湯立て」の始まりだ。 湯立ては、修験道の影響を色濃く残す豊前神楽を象徴する最も勇壮的な演目である。最大の見せ場は、10mを超す湯鉾を一気に登りつめ、大幡を切り落とすシーンである。下界の混沌を置き去りに、人知れず積み重ねてきたものと共に、命綱もつけずに闇夜を一気に駈け登る姿は、潔く美しい。天界で異形の者に託した己の身体を変幻自在に操る姿は、華麗でいて力強い。また最後に行われる火渡りも圧巻である。燃えた炭の上を素足で歩く。いずれも常人を超えた異能の技である。固唾を飲んで見守る観衆からこんな声が聞かれた。「普通の人なんよねぇ?」。どう答えればよいのだろう。神楽舞は、面を外し、衣装を解けば、観衆と同じ地域で暮らす普通の人々だ。そんな普通の人が、一度、衣装を身に纏い、面をつければ常人を超えたパフォーマンスを繰り広げる。日々の鍛練、精進の賜物か。興奮冷めやらぬ内に1日目は幕を閉じた。
式神楽
2日目。開場前、舞台では大禮祝詞が行われた。厳かな雰囲気。神楽は神事であることを改めて認識する。開場。昨日に続き、この日を待ち焦がれた人々が席を埋めていく。最前列に陣取った女性は86歳。話を聞いてみた。「コロナの間、何も面白いことがなかった。楽しみにしてました。子どもの頃から村祭りで太鼓とか笛の音を聴くと心がウキウキしてた」。筋金入りだ。こんな人たちに地域の祭りは支えられている。
豊前神楽は、「式神楽」と「奉納神楽」に大別される。通常「式神楽」を前半と後半に分け、その間に「奉納神楽」が行われる。2日目の演目は、それに倣った形で行われた。
6つの式神楽。いずれも五穀豊穣、天下泰平、無病息災、子孫繁栄を祈る神事であることがうかがえる。今のコロナ禍にこそ、必要な舞ではないか。それが中止に追い込まれる皮肉に思いを巡らさざるを得ない。
奉納神楽
式神楽前半を終え、奉納神楽が始まる。 いずれも見応えのある舞だった。太鼓・笛・鉦からなる御囃子と舞がひとつになる。それぞれが独立した個でありながらも調和を重んじ、静と動、集と離の反復と連続が、やがてうねりを生む。寡黙でありながらも雄弁。相反する命の躍動が見るものを虜にする。強烈な個性を伝統に封じ込め、様式を重んじながらも自由であろうとする。自由とは自然の一形態であることを知らされる。鳥肌が立つ。じわりと目に涙がたまる。御囃子が、まだ幼かった頃に私を誘う。秋祭り、夜更かして友達と神楽をみる。年に1度の楽しみだった。脳裏に次から次へと浮かぶ風景。友人、知人の顔。コロナ禍、会えなくなって久しい人、亡くなった人、葬式もなく見送りもできなかった。喜怒哀楽が入り混じった複雑な感情が去来する。そんな想いを御囃子と舞がどこか遠くに運んでいく。ずっと高みに昇華させていく。そんな気にさせられる。あっという間の豊かな時間。
岩戸開き
式神楽後半7つの演目は、手力男命の舞で幕を閉じる。天照大御神が天岩戸屋に姿を隠した為、闇に覆われ、いたる所で禍が生じてしまう。そこで八百万の神々が岩戸の前で様々な試みを行うという場面である。そしてこれは、コロナ禍に喘ぐ現在の我々の姿と重なる。闇夜に光を取り戻す神々の試みを私たち一人ひとりが、今こそ始める時ではないだろうか。ふとそんなことを思った。
結び
「ぶぜん神楽まつり」について、神楽舞は「楽しかった」、「久しぶりに大勢の前で舞えて嬉しかった」と率直に喜びを口にする。一方で誰もが「やはり神社で舞いたい」と話す。こうしたイベントでの神楽奉納を、神楽を広めていく為や、神楽舞同士の交流の為に必要と評価しながらも、地元で地域の人達と自分たちの神様に舞を捧げる日をやはり心待ちにしていることが印象的だった。 「あなたにとって神楽とは何ですか」。この問いに、ある人は「人生。神楽をやめる時は、人生をやめる時」と答え、ある人は「次世代への責任」と答えた。またある人は「日常。百姓と一緒」と即答した。気持ちがいいくらい明快だった。 神楽の演目を丁寧に見ていくと、神楽がこの地の風土や歴史を色濃く反映していることがよく分かる。大自然の前では、人間の力などたかが知れていると思い知らされた先人の知恵と祈りがそこに読み取れる。自分の力が及ばないものに謙虚に学ぶ姿勢。私達は、その先人のメッセージを神楽を通して託されているのではないだろうか。
祭りは終わった。感傷に浸る間もなく会場の片付けが始まる。舞台の解体が進む。神楽舞の他は、実行委員であった市職員とボランティアがそれを担う。裏方に徹し汗を流す普通の人達だ。忘れてはならない。伝承芸能や地域コミュニティーを支えているのは他ならぬ普通の人達なのだ。 「次世代への責任」とは、重い言葉である。コロナ禍、全世界の伝承芸能のみならず、地域コミュニティーが危機に晒されている現代社会にあって、この言葉の持つ意味は大きくて深い。 未曾有のコロナ禍、「ぶぜん神楽まつり」は中止という選択肢もあり得た。しかし、実行委員会はリスクを引き受け、背負い開催に踏み切った。この決断は、闇夜に光を取り戻す試みであり、「次世代への責任」の実践に他ならない。
文:恒遠樹人
写真:奥家周平