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踊りのない2年間~コロナ禍の西馬音内盆踊りと人々が失ったもの・得たもの~

2021/12/24
2024/3/5
踊りのない2年間~コロナ禍の西馬音内盆踊りと人々が失ったもの・得たもの~

毎年8月16日から18日にかけて秋田県羽後町で行われる西馬音内盆踊り。優雅な踊り手と勇ましいお囃子が織りなす幻想的な風景は「日本三大盆踊り」の一つとして称えられるだけでなく、東京五輪の閉会式でも紹介されました。

しかし、コロナ禍の影響で多くのイベントが中止に追い込まれ、西馬音内盆踊りの本場である羽後町は静まり返ってしまいました。そのような状況下で、現地の人々はどのように考え、どのように行動したのでしょうか?キーパーソンへのインタビューを通じて、過去2年間を振り返りつつ、コロナ後の西馬音内盆踊りについて考えていきます!

*本記事は3・7・11月にインタビューした内容を読みやすいように再構成しています。予めご了承ください。

西馬音内盆踊りを守り継ぐ3つのグループとは?

今回お話を伺ったのは、羽後町観光物産協会で西馬音内盆踊りのPR活動を行っている今野隆事務局長。自身も半世紀にわたってお囃子の一員として太鼓を叩く傍ら、国内外の公演活動に参加しています。

本題に入る前に、本場である羽後町では西馬音内盆踊りを継承する団体が3つあるのはご存知でしょうか?

一つ目は、西馬音内盆踊保存会。戦後の混乱の中、「伝統を絶やしてはならない」という地元住民の情熱によって1947年に結成されました。現在では基本的な保存伝承活動を始め、羽後町内にある学校での指導や町民向けの講習会を開催しています。

二つ目は、北の盆。笛と三味線の調が違うという問題、そしてより効率的な練習方法を模索するために「西馬音内盆踊りはやし方研究会」として1985年に発足しました。6年後に踊り手が加入し団体名も改名されて以降、全国での公演にも精力的に取り組んでいます。

そして三つ目が、西馬音内盆踊り愛好会。1999年に役場と保育所の職員によって設立されました。2019年にニューヨークのガバナーズ島で披露したり、またロックやジャズとコラボしたパフォーマンスを行うなど、3つの団体の中で最も公演活動に比重を置いた団体です。

愛好会のリーダーでもある今野氏は、町内に複数の団体が存在することの重要性についてこう説いています。

「3団体が役割分担して、切磋琢磨し合うから、現在までより良いものが受け継がれ、地元の活性化に寄与している。」

保存伝承を目的とした保存会、さらなる伝統技術の向上を源流とした北の盆、そして数多くの意欲的な公演を行う愛好会。それぞれの団体が独自のアプローチから魅力を発信していることが、西馬音内盆踊りが全国的に有名になった秘訣といえるでしょう。

今野隆氏(左)と西馬音内盆踊り×ジャズがコンセプトのUGO JAZZ FESTIVAL。 写真:UGO JAZZ FESTIVAL

西馬音内盆踊りが支える観光

そもそも、羽後町観光物産協会とはどのような団体なのか?今野氏によると、主に2つに集約されるそうです。

「まずは役場や商工会と連携して商談や物産展を行うことで、地元商品の販路拡大と地域活性化に役立つこと。そしてもう一つは、道の駅や盆踊り会館*で羽後町の魅力を発信すること。」

*盆踊り会館とは「西馬音内盆踊り会館」のこと。踊り衣装の「端縫い」や盆踊り姿のミニチュア人形などが鑑賞できる展示ホール、そして西馬音内盆踊りの練習や毎月の定期公演をはじめとしたイベントが開催される体験交流ホールで構成されています。

ちなみに、2019年度の西馬音内盆踊りの観客数は6万人弱。本番の会場となる西馬音内の道にはお土産店や盆踊り衣装を取り扱う呉服店が並び、重要な観光資源として捉えられているのが伺えます。しかし、あくまでも一イベントでしかない盆踊り単体では大きな経済効果を生み出さないのも事実。それでも、魅力的なコンテンツを有することの重要性はブランディングの面からも見て取れると今野氏は指摘します。

「西馬音内盆踊りは全国でも認知度が高いし、国指定重要無形文化財でもある。(中略)羽後町って言っても知らない人が多い。やっぱり西馬音内盆踊りというすごいキラーコンテンツがあるから来るわけ。で、訪問してもらって、他の民俗芸能を見てもらって、泊まってもらって、地元経済に貢献してもらう。」

西馬音内盆踊りをきっかけに訪問してもらうことで、羽後町が有する他の魅力に触れてもらうというのが、今野氏が描いている青写真であるとのこと。この相乗効果の恩恵を最も受けているのが、2016年にオープンした道の駅うご「端縫いの郷」です。実際に現在では例年70万人以上もの来客数を誇る一大交流拠点として、羽後町の経済を支えています。

やはり、西馬音内盆踊りが地元経済や社会に与えている影響は計り知れません。

西馬音内盆踊り会館の展示ホール。盆踊り本番の際は、会館から道路沿いに櫓を組み立て、その上でお囃子が演奏します。 写真:羽後町観光物産協会

町が静まり返った2020年

時は遡って2019年。「風流踊」の一つとしてユネスコ無形文化遺産登録を目指す動きが活発化するなど、町中が言い知れない期待を胸に沸き立っていました。しかし、その勢いはコロナウイルスの感染拡大によって大きな停滞を余儀なくされることに。その際たる例が、2020年度の盆踊り本番の開催中止とそれに伴う観光客の減少です。今野氏は、人々の交流が途絶えたことによる影響を次のように話します。

「(本番の他にも)西馬音内盆踊りは町外向けに練習会とかいろいろ行っていたけれど、それが全部中止に。あと西馬音内盆踊り会館の定期公演も毎月やっているんだけど、自粛したことで非常に計り知れない影響がある。お客さんが来ないということは、宿泊業も飲食もだめになるということだし、すごい損失。もちろん、精神的にも。」

県外からの訪問者が減ったことで、盆踊り会館の売り上げが前年比1割未満になるなど、経済的にも大きな打撃を受けた羽後町。その一方で、地域文化を象徴する伝統としての盆踊りの重要性を再認識するきっかけにもなったと言います。

「今までは、西馬音内盆踊りは3日間やるのが当たり前よ。それから、西馬音内盆踊りは何百年も踊り継がれているし、そういう意味では非常に思い入れがある。文化というのはなくても生きていける。盆踊りがなくても生きていけるんだけど、それがあることによって人生を豊かにするし、心も豊かになっていた。 失なったことで、改めて(盆踊りの重要性を)感じたよ。」

経済を活発化するための観光資源としてだけではなく、地元の人々が楽しむためのお祭り。2020年の経験と想いが、翌年の決断に繋がっているのではないでしょうか。

西馬音内盆踊りのお囃子。幕に使われている紋章は、戦国時代の西馬音内の支配者で、およそ4世紀前に最上氏によって攻め滅ぼされた小野寺氏のもの。かつての当主を偲んで踊ったことが、西馬音内盆踊りの始まりだとする説が存在します。 写真:羽後町

コロナ禍の新たな取り組み

当初人々が抱いていた期待を裏切るかのように、一向に回復の兆しを見せないまま突入した2021年。県内の大規模なお祭りが軒並み再度の自粛を決める中、西馬音内盆踊りも開催可否の判断に迫られていました。結果は、羽後町民のみと参加者を制限した上での無観客開催・オンライン配信。「今年は(西馬音内の)本町通りで踊りたいという羽後町民の願い、そして盆踊りを伝承している方々の想いが実って実現できた。」と今野氏は述べます。

もちろん、オンライン上での配信が効果的だという、新しい発見があったのも事実。特に、YouTube上での再生数が短期間で2万回以上を突破したことが、今後も活用する上で大きな自信に繋がったことがうかがえます。

「本番を見られなくても、ライブ配信をすれば国内だけでなくて海外の人も見られる。そういうことは今までしなかった。盆踊りは見に来て当たり前だと。だから見に来てもらうという体制だったんだけど、逆にウィズコロナでは、ライブ配信をすることで国内の人も見られるし、海外発信もできる。良い方に物事を考えれば、プラスに働くと思う。(中略)コロナでないと気づかなかったと思う。」

実際に今月上旬に行われた「にしもないde踊らナイト」では会場の様子がライブ配信されるなど、ますますオンラインの活用が進むことが予想されます。

それと並行するように、羽後町ではアフターコロナの観光施策について考案しているとのこと。その一つが、2021年春にオープンして以来大盛況となっている、道の駅うごに併設された「そば打ち体験所」。今野氏も、西馬音内盆踊りと共に食文化が今後における観光産業の鍵を握ると期待しています。

「そば打ち体験場をしっかりやる。西馬音内盆踊りはキラーコンテンツだから当然だが、そういう食文化、特に蕎麦をPRすると、結構お客さんが来ると思う。特に、うちの西馬音内そばは繋ぎにフノリ(海藻)を使っているのが特徴。これを前面に押し出せば、蕎麦文化でこれから町はやっていけるのかなと思う。」

羽後町名物の西馬音内そば。冬でも冷たいつゆをかける「冷がけ」が、現地のスタイル。 写真:羽後町観光物産協会

幸いなことに、県内での観光や修学旅行が推し進められていたこともあり、道の駅うごの来客数はコロナ禍でも微増しているとのこと。都心部での感染状況に右往左往する必要がないだけでなく、「一季型」になりがちだという、お祭り観光特有の欠点を補うこともできます。

「コロナはひどい。だけど、コロナでまたやれることも出てくると思う。」

安易に消極的な考えに終始するのではなく、現状下でできる最大限の努力を講じることが、今なお多くの伝統芸能を抱える地域に求められているのではないでしょうか。

おわりに

いかがだったでしょうか?コロナを通じて、西馬音内盆踊りはいかに「人々の心の拠り所」という重要な役割を担っていたのか、改めて再認識するきっかけになったことがお分かりいただけたのではないでしょうか。
また、今野氏は、それだけでなく時代の変遷の中で伝統が残り続けることのすごさを感じたと言います。

「730年前から伝わる西馬音内盆踊りだから、先祖霊の供養や豊年満作祈願という側面もあるが、やっぱり続けていくということはすごかった事だと肌で感じた。前までは当たり前だったからこそ、(中略)先祖には改めて敬意を表するわな。」

では、アフターコロナの西馬音内盆踊りはどのようなものになるのか?祭りの特性上、どうしても活動の場がオフラインでの公演やパフォーマンスに回帰するのは致しかたないようです。それでも、オンラインの要素が全くなくなるとは考えにくく、今後も西馬音内盆踊りと羽後町を支え続ける新たな媒体として存続するでしょう。

「ローカルでグローバル、つまり“グローカル”になれるのが伝統芸能であって、それが(羽後町では)西馬音内盆踊りというわけだ。ローカルなんだけど世界に通じるものがある。」

今野氏が最後に放った言葉に、日本の伝統芸能やお祭り文化が進むべき未来へのヒントが記されているのではないでしょうか?

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