Now Loading...

江戸時代にスカイランタン祭りがあった!発案者はあの江戸のマルチクリエイター!?

2023/2/6
2024/3/8
江戸時代にスカイランタン祭りがあった!発案者はあの江戸のマルチクリエイター!?

ディズニー映画「塔の上のラプンツェル」(2011)で広く世界に知られることになった、夜空に無数の紙風船を上げるお祭り「スカイランタン」。モデルになったタイの「コムローイ」だけでなく、ヨーロッパにもアジアにも熱気球の原理で紙風船を飛ばすお祭りがたくさんあります。

そしてわが日本にも、江戸時代から続くスカイランタン・フェスティバルが存在しているのをご存知でしょうか?

その名も「上桧木内(かみひのきない)の紙風船上げ」。秋田県仙北市で毎年2月10日に行われているこのお祭り、発案者はあの有名な江戸の天才発明家という話も。

真冬の夜空を無数の灯火で彩る「上桧木内の紙風船上げ」を紹介します。

武者絵・美人絵100個の風船が空へ

「上桧木内の紙風船上げ」は、毎年2月10日に秋田県仙北市西木町上桧木内で行われる行事です。

使用される紙風船は、武者絵や美人絵などが描かれ、大きいものでは12メートル、直径3メートルにもなります。その構造はシンプル。

和紙で円筒を作り、上部を塞いで風船にします。下部を竹軸の輪で補強し、そこに「タンポ」と呼ばれている石油をしみこませた布の玉をセットします。ガスバーナーで風船内の空気を温め、十分に風船が膨らんだところでタンポに火をつけると、熱気球の原理で紙風船が空を登っていきます。

打ち上げは西木町の紙風船会場で行われます。夕暮れの16時、会場ではまず神事が行われたのち、17時から徐々に風船が夜空に放たれていきます。

18時の一斉打ち上げの時間になると、大小さまざまな紙風船が一斉に放たれます。例年100個以上の風船が上げられ、冬の夜空を彩ります。

紙風船の制作は打ち上げ本番2カ月前の年末ごろから始まり、上桧木内8つの集落の老若男女が各集落会館で、紙の裁断に始まり、絵柄を決め、描くといった作業を一緒に進めるそうです。

紙風船は、かつては「五穀豊穣」や「無病息災」祈願のために上げられていましたが、近年は「家内安全」「商売繁盛」「交通安全」「合格祈願」も祈願されています。太平洋戦争があって一時期行事は中断されましたが、地元の熱心な取り組みにより、1974年に復活し、以来、冬の風物詩となっています。

(写真提供:一般社団法人田沢湖・角館観光協会)

江戸の奇才・平賀源内が伝えた説

「上桧木内の紙風船上げ」は、少なくとも戦前から実施され、100年以上の歴史があるとされていますが、その始まりについてははっきりわかっていません。

地域には、江戸時代の科学者・平賀源内が、鉱山の技術指導に訪れた際に、熱気球の原理を応用した遊びとしてこの地に伝えたという伝説があります。

平賀源内の肖像(『肖像』1之巻より/国立国会図書館蔵)

本草学(医薬に応用するための植物・鉱物学)から蘭学、戯作から浄瑠璃、「火浣布」と呼ばれる石綿の発明品まで、マルチな才能を発揮した江戸の才人・平賀源内は、実際に1773年に出羽秋田藩主の佐竹義敦に招かれて、鉱山開発のコンサルタントとして秋田にやってきています。

また、書かれた年代が不明ですが、源内の評伝『平賀実記』には、源内が長崎に留学した際、オランダ人から気球を買い取って持ち帰ったという話も残されています。

推測の域を出ませんが、いくつかの出来事の符合から、紙風船上げの由来が平賀源内にあるという話は、あながち伝説とは言えない気がしてきます。

ちなみに、中国ではスカイランタンのことを「孔明灯」というそうです。名前の由来はもちろん、三国時代の英雄で、万能の天才軍師として伝えられる諸葛亮孔明。こちらは2〜3世紀ごろ、すでに孔明が熱気球の原理を利用して紙風船を打ち上げたという伝説があるそうですが、中国でも日本でも、風船を空に飛ばす、という不思議なことができるのは、孔明や源内のような天才だと人々が考えていたのは面白いですね。

「蘭画」「コーヒー」秋田に残る源内の足跡

さて、平賀源内は、秋田県に訪れた際、人々にさまざまなインパクトを与えたようです。

前述の出羽秋田藩主・佐竹義敦は、曙山という雅号を持つ画家としても有名です。曙山は藩士らとともに「秋田蘭画」と呼ばれる西洋絵画の技法を取り入れた画風を確立した人物。遠近法などを取り入れた写実的な表現と日本画の折衷で、魅力的な作品を数多く生み出しました。この秋田蘭画の誕生にも、平賀源内が関わっていました。

鉱山開発で秋田を訪れた源内は、秋田藩士・小田野直武と出会い、その画才に惚れ込んで、洋画(蘭画)の手解きをしました。

小田野は藩命を受けて、江戸に帰る源内に同行。源内が持つ洋書の挿絵などを参考に、5年間かけて西洋画法を学び取ります。この間、源内の友人である杉田玄白とも出会い、玄白と前野良沢の共同翻訳書「ターヘル・アナトミア(解体新書)」の挿絵も描いています。小田野はその後、藩に戻り、曙山らに西洋画法を伝えたということです。

小田野直武「不忍池図」(秋田県立近代美術館蔵)

そしてもう一つ、秋田を訪れた源内が、仲良くなった小田野をもてなした時のエピソードが残っています。

この時、新しもの好きの源内は、小田野に「南蛮茶(コーヒー)」を振る舞ったそうです。小田野が一体どういう反応をしたのかを伝える文献は残っていませんが、2018年に秋田市内のコーヒーショップ「南蛮屋あおい」などが、当時の味を再現するプロジェクトを進め、ドリップコーヒー「源内カウヒイ」が開発されています。

ぜひ上桧木内の紙風船上げをご覧になった後は、源内カウヒイで体を温めてください。

タグ一覧