戦国武将・山内一豊が生まれた地である愛知県一宮市木曽川町で開催される「木曽川町一豊まつり」。40周年にあたる今年は前夜祭も行われ、9月16日(土)~17日(日)の2日間の開催となります。
メインとなるイベントは、甲冑に身を包んだ一豊と妻である千代のパレード。華やかな時代衣装に身を包んだ人々が、木曽川町のメインストリートを練り歩きます。織田信長の家臣として知られる山内一豊とはどんな武将だったのか?戦国屈指の仲良し夫婦とされる夫妻について、歴史家の乃至政彦さんに伺いました。
駆けろ KISOGAWACHO KAZUTOYO MATSURI
9月中旬に、木曽川町一豊まつり(愛知県一宮市)が開催される。16日夕方より前夜祭があって、17日は午前から夕方までの本祭となる。
愛知県一宮市木曽川町は山内一豊(1545-1605)の出生地である。見どころは戦国屈指の仲良し夫婦とされる山内一豊・千代夫妻のパレードだが、今回は伝承といささか異なる史実のふたりの魅力を紹介しよう。
なお、本稿は長屋隆幸『山内一豊・忠義』(ミネルヴァ書房、2021)に多くを拠る。
山内一豊は「やまうち・かつとよ」と読む
まずは山内一豊の名前について説明する必要があろう。一豊の名前は長らく「やまのうち・かずとよ」として親しまれてきた。だが、江戸時代にも土佐藩の大名として幕末まで存続した山内家は「やまうち」と呼ばれており、一豊の名は正式の系図に「かつとよ」とルビが付されているので、「やまうち・かつとよ」と読むのが正しいらしい。
とはいえ、あくまで「らしい」の範囲に留まる。どれも戦国時代そのものの記録ではないからだ。
例えば、仙台藩の伊達政宗は「だて・まさむね」と呼ぶのが普通だが、戦国時代には「いだち・まさむね」と呼ばれていた可能性がある。宣教師の記録では、そう記されているのだ。
木曽川町一豊まつりの一豊は、「かずとよ」と呼ばれているが、これをすぐさま史実の名前に訂正すべきだとは言いにくい。
もうひとつ例えを出すと、戦国相模の北条早雲は「伊勢早雲庵宗瑞」と名乗っており、ただの一度も北条の苗字を名乗ったことがない(北条を名乗るのは息子の代から)。だが、伊勢宗瑞も北条早雲もともに語り継がれるべき歴史を備えた名前である。
山内一豊に「やまのうち・かずとよ」と「やまうち・かつとよ」という複数の発音が伝わること自体が、その人物の足跡の大きさを示していよう。
偉大な歴史人物は、その死後も実像を超えて、伝説が育ち続けるのである。
一豊の妻・千代による「内助の功」
山内一豊とその妻はおしどり夫婦としてしられる。有名な逸話に、妻の「内助の功」伝説がある。
近江安土城の織田信長が家臣を集めて、馬揃えというパレードを催そうとした時のこと。貧しい一豊は見栄えのする馬を用意できずに困っていた。
これを見かねた妻が「こんな時のために」と資金を用意して、誰よりも立派な軍馬を購入させ、一豊は主君・信長のもと堂々たる勇姿を示し、その威名を揚げて、出世街道に突き進むきっかけになった──というものである。この逸話は18世紀の歴史書『藩翰譜』に記されたものである。
ところが安土城で馬揃えがなされた頃、一豊は400〜3000石もの知行を得ており、なかなか大きな身分である。1石を10万円ほどと考えると、年間に4千万円から3億円もの収益を得ていたのであり、もちろんその収益で一族郎党を養うから、個人としての手取りは潤沢ではなかっただろうが、軍馬は社用車も同然──どころか、建築現場における作業車両並みに必要不可欠の仕事道具である。個人の資金ではなく、組織の経費で購入すべきものだから、この石高でまともな軍馬ひとつ仕入れられないことはありえない。
するとこの逸話は後世の作り話なのか。というと、そうでもなさそうである。
実証済みの「内助の功」
実はこれより古い記録によると、一豊が馬を用意できずに困っていたのは馬揃えの時ではなく、それより10年前後をさかのぼる越前朝倉義景攻めの頃のこととされている。
その頃は、一豊もまだ信長に仕官して間がない時期であったので、妻が手持ちの財物を売ったり、惜しみなく貯蓄を差し出したりして、名馬を仕入れることも矛盾なくありえる。
ここは「火のないところに煙は立たない」のことわざ通り、名馬購入の逸話を信じてもいいように思われる。
ところでこの逸話を信じて真似たものか、今は有名な大企業を創業をする中年男性が、まだ経済的に厳しかった頃、奥様が(当時はかなり高価だった)コンピュータを誕生日にプレゼントしてくれたことから、その後の飛躍を支えた話がある。
言わずと知れた歴史ゲーム「信長の野望」や「三國志」を開発した襟川陽一(シブサワ・コウ)・襟川恵子ご夫妻の「いい話」である。
山内一豊夫妻の逸話にある「内助の功」に有効性があることはここに実証されているのだ。我々も山内一豊夫妻を介して、夫婦が相互に助け合い、大業を成し遂げる心意気を持っていきたい。