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およそ100年前、弘前の桜は武士たちを慰めていた。「弘前さくらまつり」を生み、守り、繋いでいく人々の物語

2023/4/17
2024/3/8
およそ100年前、弘前の桜は武士たちを慰めていた。「弘前さくらまつり」を生み、守り、繋いでいく人々の物語

日本有数の桜の名所として、青森の春を彩る「弘前さくらまつり」。今年は桜の早咲きに対応し、準まつり体制が4月15日(土)からスタートしています。正式の開催期間である4月21日(金)~5月5日(金)を合わせると、実質3週間、桜の祭典をたっぷりと楽しめる模様。今年は特別な春になりそうです。

弘前公園で開催されるこのお祭りは、濠沿いに映える赤い橋や、桜の花で作られるハート型の空、そして舞い散る花びらが濠の水面を埋め尽くす「花筏(はないかだ)」など、一度はSNSなどで目にしたことがある人も多いのではないでしょうか。

弘前さくらまつりの赤い橋

たくさんの桜の「映えスポット」がある「弘前さくらまつり」には、長い歴史があることをご存知でしょうか?実は今年で103回目を迎えます。このお祭りの誕生は、明治時代まで遡るのです。

人々が集い、桜を愛でる、春の訪れ。100年以上もの間、弘前市の歴史と共にあった桜は、人々とどのように歩んできたのでしょうか。

今回は「弘前さくらまつり」の歴史を紐解きながら、お祭りの特徴や見どころについて、桜を守り、育てる弘前市公園緑地課「チーム桜守(さくらもり)」の海老名雄次さんと橋場真紀子さん、そして弘前観光ボランティアガイドの会会長の桜庭全一さんにお話を伺いました。

心に寄り添う桜と時代を彩る桜

桜と弘前城

――さくらまつりが生まれた明治期の時代背景や人々の様子を教えて頂けますか?

桜庭さん:さくらまつりの誕生には、江戸から明治へと変わったタイミングが大きく関係しています。江戸時代では、津軽藩として弘前市が中心地だったのですが、廃藩置県が行われた明治時代には、県庁が青森市に移りました。明治になって武士が失業してしまうわけですね。そうして津軽藩の象徴だった弘前城も廃城になりました。つまり、藩士たちの心の拠り所もなくなってしまったんです。

――このような時代背景の中、「弘前さくらまつり」の誕生に関わる印象的なエピソードはありますか?

桜庭さん:この時代の状況を憂いた人物に、菊池楯衛(たてえ)という元弘前藩士がいます。「弘前さくらまつり」は、この菊池楯衛とりんごが大きなきっかけとなっているんです。その当時、たくさんの種類の苗木が政府から配布されたのですが、その苗木のひとつにりんごがあったんです。彼は、りんごが弘前の風土に適していることを見抜いたそうです。その後、廃藩置県で廃業に追い込まれた武士たちに、りんごの苗木を無償で与えたのが彼でした。武芸より園芸が好きという変わった藩士だったそうですよ。

――菊池楯衛のりんごとの出合いが「弘前さくらまつり」のきっかけに?

桜庭さん:そうです。その後、りんごの苗木の研究をしていた彼は、この時に桜と出合います。当時はまだ、名前も付けられていないソメイヨシノでした。荒廃してしまった弘前城に、ふたたび活気を取り戻したい、そんな思いから城跡に1000本ものソメイヨシノを植えたそうです。

桜と弘前城

「花は桜木、人は武士」という言葉のように、廃城となった城に植えられた桜たちを見ることで、武士たちの栄華に思いをはせたのではないでしょうか。人々も元気づけられていったのだと思います。

――人々の心の拠り所となった桜は、その後、桜の花を観賞する「観桜会(かんおうかい)」が開催されるまでに価値を見出されていきます。桜はどのように、人々の暮らしにとって大切な存在となっていったのでしょうか?

桜庭さん:「観桜会」の前身となる「呑気倶楽部(のんきくらぶ)」という団体があります。商家の跡取り息子や武士の次男・三男など、若者が中心であった彼らは、「観桜会」に先駆けて、今で言う「お花見」を形作りました。当時、弘前にはまだまだ封建的なムードで、「城跡で庶民が楽しむなんてけしからん」という考えも、中にはあったようです。ですが、同時に大正デモクラシーなどの大衆運動が盛んな時代でもありました。社会的な意識に目覚めていた「呑気倶楽部」を中心に、庶民も自由を謳歌しようと、桜と共に新しい意識を受け入れていったそうですよ。

――当時のお花見はどのようなものだったのでしょうか?

桜庭さん:山車が出たり、囃子に合わせて踊ったり、そして芸者たちも踊りを披露したようです。夜桜にも、多くの人が集まったという記録が残っています。

人々の心や時代の空気にまで明るさを与えてくれる桜は、当時も、今と変わらず咲き誇っていたことが伺えます。

「弘前さくらまつり」の特徴と見どころ

ソメイヨシノ弘前公園で最長寿のソメイヨシノ

――「弘前さくらまつり」の特徴について、具体的に教えてください。

海老名さん:約6割強の割合を占めるソメイヨシノが主力の品種です。全国では珍しく、樹齢100年を超えるソメイヨシノが400本以上あります。長寿の桜が今でも綺麗に花を咲かせていることは、このさくらまつりの大きな特徴だと誇っています。

弘前雪明かり弘前にしかない桜の品種「弘前雪明かり」

他にも、八重やしだれ、そして黄色い花をつけるウコンなど、全部で52品種の桜が楽しめます。特に「弘前雪明かり」という品種は、弘前にしかありません。ぜひ実際に足を運んで見てもらいたいですね。

――桜の花枝が切り取るハート型の空の写真が注目を集めていますが、その他に隠れた名スポットなどはありますか?

海老名さん:知られてないわけでもないんですけど、個人的には本丸の旧天守台がおすすめです。ここは、昔天守があった場所なのですが、石垣の角に立つと、桜が足元に広がっているように見えるんです。桜を見下ろせるので、いつもとは違う見え方を楽しめると思います。

天守台からの桜本丸の旧天守台に立つと足元に桜が広がる

橋場さん:スポットではないですが、桜の香りもぜひ堪能してほしいです。ソメイヨシノが満開になると、私は香りでわかるんです。朝の8時半頃、職場に着くと吹いてくる風で「あ、今日満開だな」って。満開になった1日目はみずみずしい香り。そして2日目、3日目が経過すると甘さが香り立つんです。日に日に変化する桜の香りを、私自身もとても楽しんでいますよ。弘前公園は24時間開放しているので、まだ車通りが少ない早朝から8時半くらいに、桜の香りをたよりに来てほしいですね。

ソメイヨシノや弘前雪明かりを含む52品種の桜が、およそ2600本も咲き誇る弘前さくらまつり。 東京ドーム10個分以上の敷地面積だというこの公園では、日の差し込み方や気温のわずかな差で、エリアによって開花するタイミングにも違いがあります。この場所に足を運ぶからこそ堪能できる桜の香りと共に、さまざまな桜の表情も楽しめそうですね。

桜を見守る人々とりんご

――りんごの栽培方法を桜の育成の参考にしているのはなぜですか?

海老名さん:1950年頃、実家がりんごの栽培農家だった職員が、桜の枝を切ってしまったことがありました。「桜切るバカ、梅切らぬバカ」ということわざがあるように、桜は切らないで管理することが当時の常識だったんです。ですが、この職員は慣れ親しんだりんごと同じように、桜の枝を切ってしまったんです。するとその後、そこから新しい元気な枝が出てきたのだそうです。この出来事がきっかけとなり、りんご農家から桜の管理方法を学ぶようにもなりました。弘前は、他の地域よりも先駆けて、桜の枝を積極的に切る独自の剪定方法である「弘前方式」を確立していったんです。

――「チーム桜守」のみなさんの活動について教えてください。

橋場さん:剪定、施肥、薬剤散布の3つを合わせた弘前方式を中心に、総勢34名で桜の保護と育成に取り組んでいます。その他にも、りんご農家さんが集まる講演に参加したり、お話を聞く機会を作ったり。定期的にりんご栽培の知識も学んでいます。チーム桜守の作業員の中にも、りんご農家を兼業している人や、実家がりんご農家という人もいます。通常の作業の他に、彼らと園内の桜の成長ぶりを観察しながら、日々調査を行っています。

――「チーム桜守」の活動で特に大切にしていることは何ですか?

橋場さん:弘前方式を主軸に取り組んでいますが、それでも桜一本一本は、それぞれに違いがあるわけですよね。同じような管理をしていても、1本だけ具合が悪くなって、病気に侵されていたり。そういう状況をカバーするために、一本一本に寄り添うような管理も大切にしています。こういうことを継続することで、弘前らしい桜の風景をお届けできると思っています。

チーム桜守桜の保護と育成に取り組む「チーム桜守」

弘前方式の確立は、弘前の桜にとって重要な出来事だったことが伺えます。しかし、それ以上に、目の前の桜に真摯に向き合うチーム桜守の活動が「弘前さくらまつり」を支えていることに納得させられます。

――最後に「弘前さくらまつり」を楽しみに待っている方たちにメッセージをお願いします。

海老名さん:今年のさくらまつりは、以前に比べて、規制が緩和されて園内でも宴会ができるようになります。ぜひ実際に、おまつりの空気感や賑やかな様子、そして桜がたくさん咲いてる風景を見てもらえたら嬉しいです。

桜庭さん:今年は103回目の開催になります。ですがちょうど100回目の2020年は、新型コロナウイルスの影響で中止になり、公園も閉鎖されました。その時の誰もいない弘前公園の桜を記録した映像があるんですが、こうして桜が見られることは、平和で幸せな証拠なんだと気づかされましたね。こういう感動を全国の方にも実際に味わってもらいたいと、改めて感じています。

弘前と桜の出合いを作り、桜の守り人となった弘前のりんご。こうしてそれぞれの歴史を交差させた桜とりんごは、今では青森県を代表する二大名産品となっています。そしてこのふたつは、どんな時代も前向きに生きようとする懸命な人々の人生と共にあったのでした。

「弘前さくらまつり」の長い歩みには、物語のようないくつもの出来事が重なっています。情緒溢れる桜色の風景ともよく合うでしょう。

そんな100年の歴史に思いを馳せてしまう桜たちに、会いに行ってみませんか?

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