男鹿のナマハゲとは
秋田県男鹿。角のように西側へ飛び出し、3方が日本海に囲まれているこの地には、大晦日の晩、厳しい冬と共にナマハゲと呼ばれるか神様が訪れる。
ナマハゲという言葉は、「ナモミをはぐ」のなまりからきているそうだ。ナモミとは寒い日に囲炉裏の近くで何もしないでじっとしていると、手足にできる火型のことで、この跡ができる者は怠け者の証拠であり、そのナモミをはぎ戒める行事として始まったのが起源とされている。
現在では、「悪い子はいねーか」と大きな声を出し家に上がるナマハゲを恐れ、泣く子供の姿が印象的で、恐ろしい鬼のようなイメージが多くの人の頭に残っているようだが、実際に現地へ訪れ行事を体験すると、大人子供限らず、訪れた家の厄を払い、良い年が訪れますようにと願う暖かい行事だった。
脇本地区のナマハゲ
ナマハゲは地区によって面が異なる。訪れた脇本地区では、大きなザルに紙を貼って作られており、ザルの裏についた木の支柱を持って顔にあてる。実際に、面を持ってみるとズシリと重みを感じた。これを片手で持って歩くだけでも、少々苦労する。
「ここは昔ながらのやり方を続けていて、この面は自分が小さい頃から変わっていない」と会長の加藤さんが教えてくれた。
細部に目をやると、古びて傷んだ様子もなく、新しく作り変えた気配もない。大切に受け継がれてきたことがよく伝わる面だった。
もう片方の手には出刃包丁を持つ。この地区のものは手作りで、キラキラと光る細工がされている。このコミカルな出刃包丁によってナマハゲの愛嬌がぐっと上がり、恐ろしい鬼というよりかは、いたずらっ子のような親しみを感じる。
ユーモアのあるナマハゲの様子は、娯楽が少なかった頃の優しい遊び心が今でもしっかりと残っているような気がして心が和んだ。
当日の様子
粉雪が静かに降る、大晦日の晩だった。行事は、脇本城跡近くの菅原神社に詣で神様を呼び入れるところから始まる。
菅原神社は、脇本城の一拠点として氏神を祀ったことから始まり、境内の裏には150haにも及ぶ膨大な城跡が広がっている。当日の晩は、そんな東北最大級の史跡も真っ白に覆われ気配を消し、どんと構えた鳥居だけが浮き彫りになっていた。
ケデと呼ばれる藁でできたミノを淡々と身にまとい、準備が整うと2手に別れて家々を周り始める。
子供が泣く家もあれば、ナマハゲに叱られるのは小さな犬であったり、ぬくぬくとこたつに入っていたお婆さんであったり、家庭によってナモミはぎは様々。ナモミをはぐ必要のない家は玄関先で年末の挨拶のように終わったりもする。少子高齢化の深刻な問題を背景に抱えながらも、和気藹々とし新年を迎え入れる様子に地域の団結力を感じた。
ナマハゲが訪れると家の主人は酒や料理でもてなし、今年はどんな年だったか話をする。もてなす主人はお寺の住職さんだったり、お酒好きのお父さんだったり、代々受け継がれている囲炉裏を持つお家の主人だったり、どの人もニコニコと笑顔で出迎えナマハゲが訪れることを楽しみにしているようだった。ナマハゲの帰り際には、今年もありがとうと言って、年餅を渡す。
囲炉裏を持つ家の主人が「昔ナマハゲに泣かされていた子が、今はナマハゲ!これは2代先の写真だよ」と嬉しそうに笑いながら古い写真を見せてくれた。
伝統だ、と硬くならず、こうして身近な思い出として残っていることがこの地区の魅力だと思った。お正月に食べるお雑煮が毎年変わらず同じ味のように、当然の習慣として続き世代を超えて受け継がれている。
全ての家を回ると菅原神社へと戻り、ケデを鳥居に巻きつけ面を奉納して最後となる。
行事を終えると、遠い所に住む親戚に「それじゃあまた来年、よいお年を」と言って別れた後のような親しみ深さと名残惜しさを感じていた。しんしんと降る雪の中で聞く「また遊びに来てよ!」が身にしみる。
ナマハゲのいる寒い寒い雪国には、暖かい人の輪があった。