2021年2月1日。近所を歩いていると、何やら通行規制の看板が出ていました。その先に屋台のようなものが見えたため近づいてみると、なんと王子善光寺が縁日を行っておりテンションが上がりました。コロナ禍で通常よりは縮小開催だったようですが、それでも楽しめたので、その様子をレポートいたします。
王子善光寺の縁日
王子善光寺の縁日は毎月1の日、1日、11日、21日に開かれ、午後5時より8時頃まで夜店が出ます。ライターが行った時は、午後5時ぐらいだったと思いますが、小中学生や親子連れが屋台に並んでいました。
HPによると「当山の縁日は、ご本尊である善光寺如来(身代り善光寺如来)、子育て呑龍上人、お願い地蔵尊、厄除け庚申、等々のご縁の日として門前の通りに夜店が出てにぎわいます。春から夏にかけてはとりわけ賑わいを見せ、昭和27年から始まった縁日は豊島の風物詩として定着しています。」
とあり、1952年から脈々と続いている行事のようです。実は北区にはかなり魅力的な歴史的建物やお祭り等があるのですが、知る人ぞ知るのような感じで、いささかもったいない地域となっています。
いつも通りかかる時は閉まっておりますが、縁日で本堂が開かれていました。
王子善光寺の由緒とは?
王子善光寺の由来によると、
「昭和3年(1928)倉島大音上人によって開創されました。上人は信州のお生まれで、幼少の頃より病弱で死境に入ること3回、そのつど夢の中に善光寺如来の御尊像を拝し、命を取り戻すこと度々でありました。 以来、如来のお慈悲のたまものとの思いから、司法の世界への願望をなげうって、信州若穂綿内町の正満寺で得度、大正大学を卒業して僧侶としての道を歩み、善光寺如来信仰にもとずくお念仏の教化に専念されました。」
「その後、現在地に念仏信仰道場の建立を発願し、信州善光寺如来の御分身を賜わりご本尊として遷座、昭和3年9月落慶法要が営まれ王子善光寺が創建されました。自ら乞食大音と称し、布教・教化に勤められましたが、志なかばにして病にたおれ昭和11年往生されました。以後、その意を体した小野台静上人が第2世の住職として、善光寺如来信仰の教化に専念されました。昭和20年4月の空襲により本堂等灰塵に帰しましたが堂宇を復興し、善光寺如来信仰の培養と念仏教化に勤められました。」
とあり、信州の善光寺にゆかりがあることが分かります。また、他の神社やお寺同様に、戦災に遭い復興を果たし今の王子善光寺があることも分かります。復興の象徴のような神社やお寺は、あまり知られてはおりませんが、都内に沢山あります。遠くに行きづらいコロナ禍の今、近所の神社やお寺に目を向けてみると、実は戦災からの復興を果たしているなどの奥深い歴史があることが分かり、いつもの神社仏閣を見る目が変わるかもしれません。
地域密着 幼稚園・学校・病院近くのお祭り
王子善光寺は、とよかわ通り商店会の中にあり、近くに王子生協病院・豊川小学校・クラブ保育園があります。そして住宅地の中にあるため、学生をはじめ、親子連れや買い物ついでに寄っていく主婦のような方が参加するには絶好の立地となっています。屋台の店員さんが高齢化して来ている部分もあるようで、このような地域に密着した温かいお祭りがコロナ後も続いていくことを願うばかりです。余談ではありますが、近くにはロイヤリティが月5万円の『コスモス』という今では珍しいコンビニがありますので、コンビニマニアにはたまらない場所でもあります。
コンビニ名鑑 https://konbinimeikan.web.fc2.com/ichiran/index.html
縁日に参加しての所感
コロナ禍ではありますが、徐々に無理のない範囲でお祭りが実施されるようになってきたところもあるようで、ライター的には嬉しく感じました。特に近くの子どもなどの若い人の参加が目立ち、このような地域での貴重な経験をすることが出来る環境が継続し良かったと思いました。
年をとるにつれて時間の価値は減っていき、体感速度も速くなって行きます。しかしながら大人の時間感覚とは異なり、若い人にとって時間の価値は高く、体感速度も非常にゆっくりとしています。その中での学びや経験は、一生の宝物になりますので、コロナ禍であっても、若い人からいたずらにそのような時間を奪ったり、成長の機会を止めたりすることが無いようにすることは大人の責務とも言えると思います。
その点において、お祭りは色々な人が一緒に楽しんだり、地域文化を自然と学ぶことの出来る絶好の機会。新型コロナ感染症対策で今まで通りに行かない部分もあるかとは思いますが、今までの習慣は見直し、出来ることはやっていく。そのことから障害や困難の対処する姿勢を身に着けることが出来る絶好の機会であると思います。コロナ禍であっても、アスリートのマインドを持って、祭の火を消さず、未来につなぐべきものをしっかりとつないでいきたいと思いました。