伝統文化の夢舞台とは
地域の伝統文化の魅力発信を行う「伝統文化の夢舞台」で、子どもたちによる歌舞伎やお囃子などの発表会が行われました。しかも雅楽師の東儀秀樹さんが講評するという夢のようなプログラムです。
今回は魅力的な舞台の様子を、伝統芸能と舞台が大好きな京都在住フォトグラファーの佐々木がレポートします。
吉原の太刀振
京都府登録無形民俗文化財の吉原太刀振(よしはらたちふり)は京都府舞鶴市にある朝代神社(あさしろじんじゃ)で4年に1度、11月3日に奉納される伝統芸能です。
内容は刀や薙刀(なぎなた)、棒術などを笛太鼓のお囃子に合わせた演武。8演目があり、「祭り子」と呼ばれる6歳から20歳までの地元の男性がそれぞれ2人1組で披露します。
京都の中でも「海の京都」舞鶴の祭り。さらに四年に一度だけというレア感満載の演武です。これが見てみたい!と、夢舞台に来るきっかけになった演目だけに、ワクワクが止まりません。演武が始まると居合とはまた違い、顔を寄せ合い、にらみあってから打ち合ったりと見せ場が盛りだくさんの剣術で面白い!
そして最初は小さな子供と小さな刀だったのが、だんだんと大きな男の子が大きな刀になり、動きも速くなってきます。
最後はまるで映画の中でみる殺陣のような刀さばきの棒術が披露されます。
くるくると回転して打ち合う姿に「うわぁ、カッコいい!」と引き込まれる演武でした。
保存会の方にこの吉原太刀振について伺ってみると、「祭り子」に選ばれることは「地元の誇り」で、昔は「祭り子に選ばれるとお嫁さんを早くもらえる」という話もあったと教えていただきました。
男の子のこんなカッコいい姿をみたら、女の子はお嫁さんに行きたくなるのもよくわかりました。
邦楽 箏
「邦楽」は日本の伝統的な民族音楽や古典音楽のこと。
今回は徳島県の鳴門中学校音楽部・徳島県学校邦楽育成会による箏による箏曲(そうきょく)が演奏されました。
また漢字は一般的に「琴」の文字を目にすることが多いですが、実は「箏」が正式名称です。
演奏されたのは橋本みぎわ作曲「天泣」。
箏の曲を聴く機会自体も少ないですが、この舞台では10名以上も奏者がおり壮観!
はじめて聴く曲。
優しく繊細な音色を聴いていると涙があふれてきました。
確かに「天泣」なだけある。「琴線に触れる」というのはこういうことを言うのでしょうか。
真剣さや練習量が伝わる演奏で、カメラ撮影する手も止まり、聴き入りました。
南京町春節祭 中国獅子舞
中国獅子舞とは、吉祥のシンボルである獅子の動きに倣った民間芸能で、邪気を払い福を呼び込む縁起物として祝い事には欠かせない中国の伝統文化の一つです。
中国獅子舞には大きく分けて「北方獅子舞(北獅・ペイスー)」と「南方獅子舞(南獅・ナンスー)」があり、伝統文化の夢舞台で披露する神戸中華同文学校舞獅隊の獅子舞は、南獅です。
南獅はカンフーの練習演目の一つでもあり、見得の切り方や足の運びなどに特色があります。
舞台に獅子が登場すると「ジャン!!ドンドン!!」と、シンバル、太鼓、銅鑼の大きな音に圧倒される。
おおおおお!!この体全体で感じる音圧!まるで春節の日に爆竹が鳴り響くような感じ。数年間、中国に住んでいたときのことが思い浮かびます。
子どもたちがこんなにキレのよい動きや演奏が出来るなんて凄い!と見入ってしまう演舞です。お面がどんどん変わる変面など、他の中国伝統芸能も披露される南京町春節祭を見に行きたくなりました。
過去の春節祭の様子に加え、獅子の操作方法から動きの意味まで解説が見られる動画はこちらです。
中堂寺六齋念仏踊り
中堂寺六齋念仏踊りとは
今と同じように1100年前にも洛中に疫病が蔓延していました。その時、空也上人(くうやしょうにん)が托鉢の鉢と瓢箪を叩き、人々の不安を取り除いた「鉢叩き念仏」が六齋の起源と言われています。
中堂寺六齋は江戸後期に原形が確立し、他の団体との競演を重ねるうちに徐々に宗教色が薄れ、芸能化したといわれています。
曲の内容について
現在は14曲の演目を継承しています。演奏された中でも特徴的な3曲をご紹介します。
越後さらし
前半は大道芸の越後獅子をモチーフにした太鼓曲です。後半のさらしは三味線の曲弾きを太鼓の相打ちに転用したもので、女子の出演する演目として定着しています。
越後獅子(角兵衛獅子)について、詳しくはこちらの記事もご覧ください。
四つ太鼓
六齋の基本芸で、四つの太鼓をテンポよく打つ。1本ぶち、2本ぶちがあり、終盤は2個の太鼓を加えて六つ太鼓に展開します。
獅子と土蜘蛛
獅子の優雅な太平の舞に対し、邪悪の象徴として土蜘蛛の精が忍び寄り、千筋の糸を絡め獅子を苦しめます。勧善懲悪の教えの通り、獅子が勝利し、六齋念仏のクライマックスを迎える人気の演目です。
ゲストの東儀秀樹さんが「盛りだくさんで驚きました」とコメントした通り、片手だけでもこれだけ叩ける!という太鼓をはじめ、日本古来の新体操があったのかというような「越後さらし」、棒振、さらにはアクロバティックな獅子舞が見られます。4月の伏見稲荷大祭、8月壬生寺の送り火法要に行って、六齋念仏を見に行きたいです。
また2022年11月30日、「京都の六斎念仏」は全国41件の「風流踊」のひとつとして、ユネスコ無形文化遺産への登録が決まりました。
水口ばやし
水口ばやしとは
江戸時代から伝わる郷土芸能として全国的にも有名な「水口(みなくち)ばやし」。
滋賀県甲賀市水口町にある水口神社の例大祭として、毎年4月19日・20日に催される「水口曳山祭」において、巡行する曳山の上で演奏されています。
ゆるやかな上方囃子と異なり、緩急の変化が激しい勇壮なその調べは、野生的で庶民的、かつ近代的な音曲として親しまれています。
水口ばやしの曲
大廻(オオマ)
曳山が狭い道や下り坂にさしかかった時や方向転換(ギリ廻し)の時に曳き手の注意を促すように囃す曲。ジャズ調でゆったりした曲です。
馬鹿(バカ)
曳山が平坦な道を進む時に囃す曲。マンボ調で、水口ばやしの基本的な曲です。
屋台(ヤタイ)
曳山が上り坂にさしかかった時や、宮入りの時、曳き手を力づけるように囃しますが、最近では他の場面でも囃されることが多くなってきています。ロック調で威勢が良く、最も人気がある曲です。
お囃子を聴いていると、豪華な曳山が巡行する水口曳山祭に行きたくなる。他にもどんな曲があるのだろう。曳山の上で本領発揮で演奏する姿を見てみたい…!と、これもこの「伝統文化の夢舞台」に興味を持つきっかけのひとつになりました。
播州歌舞伎
播州歌舞伎の起源は、播磨国加西郡東高室村(現加西市北条町東高室)で起こった「高室芝居」にあります。元禄時代に大坂から来た浪人役者が、都会での芝居の話を東高室の役者に聞かせたところ、その話に魅了された若者達が稽古を始め、村内で演じたのが始まりとされています。
播州歌舞伎の特徴
長年、各地を巡業し、「面白くなければ、明日は呼んでもらえない」という厳しさの中で、観客の要求を柔軟に取り入れる必要があったため、大げさな所作、派手な衣装や化粧となっていきました。方言やなまりを入れた科白まわし、身近にあるものを使っての演出をします。「通し狂言」という全幕を上演していました。
外題「寿式三番叟」
もともと能の「翁」を歌舞伎化したものです。
播州歌舞伎の三番叟は、いろいろな三番叟の要素が混じり合い、天下泰平、五穀豊穣、芝居繁盛を祈願する心が込められています。
上方歌舞伎の流れを受け継ぎ、翁の役を「中の太夫」という女形がつとめることによって華やかさを出しています。
演目を見てみると、お祭りの奉納舞ではなく、「お稽古」というのが地域に根付いている演目だと感じます。Youtube配信を行ったり、公演もされているだけあって、しっかりとした「舞台」でした。
淀江さんこ節
淀江さんこ節とは
鳥取県米子市に伝わる「淀江(よどえ)さんこ節」。起源ははっきりしませんが、江戸時代中頃の世情を歌った歌詞があるため、幕末から明治にかけて九州方面から唄と踊りが伝わったものではないかと言われ、三味線の旋律から九州のハイヤ節の系統ではないかともいわれています。
「さんこ」とは宿屋の女中衆の呼び方で「おさんこさん」「おさんどさん」と言われます。北陸の「おけさ」と語源は同じで、「さんこ」から「おけさ」へと民謡が日本海を北上して伝わったとされています。芸子衆ではなく、女中衆が泊り客をおもてなしするためのお座敷芸能として進化しました。
演目について
三味線、太鼓、鉦に合わせて七七七五調の歌詞で歌います。今回、歌い手は高校2年生、三味線は小学5年生と中学3年生です。太鼓、囃し、鉦、伴奏三味線は保存会と高校の先生がサポートします。
演目はどれも思わず笑ってしまう、楽しさがあふれる舞台です。
特に腰を振りながら左官屋さんが出てくる「壁塗り踊り」はユーモラスでおもしろい!お弟子さんが泥を練って、親方に投げ上げ、親方が壁に塗るパントマイムのような動作が見どころです。時には客席に泥を投げ入れるフリをして、お客様に投げ返してもらうかけあいも。演者も客席も一体になり、笑いあえる演目でした。
最後は人を幸せにする、お金持ちにする、縁起がいいと言われている演目「銭太鼓」で舞台を盛り上げました。
以上、「伝統文化の夢舞台」レポートでした。
日本各地の伝統の共演で、まさに夢舞台。
遠方でなかなか見ることの出来ない演目を一気にみることが出来るというのはありがたいです。
子どもたちも有名な雅楽師・東儀秀樹さんに講評していただき励みになったと思います。このような夢の舞台が続いていくようにと願わずにはいられません。