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「除夜の花火」に願いを込めて 〜雪の新潟、心温かな町の花火〜

2021/1/15
2021/1/15
「除夜の花火」に願いを込めて 〜雪の新潟、心温かな町の花火〜

吹雪のなか見上げた「除夜の花火」

12月31日、大晦日に打ち上がる「除夜の花火」があると聞いて、見届けずにはいられなかった。

田上町の除夜の花火は毎年12月31日、長岡と新潟を結ぶJR信越本線の羽生田(はにゅうだ)駅西と本田上の2箇所で打ち上げられる。

新潟県南蒲原郡田上町。風雪舞う田んぼの畔にひとりカメラを構えていた。あたりは見渡す限りの雪原。ここは、春先から秋にかけて本州最大の田園風景が広がる越後平野だ。

本当に大晦日の20時に花火は打ち上がるのか。首都圏を中心にコロナ禍の第三波が本格的に到来し、「静かな年末年始」が呼びかけられた2020年の暮れ。さらに新潟には寒波まで到来していて、「風が吹かなければ大丈夫でしょう」という主催者の言葉を必死に信じるしかなかった。

 

田上町とは

新潟市に隣接する田上町は、梅やたけのこ、桃など豊かな農産物あふれる人口約1万2000人のまち。登山初心者にもやさしい標高274mの護摩堂山と、開湯から280年という湯田上温泉、そして40年以上にわたって大切に育まれた3万株ものアジサイが人を呼ぶ。地域資源の豊かさは、知る人ぞ知るところだろう。

田上町を含む一帯は「県央地域」とも言われ、金物をはじめとする専門的な技術企業がひしめく「燕三条」や、全国の桐箪笥シェアのなんと7割を占めるという伝統工芸品「加茂桐箪笥」の加茂市と共通の経済圏をもつなど、ものづくりの文化が今に伝わる魅力的なエリアだ。

2020年10月にオープンした「やさしい道の駅 たがみ」。2カ所から打ち上がる除夜の花火では、ちょうど中間地点になる。

長岡花火に代表されるメジャーな夏の花火大会がある中越エリア最北端のまちだが、毎年12月31日に小規模ながら開催される除夜の花火は、一般的な夏の花火大会とは対照的。地元住民手作りかつ一般参加型の花火企画で、親しみが持てる。

 

年の暮れを照らす、田上町の70発超の花火

花火を待つ間、ほんのわずかな時間だったが、月が顔を出していた。ただ、雪化粧した田んぼの真ん中は容赦なく風が吹き抜ける。周りから聞こえたのは、鳥の鳴き声。夜間に動くゴイサギだろうか、姿の見えない鳥が「クワァ、クワァ」と互いに呼び合っていた。

西側には、大河・信濃川、新潟随一の霊峰・弥彦山をはるかに望む。

迎えた定刻の20時。1発目の花火が鋭く天をついた。意外にも近い。4号玉とはいえ、音は大きく広がり、護摩堂山や国道沿いの工場に鋭く反響するのが分かった。町の西に横たわる信濃川へとその反響音も抜けていく。

最初の花火の炸裂音から30分間にわたって、1発ずつ、2ヶ所の田んぼからほぼ交互にゆっくりと打ち上げられた。その花火はすべて地元や隣の加茂市の企業や団体、個人が協賛者となり、願いやメッセージを込めて打ち上げられたものだ。このまちでは毎年、除夜に想いの数だけ花火が打ち上がるのだ。

鳥たちの声はいつしか、子どもたちの声に変わっていた。それも四方から。一つ、またひとつと花開くたびに歓声も高く上がる。家族と一緒に見上げる笑顔がすぐそこに見えるような気がした。

打ち上げも中盤に差し掛かると、また雪が降ってきた。白く乾いたあられ状の玉雪がレンズフードに積もっていく。まぶたに涙が溜まるかのようで、もちろんレンズもしっかりと雪に濡れた。ゆったりとした打ち上げの隙を見て、レンズの涙を拭き取る。静かに白雪舞う除夜のほの暗さが、花火が花開くたび、あたり一面を巧みに天然のスクリーンへ替えた。一瞬だけ明るく映し出された世界の中に、この1年間の出来事をふと思い出していた。

どれも個人的な場面で、ここに書くことが許されるとは思えないのだけど、白雪が涙のように潤むレンズを覗きながら、温かな思い出が私の胸にあるのが分かった。不思議と喚起させるのは、1年間の終わりのこの日に打ち上がる花火だからこそ。

最後には、スターマインが真昼のように照らした。打ち上げを担当する地元の阿部煙火工業(株)の計らいだという。来たる新年へと向かう、町の姿がはっきりと見えたような気がした。さあ、来年も頑張っていきましょう。

 

想いを継ぎながら、34年間続いてきた「除夜の花火」

田上町では30年以上にわたって、花火が大晦日の夜空を照らしてきた。34年前、地元の酒屋さんと薬屋さんのリニューアルなどが重なり、隣町の加茂市で大正時代に創業した阿部煙火工業(株)と協力して打ち上げたのが始まりだったとか。

年末の多忙な時期にも関わらず、ご対応いただきました。お話と合わせて関連資料も沢山いただき、ここに書ききれないのが残念です。

「2020年は大変な年だったけど、中止しようという話にはならなかったね」

主催団体の「除夜の花火を打ち上げる会」代表を務める茂野克司さんは、はじめの10年間は花火を楽しみに見る側だったという。

「会を立ち上げられた先輩の皆さんが、10年を一区切りに解散しよう、っていう話を聞いてね。『そんなもったいない話はない!どうにか継続してやってほしい』という想いで、事務局を引き継がせてもらう形になったんだよ」と明かす。

「当初は108発にこだわって協賛も集めていたけど、今は数には特にこだわっていないね。その代わり、事業が続くようにと毎年上げてくれる企業さんとか、その年に良いことがあった人だったり、子どもの誕生祝いだったり。皆さん、次の年に期待を込めて、それぞれの想いでもって花火を申し込んでくれる。毎年積み重ねてきて面白いですよ」

そう振り返る茂野さんは、田上町の箪笥屋さん。加茂市で約100年前に創業した(有)茂野タンス店の3代目。北海道の大学でデザインを学び、35年前に帰郷。地域に伝わる伝統工芸品「加茂桐箪笥」の技術者であり、経営者だ。

得意とするのは、伝統的な技法とモダンなモチーフを組み合わせた桐箪笥。特に「La KIRI」と名付けられたヨーロピアン・テイストの桐箪笥は、ミラノやパリの展覧会にも出展され、高い評価を受けている。

「良いものをもっと、今の市場に合う形で、と思ってね」

自分の手になる商品を撫でながら、にっこりと語る表情はまるで少年のようだ。

そのデザイナー的思考は、お話を伺った桐箪笥の展示室や「花火新聞」にも、遊び心として随所に現れていた。打ち上げる会のメンバーや協力者も「なかなかの個性派ぞろいですよ」と微笑む。旅館経営者や女性など、アイディアあふれるボランティアで和気あいあいといったところだとか。

ちなみに、4号玉にメッセージを込める花火打ち上げの賛同金額は一口1万1千円。メッセージ掲載なしのスターマイン協賛の形もある。12月31日当日朝には特製「花火新聞」が地域に配布されるという、町ぐるみの年中行事ぶり。このまちの人にとっては長らく、紅白歌合戦と除夜の花火は年越しの定番セットなのかもしれない。

時期になると、こちらの公式ホームページからも申し込みができる。https://www.kamono.com/joyano-hanabi/

地元に限らず、田上町の出身者など県外からの打ち上げも多い。それぞれのメッセージを眺めると、町長をはじめ、郵便局長、温泉の女将会、酒造、寺社仏閣など個性豊か。2020年秋に開業したばかりの「道の駅たがみ」の発展を願うメッセージもあった。

今年、この花火を遠方から帰省した家族と一緒に見上げることができたら、どんなに良かっただろうか。ふと町民の一員になったつもりで想像してみる。一抹の悔しさはきっと、来たる35回目への伏線として、このまちで暮らす人の1年間の下敷きになるのだろう。

 

元日午前0時の新春スターマイン「福花火」@片貝町

田上町の花火を見届けて心温まった後でも、私の2020年はまだ終わっていなかった。

もう一つの除夜の花火の舞台は、世界最大級の花火・四尺玉で知られる小千谷市の片貝町。生まれ育ったまちへ向けて、ホワイトアウト寸前の猛吹雪のなか、交通量の少ない大晦日21時の国道を一路走った。

温かい自宅で新年を迎えた家族によると、花火の打ち上がる方向とは真逆の窓からも「花火が見えた」という。一面の雪は淡いカーテンのように光を拡散させる。

22時30分には、無事に帰還。途中、道に迷ったのは内緒の話だ。片貝町の浅原神社では、23時45分から年をまたいだ1日0時15分にかけて、108発の花火が一定のテンポで打ち上がった。本当に年越しの瞬間に花火が上がる町は、全国でも数少ない。2021年を迎えた瞬間には、新春スターマイン「福花火」が雪山をカラフルに彩った。

この「福花火」も、町内外から協賛できる参加型。奉納協賛者には記念の花火玉レプリカを進呈するため30組限定だった。

片貝町の除夜の花火も長い歴史があるが、福花火のように新たな趣向でリニューアルされてからはまだ2年目。とはいえ町民は無類の花火好きで、コロナ禍で全国的に「花火のない年」となった2020年にあっても、この町では毎日のようにプライベート花火が打ち上がった。まつりは中止でも花火に想いを込める「奉納煙火」の文化を途切れさせぬようにと、地元の名前を冠した花火製造・打ち上げ業者、(有)片貝煙火工業を応援する試みだ。その企画運営を担った住民有志の「片貝花火サポーターズ倶楽部」の前身は、実は前回2019年→2020年の「福花火」を企画したのが始まりだった。

その辺りの事情にやたらと詳しい私は、いかにもそのメンバーの一人、というオチ。
振り返ると、予想を超える激動の1年間を経て、また次の1年間が始まるこの場所に戻ってきた。

 

除夜の花火に込める願い、花火新聞と花火番付

1年前と明らかに異なるのは、寄せられた奉納コメント・新年の抱負の内容。福花火協賛者の30組のうち、多くに悪疫退散やコロナ禍の収束を願うメッセージがちりばめられていた。そして「家内安全・健康祈願」「商売繁盛」のシンプルな願いが、これまで以上に胸に迫ってくる。

今回、花火が人々の生活や時代を反映するものだということが、田上町の「花火新聞」と、片貝町の「花火番付」を並べてみて、はっきりと分かった。

願いや思いを花火に託して打ち上げる、新潟らしい「文化」の広がり。その普遍性を思わずにいられない。花火好きの基本性格はやはり新潟県民共通のようだ。独自の花火文化の流域は、さながら信濃川のように巨大で、源流をたどるのは遥かな旅になるだろう。新年早々、壮大なテーマに出会ってしまった。

光ある2021年を願う鐘の音は、新潟のふたつの町の空をこだまするように、高らかに打ち鳴らされていた。

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