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奈良の鹿は、実は関東の「ある場所」からやってきた!?

2022/10/7
2022/10/7
奈良の鹿は、実は関東の「ある場所」からやってきた!?

奈良のシンボルといえば、町を闊歩する鹿。
角の生えたオス鹿は秋の発情期に気性が荒くなり、角の事故を防ぐため、毎年この時期には春日大社境内で「鹿の角きり」が行われる。今年2022年は10月8日~10日の3日間、観客を迎えて開催されるが、これは江戸時代から約340年も続く伝統行事だ。

ということは、江戸時代のはるか前から数多くの鹿が奈良にいたことになる。当たり前のように存在しているものほど、「そういえば、何故ココに居るのだろう?」と考えた時、すぐにはわからないものだったりする。奈良の鹿もその一つといえるが、実は遠く「関東地方のある場所」からやってきたというのだ。

奈良の鹿は、実は茨城の鹿島神宮からやってきた!?

修学旅行で奈良を訪れた方も多いことだろう。
鹿せんべいをひたすらに狙う姿が頭に浮かぶ方も多いと思うが、あの鹿が野生であること自体あまり知られていないと思う。というより、そもそもなぜ奈良公園あたりに居るのか、その理由こそ知られていない。

無邪気に鹿せんべいを欲しがる鹿と戯れた、そんな思い出がある方も多いかもしれませんね。

もちろん公園の鹿ではない。実は、茨城県が誇る常陸国一宮・鹿島神宮からやってきたと言われる鹿の末裔である。

現代でも鹿づくしの鹿島から、奈良に鹿がきたワケ

少しだけ思い出してほしい。茨城県鹿嶋市などをホームタウンにするサッカークラブ「鹿島アントラーズ」のエンブレムを。そう、あれは鹿だ。鹿島地域を代表する鹿島神宮の鹿にちなんだもので、枝角は茨城県の茨をイメージしたものなのである。

というか、「アントラーズ」の「アントラー」も「鋭くとがった鹿の枝角」を意味するうえに、マスコットキャラクターの「しかお」は鹿島神宮の鹿だったりする。何というか、色々鹿づくしである。

 

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ではなぜ、その鹿島の鹿が奈良に来たのか?話は8世紀に遡る。

767年に藤原氏の氏社「春日社(現在の春日大社)」が創建された時、鹿島神宮の神様を勧進(神様を分霊して祀ること)することになった。その際、鹿島神宮の神様は白鹿に乗ってテクテクテクテクと鹿島神宮から奈良までやって来られたのだという。それが奈良の鹿の由来と言われている。

その末裔が今、鹿せんべいを狙っているのだ…。

武神として信仰されている鹿島神・タケミカヅチノミコト

このように神様が鹿とともにやってきた春日大社は、全国に3,000近くあると言われる春日神社の総本社で、藤原一族の神社である。4柱の神様を祀っており、そのトップが鹿島神・タケミカヅチノミコト(他3柱は、フツヌシ、アメノコヤネノミコト、ヒメガミ)。

『日本書紀』「葦原中国平定の段」で、下界に降される2柱がタケミカヅチノミコトとフツヌシであり、タケミカヅチは鹿島神社の主神、フツヌシは下総国一宮・香取神社の主神となられており、2柱とも武神として信仰されていたりする。

奈良公園内にある春日大社。境内の鹿苑角きり場で伝統の角きり行事が行われる。

時代劇などで武道場のシーンがあると、そこに鹿島大明神・香取大明神の掛軸やご神札が掲げられている。これはこの信仰ゆえである。現代でも掲げているところもあると思う。

もし道場などで鹿島・香取のお札を見かけたら、日本の武神なんだな~とか思っていただけたら嬉しい限りである。

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