日本3大盆踊りの1つである郡上おどり。今年はコロナの影響で中止になりましたが、代わりにオンラインライブ配信で踊り助平(ファン)を賑わしています。
郡上おどりの特徴の一つは曲数の多さ。10種類の多様な旋律につれて踊れば、時間があっという間に過ぎること間違いなし!とはいえ、昔からすべての曲が存在していた訳ではありません。
そこで、今回はそれぞれの曲の由来や歌詞の内容、振り付けなどを簡単に紹介していきます!郡上おどりをより深く知ることで、あなたも踊り助平(ファン)になりましょう!
目次
郡上おどりの代表曲!「かわさき」と「古調かわさき」
郡上おどりで一番知名度の高い「かわさき」。上品でゆったりとした節回しと、振り付けから郡上の山や川を垣間見ることができる優雅な踊りが特徴です。
実は10曲の中では最も新しく、原曲は1914年に作曲・振り付けされた長唄「花のみよし野」。同年に移設された郡上郡役所の開所式を始め、公のイベントや催事で上演されました。その後は1923年に行われた公募によって歌詞を一新し、曲や振り付けが洗練された結果、「かわさき」として郡上おどりの代表的な踊り種目となります。
その「かわさき」の原型となったのが「古調かわさき」。通説によれば、16世紀後期にお伊勢参りに赴いた人々が現地で歌われていた「伊勢音頭(川崎音頭)」を郡上へもたらしたのが始まりなのだとか。農作業の所作を倣った踊りと共に、男女の情愛や地元自慢などを歌い込んだ美声が、夜空へ響き渡ります。
一曲目として毎夜踊りの始まりを告げるだけでなく、郡上おどりのルーツでもある、非常に重要な一曲です。
初めの2曲で体が温まったら、いよいよ踊りの本番に差し掛かります!
踊りの山場!「三百」と「春駒」
時は1759年。郡上一揆の責任を問われたことで改易された金森家に代わって、青山幸道が新たに藩主として郡上に入封しました。その際、お供と出迎えた者に三百文づつ与えられたことに感激した人々が披露した踊りが「三百」の始まりとされています。
郷土史家の曽我孝司氏は、歌詞を「農民の日常生活の喜怒哀楽が風刺をまじえて、面白おかしく歌い込まれている」(2016, 28)と評するなど、農民の存在が大きく関わっているのが特徴的。踊りにも農作業の動きが取り入れられており、まさに江戸時代における郡上の生活を体感することができる曲となっています。
「春駒」は郡上おどりの中でも軽快なリズムと威勢のよい踊りが印象的な曲です。
郡上は名馬の産地として知られており、城下では1580年代から毛付市と呼ばれる馬市が毎年7月27~28日に開かれていました。市場に集まった名馬に乗って勇壮に走る姿が、踊りの動きに取り入れられています。
興味深いことに、元々「春駒」は「さば」という名称で知られており、歌も鯖売りが越前国(福井県)から峠を超えて美濃国(岐阜県)へ売りに来た際に伝わったと考えられているそうです。「七両三分の春駒 春駒」という囃し言葉も以前は「一銭五厘のヤキサバ ヤキサバ」でしたが、1949年の名称変更と同時に改められました。
「七両三分の春駒 春駒」に続くのが「ッチョイ チョイ チョイサー」という掛け声です。
「三百」と「春駒」の次は、比較的落ち着いた2曲をご紹介します!
踊りながら一休み!「ヤッチク」と「さわぎ」
江戸時代に「願人坊主」と呼ばれる大道芸人によって、郡上八幡へ伝えられたのが源流とされる「ヤッチク」。踊りも非常に素朴でシンプルなので、郡上おどりの中では真っ先に覚えることができます。
歌詞の内容は、1750年代に金森家の治世下で起きた郡上一揆を時系列に語る「宝暦義民伝」の他、戊辰戦争の際に郡上藩から抜け出して新政府軍と戦う藩士の姿を歌った「凌霜隊伝」など。歌声から醸し出される雰囲気は、夜の涼しい風も相まって、そこはかとない哀愁を感じさせます。
「さわぎ」も「ヤッチク」と同じくスローテンポな曲。踊りも共通する部分がありますが、手拍子の多さや「コラサ」という囃し言葉に違いが表れます。
元々は江戸時代に遊郭で流行していたお座敷歌が土着したものと考えられており、歌詞も男女の情緒を歌ったものが多いです。字余りの箇所では節回しを調節して歌うなど、音頭取りの力量が随所に見られます。
次に紹介する2曲は、踊りが非常に特徴的です!
一風変わった「猫の子」と「げんげんばらばら」
「猫の子」は郡上おどりの中では唯一、郡上八幡の北に位置する白山麓から定着した盆踊り曲です。元々この地域の農民は副業として養蚕(ようさん)が盛んであり、蚕がネズミによって荒らされないように猫を飼っていました。郡上八幡から20km北の地域で行われれている白鳥おどりでも「猫の子」が踊られており、猫の所作を真似た踊りが特徴的です。対して郡上八幡の「猫の子」にはそのような動きは取り入れられておらず、また歌詞も猫のことばかりではない、というのは上辺だけの話。踊り現場では「フゥー」という掛け声が上がったり、動きに猫の仕草を忍び込ませたりなど、現地でしか味わえない雰囲気があります!
「げんげんばらばら」は軽快なテンポと、宮中の手毬の所作が由来とされる、右手で反対側の袖を抑える振り付けが特徴的。最初に演奏される「古調かわさき」以降において、反時計回りに踊る唯一の曲です。
日本民謡大観・中部編によれば、蚕の繭(まゆ)から糸を取る際に歌う糸引き歌、または童歌(わらべうた)の一種である手毬歌が元になったとか (1993, 438)。歌詞は物語調になっている他、「ヤットコセー」で終わる囃し言葉と音頭取りの声が重なることで生まれる絶妙なハーモニーが印象に残ります。
郡上おどりの曲紹介も残すところあと2つ。ぜひ最後まで読み進めてみてください!
名残惜しい!「郡上甚句」と「まつさか」
「甚句」という言葉を聞いて相撲を思い浮かべた人は、ご明察。「ドッコイ ドッコイ」という掛け声から分かる通り、江戸時代にお座敷歌として各地で流行した「相撲甚句」が、名古屋から定着したと考えられています。
また動画の4:30~からも見える様に、徹夜踊りではしばしば相撲取りの仕草を真似た踊りが発生します。基本的に踊りの終わり頃に1度のみ演奏される、いわいる「レア曲」ですので、もし始まったら休憩中でもぜひ参加してみましょう!
そして、郡上おどりの最後を締めくくるのは「まつさか」。古調かわさきと同じく古い来歴を持つ曲で、日本民謡大観・中部編は、伊勢で木を曳く際に歌っていた「木遣(きやり)音頭」が源流ではないかと考察しています (438)。
歌詞は「花のみよし野」で歌われていた郡上名所案内の他、郡上八幡城の築城にあたって人柱となった女性を歌った「およし物語」など。ゆったりとした節回しと踊りが、その日の郡上おどりに終わりを告げます。
最後に郡上おどりにおける曲順の決め方について、ご説明します!
順番はどうやって決められている?
現在の郡上おどりは、「古調かわさき」で始まり「まつさか」で終わるのがルール。その後は音頭取りが踊り手の様子を観察しながら、激しい「春駒」や比較的落ち着いた「ヤッチク」などを折り合わせていきます。もちろん、それでも踊っている最中に疲れたらいったん輪を抜けて休憩するのもOKです!
郡上おどり保存会によれば、1950年代頃は必ずしも全曲演奏していた訳ではありませんでしたが、現在では皆さんに紹介するという意味も込めて一通り演奏するようになったとか。ただし、出張公演などでは「かわさき」や「春駒」など比較的知名度のある曲のみ演奏されます。
いかがでしたか?それぞれの曲の由来を知ると、より郡上おどりの魅力に迫ることができると思います。
今夏に行われたオンラインライブ配信はYoutube上の「GUJO ODORI 2020」というチャンネルで視聴できるので、この記事を機にぜひ踊ってみてはいかがでしょうか?
この記事は、以下の文献を参考にして作成しました(順不同)。
五代利助 (2008). 郡上おどり(中)ー各町の縁日おどりー, 日本の民謡 H20年11月号, 月刊みんよう社.
五代利助 (2008). 郡上おどり(下)ー三大盆踊は十種目もー, 日本の民謡 H20年12月号, 月刊みんよう社.
曽我 孝司 (2016). 郡上踊りと白鳥踊り -白山麓の盆踊り-, 雄山閣.
日本放送協会 (1993). 復刻 日本民謡大観 中部篇(東海地方・中央高地) , 日本放送協会.
郡上おどり保存会 (1998). 郡上おどりの本, 郡上おどり保存会.
郡上市 (2020). 郡上市歴史的風致維持向上計画 (https://www.city.gujo.gifu.jp/admin/detail/4451.html 観覧日:2020年08月22日).