受け継ぐことができるのは名舟地区の男だけ。各世代が考える御陣乗太鼓の継承
能登半島に伝わる御陣乗太鼓。この伝統芸能を継承できるのは、輪島市名舟町に住む世帯数約70戸、人口約250人の中の、さらに男性のみに限られています。同じ輪島市内であろうと、他の地域に住む人は、叩くことが出来ません。小さな地域の人たちだけで、400年もの間、絶やすことなく受け継がれてきました。
加えて、御陣乗太鼓の公演はお正月以外、毎日のように行われています。日々の営みの一部となっている御陣乗太鼓を、関わる人たちは、どのような意識で受け継いできたのでしょうか。
保存会に参加する様々な方に、御陣乗太鼓との関わりや継承への思いについて聞きました。
北岡周治さん(御陣乗太鼓保存会 事務局長)
北岡周治さんは名舟の地に生を受け、今に至るまで御陣乗太鼓とともに地域の歴史を目にしてきました。現在は御陣乗太鼓保存会の事務局長を務め、伝統の継承と発展に尽力しています。代表者の目線から、御陣乗太鼓との関わりや継承への思いをお話いただきました。
——御陣乗太鼓の特徴やこれまでの活動の歴史について教えてください。
御陣乗太鼓の最大の特徴は、面に応じた芸をいれるところです。この地域では15歳になったら義勇団に所属して、御陣乗太鼓よりも古いと言われている娯楽、村芝居を行います。その中で見得を切ったり気を入れて奇声をあげるといったことが培われてきたことが背景にあると思います。
面はもともと村人が各々に持ち寄って、お祭りが終わったらお宮さんが保管していたそうですが、御陣乗太鼓が有名になったことで面が減り、今は責任者が保管するようになりました。
名舟の男しか叩けないという決まりも、昔は『名舟に生まれ育ったものしか打てない』『長男しか教えない』と言われていました。しかし、少子化の波もあり『名舟の男子であればいい』という風に変わってきています。
——ご自身と御陣乗太鼓の関わりや魅力について教えてください。
父親が第一線でがんばっていたので、生まれてきたときから身近な存在でした。まだ小さい頃、母親に背負われて、父親の奉納打ちを見に行ったことが今も目に浮かびます。その後、帰ってきてからバチを振ったのが始まりです。
若いときから『バチは刀』と教えられてきたので、楽しい、面白いという気持ちはないですね。常に限界との戦いです。
それでも、3日連続で叩くと疲れますが、2日休むと、無性に叩きたくなります。面をかぶった瞬間に、自分が自分ではなくなっている。違う自分がいるというのも魅力です。
——普段は、どのような活動をされているのでしょうか。
保存会のメンバーは、会社員であったり、自営業であったりと、それぞれ仕事を持っています。その仕事を終えた後、キリコ会館やホテルなどで公演を行っています。
——名舟大祭以外の活動は、どのようなきっかけで始まったのでしょうか。
先人たちが伝統を継承するために保存会を結成したとき、ホテルや旅館と交渉して収入を得ることで、地元へ還元しようという思いで始めました。
その後、能登観光ブームによって大変忙しい時期があり、若者たちも地元で仕事をし、夜は太鼓で稼ごうという流れになった、という経緯があります。継承させるためにも、収入を得ながら太鼓を叩き続ける必要があったのです。
でも、こういった活動の根本は、皆『御陣乗太鼓が好き』なんですよ。
——御陣乗太鼓の継承についてはどのようにお考えですか。
昔は15歳になったら義勇団に加盟して、太鼓に対して一生懸命向き合うことでスムーズに継承してきました。でも、今は義勇団も休団しており、参加するチャンスがない状態だったのです。
そのような中、一番若いメンバーが「高校生とやりたい」と声をかけてくれました。これまでも小学校6年生までは全員取り組んでいても、中学や高校へと上がると御陣乗太鼓から少し離れてしまい、意識も低迷してしまっていたのです。
今では高校生も大人と一緒に舞台を踏むようになり、よい流れが出来ています。出たいと言ってもらえれば、どんどん出てもらいたいです。
また、この流れを絶やさないためにも、子どもたちが御陣乗太鼓に取り憑かれるような背中を、大人たちも見せていかなければならないと感じています。
——2022年の名舟大祭での感染症対策を教えてください。
名舟大祭は、御陣乗太鼓だけではありません。キリコや御神輿を大人数で担ぐこともあるので、PCR検査を受けて陰性であれば参加するという形にしています。外部の人になにかを要請するのではなく、まずは地元でしっかりと検査を行って取り組もうと考えました。
またシャトルバスの取りやめなど、できる限り「祭りを地元だけで行う」という考えになっていると思います。
脇本哲也さん
昼は自動車整備の仕事をする傍ら、保存会のメンバーとして、日々の公演や後進たちの指導に当たっている脇本哲也さん。「太鼓ではなく、御陣乗太鼓が好き」と話すほど、深い愛情で御陣乗太鼓と関わり続けている脇本さんに、継承についての思いをお話し頂きました。
——脇本さんは保存会の中で、どのような活動をされているのですか。
キリコ会館やホテルなどでの公演のほか、子どもたちの世話をしています。
——御陣乗太鼓を叩く人たちにとって、地元で行う名舟大祭はどのような位置づけなのでしょうか。
名舟大祭は、いつもの公演とは感覚が違います。海を眺めながら太鼓を叩く、あの雰囲気はどこにもありません。公演に参加していない子どもたちや高校生にとっては、名舟大祭が発表の場。ここ2年ほどはお祭りがありませんでしたが、毎年お祭りの前には練習し続けてきました。
——御陣乗太鼓の継承についてはどのようにお考えですか。
本当に今の子どもたちは少ない。その中でどれくらい名舟に残ってもらえるかと考えると、難しい問題です。
叩いてくれるのは嬉しいですが、子どもたちの人生なので、彼ら自身で考えて生きて欲しいですね。その中でも、心の片隅に名舟町の御陣乗太鼓というものを持っていて欲しいなと願っています。
そして、好きで太鼓をやってくれている間は、私も一生懸命教えていきたいと思います。
北岡大生さん
北岡大生さんは、最初に登場頂いた北岡周治さんのご子息。一度地元を出てから、再び名舟に戻り、御陣乗太鼓を叩き始めたという経歴を持っているからこそ感じる、名舟の良さや御陣乗太鼓の魅力について伺いました。
——ご自身と御陣乗太鼓の関わりや魅力について教えてください。
途中、仕事で抜けている時期もありましたが、30年以上前、保育所の頃から叩いています。御陣乗太鼓の魅力は荒々しさです。敵の軍勢を追い払ったという太鼓なので、見ている人にも『怖かった』と言ってもらえると嬉しいですね。
——1年間ほぼ毎日公演が行われています。ご家族の理解があるからこそ続けられるのでしょうか。
叩いているメンバーも大変そうですが、それ以上に家族も大変じゃないかと感じています。でも、すっかり当たり前になっているので、出かけるときも『いってらっしゃい』というだけ。きっと名舟の人たちは皆そうじゃないかな。この環境が当たり前の中で育ってきたので、バチを握れば、どんな体調でも疲れでも関係なく叩きます。
そういった暮らしを支えつづけていられるのは『意気地(いきじ)』があるからだと思うんです。太鼓も好きだけど、『意気地』という思いが大切なんです。
——子どもたちや若い世代も御陣乗太鼓を叩いていますが、継承についてはどのようにお考えですか。
名舟の男なら、名舟の精神である『意気地』があれば、どこでも生きていけるんじゃないかと思うんです。
地元に残る子には、御陣乗太鼓を引き継いでいって欲しいという思いはありますが、夢がある子もいます。自分も一度、外に出ていたので、故郷を客観的に見るのはいいことだと思っているんです。ただ、名舟にいる子は、太鼓を叩いてくれたらうれしいですね。
南雄輝さん
2022年現在、最年少。高校2年生の南雄輝さんに、御陣乗太鼓との関わりのきっかけや名舟大祭への思いを伺いました。
——ご自身と御陣乗太鼓の関わりや魅力について教えてください。
小学校2年生のときに、先生にやってみないかと言われたことがきっかけです。当時は大人が打つ姿もかっこよかったですが、それよりも練習終わりにジュースを買いに行けることが魅力で続けていました。
今は、大人たちと一緒に太鼓をやっている中で、どうやって近づけるかなどを考えていますね。結構プレッシャーだったりもします。
——今回、3年ぶりの名舟大祭ですが、楽しみですか?
名舟大祭で太鼓を打つのは小学校の時以来なので、緊張はします。でも名舟の男だけしか叩けないので、誇らしいです。
——高校卒業後は、御陣乗太鼓とどう関わっていきたいと思っていますか。
地元から離れて働いた後、最後には帰ってきて太鼓を叩きたいと思います。今は少子高齢化で子どもたちも減っているので、子どもをできるだけたくさん呼びたいです。
大宮正晴さん
後輩である南さんに誘われて御陣乗太鼓保存会に加わった大宮正晴さんは、保存会の高校生メンバーの一人です。御陣乗太鼓の将来を担う若手としての思いを伺いました。
——ご自身と御陣乗太鼓の関わりや魅力について教えてください。
後輩の南くんが先に御陣乗太鼓をやっていたのですが、自分も父の姿を見てやりたいなと思っていたので始めることにしました。
子どもの頃も御陣乗太鼓をやっていましたが、高校生でやっている人はいませんでしたね。南くんがはじめたことで、高校生もやっていいんだと知りました。
太鼓を叩くことは、楽しいです。名舟の人しか叩けないと思うと、嬉しい気持ちになります。
——キリコ会館でも叩いているそうですが、初めて人前で披露したときはどうでしたか?
緊張して、お客さんの様子などは全くみえていませんでした。先輩からは「お疲れ。初めてにしては良かった」と言ってもらえました。
——高校卒業後は、御陣乗太鼓とどう関わっていきたいと考えていますか。
卒業後は、市役所で働きたいです。地元に残って、太鼓も続けていこうと思っています。自分の中で、伝統文化を背負うプレッシャーなどは感じたことはないですが、ただ頑張ろうと思っています。
【あとがき】
日々の公演や練習を通じて絆を結んでいる名舟の人たち。無血で上杉軍を追い払った伝承にも通じる、どのような逆境をも跳ね返す「意気地」という共通の思いがあるからこそ、小さな町でも御陣乗太鼓を400年という歴史に埋もれることなく守り続けているのだと感じさせてくれました。親から子へ、子から孫へ受け継がれる土着の伝統芸能。御陣乗太鼓を叩く親の背中を見て育った子供は、たとえ大人になって名舟を離れても、御陣乗太鼓を叩くために戻ってくるのは自然なことなのかもしれません。
取材:8月18日