しし踊り百頭が大行列、その勇壮さに心躍る。江刺甚句踊りに出る若者の赤や青など色とりどりの衣装や髪型を見ていると元気が湧いてくる。
岩手県奥州市で開催される江刺甚句まつりは、「市民のパワー」を非常に感じるお祭りだ。自らが所属する地域や団体、職場など、その繋がりを再確認する場であるようにも思える。外から来たお祭りファンにもその熱狂が伝染するのだ。
2023年は50周年の記念すべき年で、5月3日・4日に開催された。4日の様子を中心に、このお祭りを振り返っていくことにする。
江刺甚句まつりとは?
祭りの起源は、1822年に遠江国(現在の静岡県中西部)から岩谷堂の秋葉神社に火伏せの神の分霊を迎え、同年代に祭事を行ったことに遡る。奥州市江刺の中心市街地である岩谷堂では、1731年から1906年までになんと7回の大火災があり、町の復興と火災の防止を祈願するため行われた秋葉神社火防祭が祭りの源流となっているのだ。
長い時を経て、祭りはどんどん華々しさを増していく。戦後からは厄年の人(25歳、42歳)を中心に実施される祭りとなり、1974年には「見るまつりから参加するまつりへ」をキャッチフレーズに「市民総参加のまつり」となった。ここから現在の「江刺甚句まつり」が誕生したのだ。
今年ちょうど50周年を迎える江刺甚句まつりは、コロナ禍前同様の例年通りの開催とのこと。5月3日には同時にうちわや扇子を持って大勢が踊った記録ということで1,719人がカウントされ、ギネス世界記録も誕生して盛り上がった。まさに「市民総参加」を象徴するような記録達成に地域の方々は沸いたことだろう。
今回はその翌日に行われた百頭のししが踊り歩く「百鹿大群舞(ひゃくしかだいぐんぶ)」と1,000人の踊り手が行列を作る「江刺甚句大パレード」の様子をお届けする。
大通り公園の周辺で開催!
会場は新幹線の水沢江刺駅から車で10分ほどの場所にある、奥州市役所江刺総合支所などが密集する江刺大通り周辺の市街地エリアだ。大通り公園のおまつり広場を中心として、江刺甚句まつりは行われていた。
会場周辺にたどり着くと、すでに沿道には数多くの見物客がひしめき合っている。道路幅の広い大通りに、遥か多くしし踊りの団体がすでに待機しているのが見える。
周辺には、お祭りに合わせて、屋台がずらりと並んでいる。クレープとアイスのお店がとても繁盛しており、大行列をなす。若者や家族連れを中心として賑わっているようだ。
ししが大集合!百鹿大群舞
14時40分、太鼓系しし踊りの一斉演舞「百鹿大群舞」が始まった。
しし踊りは徐々に大通りを進行して、近づいてくる。大演舞じゃなくて、大群舞なのが良い。まさに、鹿だか獅子だかわからない得体の知れない生き物が大群をなして、近づいてくるようだ。ひっきりなしに深く響く太鼓を鳴らし、近づいてくる。
太鼓を腹の前で持ち、細いバチでズシンと音を奏でる。鹿のような頭とそこにつけられた髪の毛のザイ、背中に一対でつけられた長くて白いササラを揺らしながらその非常に重い体を揺らして踊る。
それにしても、素朴で渋い染色の色合い、ピンと立った角、低く太鼓を持つような姿勢など、端々に格好良さが際立っている。
通りを埋め尽くす、しし踊り。ササラをバサッと前に倒す瞬間などは、非常に迫力を感じる場面の1つである。
大群舞が終わると、しし踊りの各団体は、おまつり広場や大通りなど各所に移動。ここで、一斉に礼庭という演目の披露も行なわれた。
こちらはおまつり広場で行われた「奥山行上流餅田鹿踊」の踊りの様子だ。
太鼓系しし踊りの結びつきの強さを感じた。これだけの大行列が作れるのはシンプルな言葉だが、「ししが格好いいから」かもしれない。個人的には重たくズシンと響く太鼓の音が素晴らしいと再確認した。
百鹿大群舞の動画は、僕のYoutubeからご覧いただけるようになっている。
流派の結びつきが可能にする大群舞
百鹿大群舞で披露される演舞はしし踊りと呼ばれる芸能だ。「鹿踊」と書く場合もあれば「獅子踊」とする場合もある。ここではししをひらがな表記とさせていただいた。もともと日本固有の身近な獣である鹿を供養する踊りに大陸の獅子舞に見られるようなライオンの「獅子」という概念がミックスされた踊りとしても解釈できる。
このしし踊りには、岩手県北部を中心とした幕系、南部を中心とした太鼓系に分かれる。その中で、太鼓系のしし踊りが今回登場した。しし踊りには流派があって、行山流や金津流などに分かれている。それらが互いに影響し合っていることなども、しし踊りの一斉演舞ができる要因の一つといえるだろう。
江刺甚句の大パレード
さあ、しし踊りの次は江刺甚句まつりのクライマックスの一つ、江刺甚句の大パレード。17時過ぎに始まったパレードでは、踊り手の数にも注目だ!道路を埋め尽くすようにぞろぞろと進んでいく。老若男女が分け隔てなく、この行列には加わっているようだ。
江刺甚句踊りの歌詞は「甚句踊りは 門(かど)まで来たや じいさま出てみろ アリャ 孫つれて」から始まる。待ちに待った踊りが家の前まで来たという様子を歌っているのだろうが、昔から街路を流して踊っていたことがうかがえる。
若者たちの個性爆発!衣装や髪型などに注目
江刺甚句の大パレードは数で圧倒されただけでなく、その個性にも圧倒された。「こんな人もいましたよ」ということで、衣装や髪型、仕草などユニークだと思った事例をご紹介していきたい。
約1,000人の市民が江刺甚句を踊る「江刺甚句大パレード」では、髪型が赤やら青やらに染め上げられた粋な若者たちや、ジュースを配り始める方々、突如道端に現われるヒーローなど、個性が爆発していた。
突如、道端に戦隊モノの衣装を身に纏う人が登場!江刺のご当地ヒーロー「郷炎神ヒャクシカイザー(ごうえんじん ひゃくしかいざー)」というしし踊りをモチーフにしたキャラクターらしい。
踊り手の髪型はカラフルで個性があふれる。
男女ペアでの踊り方にも注目!
この踊りの歴史について少し触れておきたい。江刺甚句踊りには南部領の踊りの特徴がなく、江戸時代の仙台藩に属して以降に広まった「定義あいや」の踊りから派生したのではと言われている。宮城県宮城町大倉の「定義あいや」は男女が組になって踊る「あわせ踊り」があることが特徴だ。
日本舞踊は基本的に個々が独立して踊ることが多いが、「江刺甚句踊り」にはいくつもの踊り方があり、男女一対による「組甚句」という踊りも伝えられている。
フィナーレは本ばか踊り!
最後に18時45分から、おまつり広場で「本ばか踊り」という踊りが行われた。一般の観客でも踊れるらしい。最初は江刺甚句踊りの踊り手が中心だったのが、徐々に踊りの円は大きくなっていき、賑やかさが増していった。
団扇を持ち、楽しそうに踊る踊り手たちの姿。
こちらは、お囃子の太鼓の皆さま。手首を大きく動かすようなバチの振り方が印象的だった。
大人数の迫力を体感できる祭り
市民参加のまつりの醍醐味は、鑑賞するだけでなく一緒に楽しめること。今回の江刺甚句まつりを通して、市民の方々の熱気を感じることができた。幅の広い道路を、しし踊りや江刺甚句などの踊りが埋め尽くす様は圧巻だった。
19時半ごろ、おまつり広場を後にした。あたりは街灯がなく、田んぼのあぜ道が広がっている。カエルの声がゲコゲコと次第に大きくなる。それでもまつりの熱気はまだまだ続いているようだった。江刺甚句踊りの歌はどこまでも聞こえ、会場の光が夜空を照らしていた。