煌びやかな鳳凰の冠が、秋晴れの空の下に輝いた。躍動感あふれる演舞に、心をぐっと捕まれ、そしてその舞に見入った。
下平井の鳳凰の舞。その伝来経路の多様さもあり、鳳凰と奴の2部構成という類を見ない珍しい風流踊が完成した。この踊りはユネスコ無形文化遺産にも登録され、今日注目を集めている。この演舞の魅力に迫っていきたい。
下平井の鳳凰の舞とは?
その名の通り、鳳凰を頭に被って舞う風流踊の一種である。
この舞の起源は定かではなく、京都や日光からの伝来説があり、京都の祇園囃子などを元にした雨乞いのための踊りだったともいわれる。また、江戸歌舞伎の太刀踊りの特徴も含まれている。
明治時代に、干ばつや悪疫が流行してこの舞が頻繁に行われたそうだが、その後に途絶えることとなる。昭和の初めに復活して戦争で中断を余儀なくされ、また復活したという経緯があり、粘り強く継承活動が続けられてきた。
現在では、毎年9月29日の直近の土日で、東京都西多摩郡日の出町にある春日神社の秋祭りの時に、神社での奉納をはじめとした演舞が行われている。令和4年11月にユネスコ無形文化遺産「風流踊」の一つとして登録が決定した。
躍動感あふれる鳳凰の舞を現地で
2023年9月24日、11時半前、春日神社の境内にたどり着いた。鳳凰の舞が始まる前に、神輿の渡御やお囃子の舞台奉納などがあり多くの観客が詰めかけている。さあ、それでは演舞の様子を振り返っていこう。
前座として行われる奴の舞
鳳凰の舞の前座として、「奴の舞」が行われた。これは江戸風の歌舞伎の要素が反映された舞いだ。
小学生が担い手となり、自治会館で半月の練習を経て本番を迎える。まずは大人たちの笛の音から始まり、奴に扮した子ども達が入場してくる。
子どもは右手に白扇、左手に木刀を持ち、舞を繰り広げる。これは歌舞伎の影響を受けた舞であり、薄くお化粧を施しているのがわかる。
こちらは左手に持った木刀を斜め上に掲げる場面だ。
そしてこちらが右手に持った白扇をバッと広げて高く掲げる場面。基本的には、この2つの動作を繰り返しながら円を描くように舞いを披露する。
途中、奴が各々口上を述べるシーンがある。「えっへん」という咳払いから始まり、話し終わるときに「ほゝ敬って申す」と言う。元気よく堂々と口上を述べる子どもたちの姿が、とても勇ましく見えた。
いよいよ鳳凰の舞
後半行われるのは、上方の影響を受けながらも独自の舞いとして伝承されてきた「鳳凰の舞」である。
中学生、高校生、社会人と幅広い年齢層の人々が担い手として参加する。踊り手は総勢10名。鳳凰をかたどった冠を頭につけた者が5名、赤い頭巾をつけた者が5名だ。大太鼓を中心として全員で逆時計回りに円を描いて踊る。
また、鳳凰の冠の一人が小太鼓を持ち、頭巾の一人が軍配を持って、舞を先導していく。鳳凰と頭巾は対になって舞が進行していくのだ。
足を伸ばしてグイーンと低い姿勢になることもある。この躍動感がとても魅力的だ。
鳳凰の舞の担い手がかぶる鳳凰をかたどった冠は、金色に光っており美しい。
鳳凰の舞の周囲には花で飾られた万燈(まんどう)を持つ人や警固がいる。
万燈の中心には、「天下泰平」や「鳳凰の舞」の文字。大きく開いた花々が美しい。
舞いが終わると、周わりに立っていた万燈や大きな提灯を上に吊るした高張が中心に集まってきて演舞が終了となる。
こちら鳳凰の舞の様子は動画にもまとめたので、ぜひご覧いただきたい。
鳳凰の舞、ここならではの風流踊
今回の取材を通して、鳳凰が登場する舞と奴が登場する風流踊は初めて拝見した。関東と関西の文化が入り混じりながら、この地域独自の発展をたどったように思われる。風流踊の成立過程を知ることができる舞であるようにも思われる。
役割が多い舞いだが、みんなどのパートもこなせるマルチプレーヤーとのこと。比較的複雑な所作がなく、繰り返しが多いことも皆が楽しめる要素なのかもしれないと感じた。
また、舞い手が子どもでお囃子や万燈などの脇役が大人ということで、多世代が参加できるという良さもある。実際に親子はもちろん家族三世代で担い手を務める方々もいるという。
東京中心部からは中央線・青梅線・五日市線を利用してアクセスできる立地だ。まだ見たことがないという方は、9月の秋祭りの時期などにぜひ訪れていただきたい。
参考文献
鳳凰の舞保存会『国指定重要無形民俗文化財「鳳凰の舞」』平成19年1月