2023年4月、浅草観音裏の「一葉桜・小松橋通り」で、第19回「浅草観音うら・一葉桜まつり」が4年ぶりに開催されました。歴史ある花魁文化を残そうと、地元・吉原の皆さんが中心になって行っているこの祭りでは、江戸吉原ゆかりの絢爛豪華な花魁道中が繰り広げられます。華麗な衣装を身に着け、振袖新造や禿などのお付きを引き連れて練り歩く様子、そしてステージ上での花魁ショーなどをご紹介。合わせて浅草観音裏エリアの食の情報もお届けします。
浅草観音うら・一葉桜まつりはどんなお祭り?花魁道中とは?
浅草観音うら・一葉桜まつりは、浅草寺の北側500メートルほどのところを東西に通う「一葉桜・小松橋通り」で、4月第2週の土曜日に開催される祭りです。
平成14年、台東区は小松橋通りに13Ⅰ本の一葉桜という八重桜を植樹し、その翌年、平成15年から「浅草観音うら・一葉桜まつり」を開催するようになりました。吉原を舞台にした名作「たけくらべ」を生み出した明治の女流作家、樋口一葉が、10か月ほど住んでいたことにもちなみ、小松橋通りはこの時から名称を「一葉桜・小松橋通り」と変えられました。
吉原遊郭とは?花魁道中の由来と歴史
江戸時代、幕府公認の遊郭「吉原」は最初葦屋町(現在の日本橋人形町あたり)にありましたが、1657年、明暦の大火で焼失し、浅草寺裏の日本堤に移転、以来この地で300年続くものとなりました。
遊郭の出入りは、治安・風俗の取り締まり、税金の徴収のため、厳しく管理されていました。吉原遊郭にはお歯黒溝と言われる堀がめぐらされていたことが「たけくらべ」にも記されています。
この吉原遊郭に、独自の文化が花開きます。最盛期に300人いたという吉原の遊女たちの頂点にいるのが詩や音楽、文学などの教養も必要とされていた花魁です。お客から指名を受けた花魁は、引手茶屋でお客と会うのが吉原のしきたり。花魁が引手茶屋へ出向く道中が「花魁道中」です。有名な花魁の道中には、多くの見物人が集まったそうです。
そんな歴史ある花魁文化を残そうと、地元・吉原の皆さんが中心になって行っているのが「浅草観音うら・一葉桜まつり」で、今年19回目を迎えます。
江戸吉原ゆかりの絢爛豪華な花魁道中、そしてステージ上での客と花魁の顔合わせの作法が再現され、身近に花魁文化を感じることができます。
浅草観音うら・一葉桜まつりの様子をレポート
第19回浅草観音うら・一葉桜まつりは、2023年4月8日に開催の予定でしたが、天候の関係で4月9日に開催となりました。晴天が気持ちの良い中、午前10時ごろ浅草へ。すでに外国人観光客がたくさん来ていてとても賑わっています。
しばし歩いて千束通りから、一葉桜・小松橋通りへ。通行止めされた八重桜の美しい通りでは、片側に赤いポールが置かれ、関係者の方がチラシを配布しています。
12時半の開会式が近づくと大勢の人が集まり、通りの両側に人がぎっしりと詰めかける感じに。皆さん、本格的な望遠レンズのカメラを持って気合が入っています。
開会式では、地元実行委員会の皆様の熱い言葉が発され、いよいよ花魁道中のスタート。スピーカーから三味線などの邦楽の曲が流れ始め、花魁道中について解説してくれます。
写真を撮ろうと首を長くして待ち構えていると、最初に登場するのは江戸吉原の狐舞。
「吉原の狐舞」は、江戸時代の吉原で、大みそかに行われていたという角付け芸。
吉原には廓の四隅と大門の外に計5つの稲荷神社があり、遊女たちの信仰を集めていました。また、遊女たちも「狐」と言われていたそうで、何かとゆかりがあったとか。大晦日、狐の面をかぶり、御幣と鈴を持った狐が現れ、新年を寿いだとのことで、招福の舞です。
狐たちは、リズミカルかつコミカルに動きながら、楽しくおめでたい言葉をかけてくれています。また近くで鈴を鳴らしてもらうとワクワクした気持ちに。花魁道中への期待を高めてくれます。
まずは、吉原神社の名の入った高張提灯が先導。長く、大きな立派な提灯、晴天に映えます。
続いて、金棒引きの皆さん。法被を着たいなせな男性たちが、金属製の棒を鳴らしながら歩きます。露払い的な役割とのこと。
手古舞の皆さん。方肌脱ぎ、下に絞ったデザインの袴はたっつけ袴、背中に花笠を背負っています。妙齢の女性たちが、きりりとした真剣な面持ちで歩いてきます。
次に登場したのは、箱提灯と言われる太夫の名の入った提灯を持った男性。
その後ろには、禿の少女二人。禿は、花魁の身の回りの世話をしながら、遊女としてのありかたなどを学びます。この禿の少女がかわいらしい。
そして、うしろに大夫もお目見え。
この頃には、みんな撮影に熱が入り、乗り出してきていて、観客席はぎゅうぎゅうです。
圧倒的な迫力の大夫。高い下駄を外八文字を描くように回すため、肩貸の男衆が付き、後ろから男性が大きな傘をさしかけています。長柄の傘は身分の高い人にさしかけるためのものだそう。また、この江戸吉原花魁道中の傘は、歌舞伎座で使用しているのと同じ本物の長柄の傘だとのことです。見とれてしまう品格があります。
そのうしろには、振袖新造とよばれる15、16歳の遊女見習いがついていきます。将来格の高い花魁となることが約束された子たちです。
続いて別の名前の入った箱提灯を持った男性が登場します。
ここからまた二人の禿、そして今度は赤い衣装の大夫が華やかに登場。
ゆったりと進み、その後ろを振袖新造達が続いていきます。
花魁道中が目の前を通り過ぎた観客たちの中には、さらに花魁道中を見ようと前方へ走っていく人も…。
次はステージへ移動しようと思ったのですが、かなり人が多く、安全のため迂回して進むように案内されました。
ステージ前はものすごい人だかりです。後方からの撮影となってしまいました。
ステージ上、まずは吉原の狐舞。人が多くてほとんど見えない状況ですが、コミカルな動きとみんなに幸をふるまう軽妙なトークが伝わってきます。
長唄の重要無形文化財保持者である望月太左衛社中による邦楽の演奏。海外から参加されたと思われる方も聞き入っていました。
そして、いよいよ花魁ショーがはじまります。
まずは花魁と客との顔合わせの作法。旦那役を町内会の男性が務めるというアットホームな感じです。左側の男性が旦那役。
客は最初の顔合わせである「初回」から始め、少なくとも3回登楼しなければ親しくなれないというしきたりのあった吉原。座敷で盃をかわす様子、煙管を扱う様子などをテンポよく見せてくれます。
そのあとは踊りの披露。衣装を抜いて下から鮮やかな赤い衣装に切り替わる場面もあり、楽しませてくれます。
ステージ上では撮影会のようです。
今年はコロナ感染予防のための縮小開催、以前行われていたという小学生によるパレードや街角ステージショー、フリーマーケットや屋台などはありませんでした。屋台の代わりに近隣においしいものが多いエリアなので、そちらを楽しんでほしいというアナウンスがありました。
また、台東区環境課さんによる花苗の配布も行われていました。
整理券の配布が終了していて、残念ながら手に入りませんでしたが、大盛況だった様子。浅草の皆さんは植木をとても大切にするようで、玄関先のあちこちに様々な植物が置かれています。日々の生活を大切にする温かい気持ちに心が和みます。
復路もまた大勢の人だかり。
最後に狐舞の皆さんの心のこもったご挨拶に接して、祭りを後にしました。
吉原グルメ♪写楽のたい焼きをぱくり
祭りの後は何を食べようかな、と歩いていくとなにやら人がたくさんいる店を発見!
こちらは写楽と言うたい焼き屋さん。頼んで十分ほどベンチで待つと、熱々のたい焼きが運ばれてきます。
薄くパリッとした生地の中に、柔らかく熱いあんこが入っています。口に入れると飛び出してきてやけどしそうになりますが、甘みがしつこくなく程よい感じでとてもおいしい。
しっかりパワーチャージできました。一緒に待っていた女性は千葉屋の大学芋も買いたいと、待ち時間にそちらに行きましたが、売り切れだった様子。また、写楽の向かいのロッジ赤石と言う喫茶店も大人気のようで長蛇の列、インスタ映えのするクリームソーダもあるそうで、次はそちらにも行ってみたい。どんどんこのエリアの魅力にはまっていきます。
江戸のエンターテインメント~コロナを越えて
4年ぶりの開催となる浅草観音うら・一葉桜まつりは、驚くほどのにぎわい。規制が緩和されてたくさん訪れている外国人観光客に、とても人気と感じました。
吉原の花魁文化に見る江戸の粋。背筋が伸びるような花魁の凛としたたたずまいと、そんな花魁に異世界の美を見てあこがれる江戸の人々、そんな情景を再現してくれる一葉桜まつりの花魁道中。八重桜の淡い桃色の花びらが舞い散る晴天の中で行われるこの絵巻物のような祭りをなんとしても開催したいという実行委員の皆様の熱く強い思いも感じられました。警備にあたる地元の方もとてもうれしそうな様子でした。
青空の下、家族や友人たちとワイワイ言いながら、おいしいものを食べ、美しいものを見る至福。こんな風に世界の人と交流できれば平和にも近づいていくなと希望が持てるひと時でした。来年は足を運んでみませんか?