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いとエモし!岐阜の杵振り花馬祭りに行ったら映える写真が無限に量産されちまった件

2023/5/3
2024/5/21
いとエモし!岐阜の杵振り花馬祭りに行ったら映える写真が無限に量産されちまった件

春はあけぼの、いとエモし。どうも、奇祭ハンターのまっくです。「異形」の祭りを探して全国行脚する今回の奇祭旅は、岐阜編(仮面の奇祭編)。「日本一映える祭!」と噂の杵振り花馬祭りを紹介します。古式ゆかしくエモ過ぎる原初の祭りの魅力とは?それでは早速、行ってみよう!

役場前に彼奴きゃつが集まってきた!

新宿から深夜バスで恵那インターチェンジバス停に到着。
恵那駅前でレンタサイクルを借りて移動すること約40分。中津川市蛭川地区の蛭子座(歌舞伎小屋を兼ねた公民館)の前に着きました。準備のため、すでに大勢が集まっています。

このメトロン星人じみた奇矯なカラーリング(花笠様)をした「傘」を被るのが今回の祭りの主役となる杵振り
赤いはっぴに白いたすきをかけ、水玉模様のかるさんに黄色のはばき姿というファッションで、50人近くいる踊り子の担い手は10代後半~20代の若者が中心のようです。

ハリボテ状の傘の中の様子。
ヘルメットを被る要領であごひもを締める方式になっているのがわかります。傘は穀物をつく臼を表し、赤は勇気、青は優しさ、黄色は知恵を体現(トライフォースかよっ!)。また踊り子がバトンのように振り回す杵は、豊年増産の象徴なのだとか。

鬼、天狗、ひょっとこ、おかめ、杵振り、笛吹き、太鼓、獅子舞などによる総勢約150人の大編成。
ただし、これは行列のグループで、祭りのクライマックスに登場する花馬のほうを担当するグループはさらに100人ほどいるのだとか。やだ、エモい。

ド派手過ぎる祭りの由来とは?

杵振り花馬祭りの起源はハッキリしておらず、400年前とも600年とも。
岐阜県中津川市や恵那市、白川町などに伝わるが、由来などの詳細は一切不明という正真正銘のナゾ奇祭です。

ただ、明治初年までは秋祭りであったのが、その後、春祭りにチェンジ。
また昔は獅子舞を主体とした祭りでしたが、元は脇役だった杵振り2名のほうがフューチャーされ、50人以上に増殖していった(エージェント・スミスかよ!)のが大正8年~9年(1919~1920)の頃以降なのだとか。何たる大正モダン!また一説によると、杵振り踊りは「剣の舞」が転化したものだとも。

ちなみに、近隣の白川町の杵振り踊りとは、傘のカラーリングが異なります。

やはり「量こそ正義」、杵振りが通る!

時刻は12時半となり、いよいよ祭りがスタート。
安弘見神社を目指して2キロの道のりを歩きます。先導役の鬼や天狗に続いて杵振りたちが堂々と登場。笛と太鼓の音に合わせ、「ソーイ」「ソーイ」のかけ声とともに杵をクルクル回しながら円を描くようなステップで踊ります。統制が効いた群舞がエモい。

途中で休憩を挟みつつも行進は続きます。街中でも激エモ!

ちょうどこの時期は桜や藤の花、チューリップが咲く頃合い。エモし、いとエモし。はっ、こ、これは清少納言が日記に残したくなるレベル。

神社の境内に続く傾斜が急な階段ではツーマンセルで移動します。「俺の背中はお前に預けた!」的なバディ感がこれまたエモい。

ゴール地点である安弘見神社の麓には、屋台が立ち並び、大勢の人でにぎわっていました。また広場では、地元の小学四年生40人たちによるちびっ子杵振り踊りも披露。ほっこりしますわ。

愛すべきその他の「異形さん」たち

行列を彩るのは何も杵振りだけじゃない。ここで杵振り以外のメンバー紹介、いってみよう。

赤鬼・緑鬼:行列の先陣を切り、竹の棒をバシバシやりながら踊る。「トンボ」と呼ばれるプロペラ形の3枚の羽が生えた造形が斬新過ぎてやばい。「はっ!群体化して大陸間飛翔も可能か!?」と妄想したくなるレベル。山崎敬子先生の「都道府県別 にっぽんオニ図鑑」にも登場。

天狗:鬼の後方から登場する天狗もやはり3枚のプロペラ状の羽が生えたタイプ。「福」と描かれた柄杓で見物客を小突いてくるゾ。

お囃子:頭飾りをやはり赤・青・黄色のトリコロールでそろえており、隊列にいっそうの彩りを添える女性陣たち。

大獅子と蠅追い:十人以上でくり出す百足タイプの獅子を、恐らく量産型・杵振りたちの原型(プロトタイプ)だったであろう蠅追いの二人が笹の葉を手に持ち先導していきます。

この獅子がなかなかの荒獅子で、なかなか言うことを聞かず、御することができません。それもそのはず、獅子の最後尾の二人はぐでんぐでんに酔っ払ってすっかり千鳥足なのでありました。

花馬:杵振りたちの集団が境内に参った後、力強く響く花馬唄とともにいよいよ満を持して花馬が登場。

いかにも神獣然としたラスボス感がエモい。左右に展開する触手ではなかった花串は、抜いて手に入れるとご利益があるとされています。

花馬祭りそのものは中津川一帯に伝わる祭りで、古くは木曽義仲の戦勝祈願を起源とする祭り。花串を奪い合う花獲りで有名な坂下神社の花馬祭りや田立の花馬祭りも要チェック。

祭り終盤に起きた出来事とは?

祭りも終盤となり、突如始まる大乱闘。増殖し過ぎた集団の行き着く先はやはり自壊ということなのか。互いのハリボテを壊しにかかる杵振りたち。豊穣と収穫の円環を感じさせます。

時刻は16時半頃。ラストを飾るのは、定番の餅撒き。「もっちもちー!」というナゾのかけ声が独特過ぎて、クセがすごい!

下の動画で、躍動する杵振りたちの活躍をぜひとも確認してほしい。

いかがでしたか?今回の杵振り花馬祭りは?
恵那峡に囲まれた、あまりアクセス至便とは言えない土地柄のせいかまさに秘祭。奇祭にしては珍しく、テレビクルーや外国人の方の姿を一人も見かけないのも印象的でした。ひょっとして地元の人以外で参加していたの私だけ!?
いやぁ、奇祭って本当にエモいものですね~。それではまた次回の奇祭旅で、お会いしましょう。

今回のオマワリジャパン

今回の周遊情報は、馬籠宿(まごめじゅくを紹介。中山道43番目の宿場で、木曽11宿の一番南の宿場町です。石畳の両側に土産物屋が並ぶ人気観光地で、こちらは半数以上が外国人観光客であふれていました。

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