※2020年は新型コロナウイルス蔓延の影響で中止となりました。
2021年には無事に開催されることを願いつつ、コロナウイルスの終息のために感染予防を心がけましょう。
(2020年9月29日 編集部)
京都府京田辺市の指定無形民俗文化財「大住隼人舞(おおすみはやとまい)」。
隼人舞は岩戸神楽と並ぶ日本民族芸能の二大源流といわれており、毎年10月14日 天津神社と月読神社の例祭の宵宮に奉納されます。
(この記事は2019年に公開されたものを再編集しています。2020年9月29日 編集部更新)
目次
◆1300年の歴史!九州から京都へ移住した大隅隼人の物語
約1300年前、九州南部の薩摩・大隅地方から京都府京田辺市大住に移ってきた大隅隼人(おおすみはやと)。
「おおすみ」が地名転移し、九州の「大隅」が京都の「大住」になったと考えられています。
◆「日本書紀」海幸彦・山幸彦の物語が由来!
「大住隼人舞」は海幸彦・山幸彦の神話が起源です。
「日本書紀」第二巻の神代下巻、第十段「海幸彦・山幸彦の物語」の後半にある「海宮遊幸の章」に由来します。
◎ 超訳☆海幸彦・山幸彦物語 ◎
大切な兄・海幸彦の釣り針を弟の山幸彦は釣りの際に海の中に失くしてしまいます。
山幸彦は大切な十拳の剣(とつかのつるぎ)で代わりの釣り針をたくさん作りましたが、海幸彦は「どうしても元の釣り針でないとダメだ」と言います。
山幸彦が困りはてていると、潮汐の神・シオツチが竹籠の海の中に入れる船を造り、「海の神・ワダツミの宮殿に探しに行きなさい」というお告げを受けます。
そこで海の底にある宮殿に行くとワダツミの娘・トヨタマヒメと出会い、二人は恋に落ち、祝福され結婚します。
幸せに暮らす二人ですが3年の月日が経ったある日、山幸彦は大切な釣り針を探しに海の底に来たことを思い出します。
ワダツミは海の生き物たちに釣り針のことを聞き、兄・海幸彦の釣り針は山幸彦の元に戻ってきました。
海幸彦に釣り針を返しに行く際、ワダツミは山幸彦の身を案じ、身を守る呪文と海の水を操る「潮満珠」と「潮干珠」を渡します。
ワダツミから教わった呪文を唱えながら兄に釣り針を返し、兄弟はその後、山に畑を作り暮らします。しかし豊作になるのは山幸彦の畑ばかり。
海幸彦はあの呪文は呪いだと怒り、山幸彦に十拳の剣をふるいます。とっさに山幸彦はワダツミの「潮満珠」をかざすと、海幸彦の周りには不思議な海の水が現れ、溺れてしまいます。
溺れる海幸彦は山幸彦に服従し、「永久に俳優(わざおぎ)たらん」と誓ったのでした。
◆舞の所作は「溺れている」様子?!
海に落とした釣り針に対し、頑なに返せと無理難題を言ったのはありますが、大切な釣り針を失くされた上に、神の呪文で毎年、不作になり、不思議な玉の海の水で溺れて永遠に弟に忠誠を誓う兄…。
海幸彦の溺れた様子は1300年の時を超えて「隼人舞」となり語り継がれておりますが、なんだかちょっと可哀想な気も。
ともかく、海のある舞鶴ではなく、大阪に向かう方面の山の中にある京田辺で「海で溺れる」という謎が日本書紀で解けました。
それでは、ここからは詳しく舞の所作を説明いたします!
写真:10m四方ほどの舞の庭を縦横無尽に動き、蹴り上げる動作が多い隼人舞
◆舞の所作◆
「足占(あしうら)」…水が足下に打ち寄せて思わずつま先立ちになり水を避けようとする様子
「足挙げ(あしあげ)」…水がくるぶしまで来て、あわてて逃れようとする様子
「走せ廻り(はせまわり)」…水が腰までおしよせ、懸命に逃れようとする様子
「腰捫り(こしもじり)」…腰をもじりながら海水をかきわけて必死で逃れる様子
「手を胸におく」…海水が胸までつかり恐ろしさで夢中に祈る様子
「飄掌(たびろかす)」…海水が首から顔のあたりまで増え、溺れる寸前で助けを求める様子
この6つの所作を基本として隼人舞は構成されています。
◆天皇即位「大嘗祭」での奉納舞「隼人舞」
九州から京都に移住してきた大隅隼人たち。
獰猛で俊敏な隼人族は天武天皇(672~686年)の時代に近習(きんじゅ/公家、武家を通じ主君の側近で奉仕)となり、宮中警護や正月の行事や天皇即位の大嘗祭で隼人舞を奉納しました。
◆自然のリズムを取り入れた音楽◆
「舞い立ち昇る龍の鳴き声」である龍笛をはじめ、太鼓は自然の音を取り入れ、ゆったりと流れる小川の水や、勢いよく流れる滝の音を現しています。
「ハタ」という太鼓の縁をゆっくり叩く方法と、「山形」という早めの調子に打つ方法を使って演奏をします。
■隼人舞の歌
最初の曲は「隼人舞の歌」。
隼人舞復活の際に創作したオリジナルの「隼人おどり」です。
五色の垂の花笠をかぶり、五色の幡で飾られた鈴を持ち、地元の小学生の女の子たちが舞います。
歌詞は「史跡名勝かぎりなく 古き伝統(つたえ)を受け継ぎて 弥栄えゆく わが田辺」
「神の魂結う(たまゆう) 俳優(わざおぎ)の 隼人の子孫(こ)らが移り来て 三里豊かに開きつつ 奈良の朝廷(みかど)に捧げたる 誉も高き 隼人舞」と、京田辺と隼人の伝統をしっかりアピールしています。
「隼人おどり」のあとは、龍笛と太鼓での「追吹(おめりぶき)」の演奏が流れ、隼人舞の奉納が始まります。
■お祓いの舞
「お祓いの舞」は舞人と舞う場所「舞の庭」の穢れを払い清める舞。
舞の庭の四方には忌竹、中央の天蓋には5色の幡が飾られています。
■神招(かみおぎ)の舞
清められた舞の庭に月読(つきよみ)の神、天津(あまつ)神、国津(くにつ)神、八百万(やおよろず)をお招きする舞。
狩衣に指貫袴(さしぬき)の衣装で旭扇(きょくせん)を持って舞います。
神と繋がる宝綱を右手に持ち、神様をお迎えします。この地に降臨した神様は「ひもろぎ(榊)」を通じて舞人に乗り移るといいます。
■振剣(ふりつるぎ)の舞
剣で穢れや悪魔を追い払い、勇ましさを誇示する舞。
白の古代衣に臙脂色(えんじ)の袴を着て舞います。
■盾状(たてふせ)の舞
渦巻模様の敵の魂をひきとめる呪い、悪魔を防ぐ盾を持って舞います。
盾を伏せることで従順であることを示します。
また奈良時代、正月の儀式などで魔よけをしたと言われており、この盾の実物が発掘調査で発見されました。
■弓の舞
狩猟で使う弓での豊猟祈願の舞。
農耕には向かない土地のため、狩猟で生活をする南九州らしい勇ましい舞です。
■松明の舞
火を敬い、八百万の神々に感謝を現した舞。
舞台の明かりを消して、本物の松明を振り回しながら舞う勇ましい舞です。
松明を大きく振り回すため、観客も後ずさりするくらいの迫力があります。
◆舞人は小中学生!受け継がれる「大住隼人舞」
1300年の歴史を誇る隼人舞ですが、近年は途絶えていました。約500年ぶりの昭和46年に鹿児島県日枝神社の神舞「隼人舞」を月読神社に復活奉納。令和を迎えた今も大住隼人舞は受け継がれています。
現在の舞人は隼人おどりを大住地区の小学生、隼人舞を地元京田辺市大住地区の中学生が代々受け継いでいます。
また境内では「隼人舞」に合わせて京都大住産「隼人米」を同志社女子大学の学生が販売していました。学生たちによるバーチャル企業 【PRICEMORE】では地域を活性化する活動も行っています。(2019年の情報です)
隼人米の販売元「岡村アグリ倶楽部」岡本さんからのコメント
「隼人米のネーミングだけでなく、こだわりの美味しいお米づくりを目指しています。
最近では評判もアップしており、隼人の里の美味しいお米づくりに努力したいと思っています。
また2019年11月16日には大住岡村地区の築270年の古民家澤井家住宅(重要文化財)のかまどで炊いた隼人米の試食会等のイベントを予定しています。ささやかなイベントですが、地域づくりに努力いたしますので是非、お越しください。」
隼人米を食べてみたところ、やさしい甘さのお米でした!おいしいです!
●隼人米の問い合わせ先「岡村アグリ倶楽部」岡本さん 090-8933-6548
写真:隼人米を2Kg1000円、2合200円で同志社女子大学の学生たちが販売
奉納舞を見守る参拝者も地元の人ばかりで、「この次は剣、盾、弓…」と何度も訪れており、深く土地に根付いた舞であると感じました。
何かを始める際に悪事を祓い、祈願成就を祈る「隼人舞」が、これからも京都で受け継がれていく平和な世の中であるように願います。
◆大住隼人舞 スケジュール◆
※2020年開催中止
毎年10月14日 天津神社18:30 月読神社19:30
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