「頭なでてください!」
「握手してください!」
「背中さすってください!」
「宝くじ代わりに買ってきてよ!」
・・・・・・・・・・・・・・
ん?!(笑)
これは実際に私が福男になってから多くの方々に言われた言葉の上位のものです。
さて、今回はなぜ福男がありがたがられるのか?についてまとめていきたいと思います!
あれ?なんでこんなにありがたがられるの?(笑)
私が西宮神社の福男選びで一番福を獲得したのは2018年1月10日のこと。
もちろん獲得すると、ニュースとして日本中に報じられます。
伝説の公欠扱い
福男獲得後、学校に行くと・・・
クラスの反応がいつもと違う!(笑)
ちなみにこの日は、福男のインタビューなどの影響により、当時通っていた市立尼崎高校には遅刻してしまいました・・・(~_~;)
しかし、なんと職員室の先生から・・・
公欠扱いにしてるから。
えっ?!(爆笑)
なるほど、福男効果はすごい。と思った瞬間でした(笑)
卒業式の日
思い出の詰まった高校卒業の日。すでに福男獲得から約2ヶ月が経とうとしていました。
「さすがに福男も忘れられてるやろ・・・」
式の最中にはそんなことも考えつつ、高校時代の思い出を振り返ってみると目にゴミが入り、アツい何かがこぼれそうでした(実際は泣いてません笑)
そして後輩からの大きな拍手で式の会場を出て感動の余韻に浸りながら教室まで歩いていると、
これ持っていき〜♪
社会科の先生から一枚のプレートが渡されました。
私(中央黄色い法被着用)が持っているのがそのプレートです(笑)※このプレートはその後も大活躍しました
最後のホームルームを終え教室を出ると、そこには写真を求め待ってくれていた女の子が約30人ほどいたのです!
あっ、女の子は保護者のお母様も含みます(笑)
どっちにせよこんな「じゃがいも顔」の私に女の子が写真を求めるなんて人生に一度の体験だと思います!
でも福男選びって・・・
さすがに、これほどありがたがられていると、私も奇妙さを感じられずにはいられなかった。
なぜなら私は、
門から本殿まで一番速く走っただけだから(笑)
オリンピックの100m走で優勝して握手を求められるのとも違い、何らかの「ご利益」をお与えすることを期待されているのです。
福男選びという神事は、西宮神社で開催されている一種の恒例化されたイベントであり、宗教的に正式な「福男」というくらいを頂戴したわけではないのです。
それにもありがたがられるのはなぜなのだろうか。
私が福男として実体験したことなどを交えながらまとめてみます!
「福男」がありがたがられる理由を自ら分析してみた
「ありがたい」とは何か
そもそも、「ありがたい」とはどういうことなのだろうか。「手伝ってくれるのはあり がたい」「後輩がいることはありがたい」「必要とされていてありがたい」など、私たち の日常の会話では頻繁に使用する言葉です。私は「ありがたい」という言葉を分析する にあたりを多数の文献を調査した上で、「ありがたい」という表現を以下の 2 つの観点から検証を進めていきました。
①元々神仏の功徳や恩恵に対して恐縮の態度は取りつつも、 出来事に対しては 「この生 じた出来事はめったにないことだ」 という直接的な評価を示すという意味
②対人・対象直接認定によるお礼の意味表現である。日本人の感謝には「ありがたい」 という喜びや満足感だけでなく、してもらったことへの負債感の双方が混在した感情体験 が伴うという意味
過去の福男たちに聞いてみた
過去の福男に任命された 9名に「福男」獲得前後の周囲の人々の反応(ありがたがられる状況)について調査しました。
福男獲得後に頼まれたことをまとめてみると、インタビューを実施した 9 名全員が口を そろえて「握手を求められる」と回答されました。その他にも、「写真撮影をお願いされる」「背 中をたたいてと言われる」「福男になってからいいことあった?と聞かれる」という回答も多数ありました。
いずれにせよ、福男に選ばれることによって「ありがたがられ」、福を分け与える所作 をしてもらえるように一般の方から依頼を受ける機会が増加しているということです。写真撮影に 背中を叩く、握手を求められるということは「福男が福を持っている」という仮定のもと、「福をその人に分け与える」という点で本質的に同じであると考えます。
なぜ福男は「ありがたい」存在なのか…仮説を立ててみた!
福男がなぜ「ありがたい」存在として見なされているのかについて仮説を複数提示していきます。なおこれらの仮説のどれかが正しいというわけではなく、複合的に合わさりあうことによって、福男に対して抱く「ありがたさ」というものが構築されます。
仮説1 福男=「ありがたい」存在として社会構築された
福男選びは元々神社の境内を勝手に走って「一番鈴」を目指して勝負していた自然発現 でありました。ところが現在では西宮神社の正式な神事となって「宗教性のある行事」として 権威づけられたのです。また併せて境内を一・二・三番で駆け抜けた者を福男と名付けられました。この点神社で行われるという場所性や、歴史性、メディアによって創り上げられた神聖さによって、福男は「ありがたい存在」として社会構築(ラべリング)されたと見なすことが できます。
仮説2 福男=福を与えてくれる存在としてのありがたみ
福男は「頭をなでてほしい」や「握手をして欲しい」などの依頼を 受けることがあります。そして握手をした後は福が自分にも巡ってくるような充足感が得られるのです。福男は「福」という、精神的な充足感を与えてくれるありがたい存在であるという見 方は通説的であると考えられます。
仮説3 福男=非日常的な出来事との巡りあわせ
最初に立てた「ありがたい」の定義によるならば、「ありがたい」とは目の前で起きた非常的な事柄に対する評価です。まさしく福男と接することは目の前で起きた非日常的な事柄であり、その二度となき巡りあわせに「ありがたい」と評価することも考えられるのです。
仮説4 福男=「日々の努力」の象徴
「福」の由来から立ててみます。そもそも「福」というのは、以前は「不具(ふぐ)」 と考えられていた。つまり、完全ではない状態ということです。例えば、生まれつき片方の 耳が聞こえない人がいたとします。その人は、健常者の聴力に負けないように、聞こえる片 方の耳のトレーニングを行うであろうと考えます。健常者は「完全」な状態をごく普通のことと捉えると思いますが、不完全な人は、不足を補うために必死に努力を重ねます。そして努力を重ねた 結果、最後には幸せになるということから、「不具」から「福」という言葉へと変化して いったのです。
福男になるということは決して容易なことではありません。くじ引きで一番福を狙える位置に 陣取れる運の良さはもちろん、200 メートル近くの距離を速いスピードで駆け抜ける脚力 が必要です。その運の獲得やスピードの維持には常日頃からの努力を要します。だからこそ福男は「日頃の努力の象徴」として人々から認識されているのです。その尊敬の意を込めて 「ありがたい」存在と見なされるという仮説が立てられます。
仮説5 福男=「戎様から加護を受けた情の深さ」の象徴
福男は戎様の加護を受けた存在であるとし、人徳や柔和な人間性の象徴と見なされます。その尊敬心が背景に存在するからこそ「ありがたい」存在と見なされると考えられるのです。例えば震災時における天皇の避難所への表敬訪問も、被災者目線から見ればありがた いことであるが、その背景には「我々を気遣ってくれる天皇の人徳に対する尊敬の意」を 込めてのありがたみが存在すると考えることができます。
福男は日常的にも「福男としての自覚」を持った上で活動することが求められ、また福男が登場する地域イベントも開催されるます。こうした場面では一般の方に向けて、情の深さを持つことが求められます。そうした姿勢から福男は情の深い存在であると一般的に浸透す ることから「ありがたい存在」と認識されていると考えられます。
少し論文チックになってしまいましたが、福男・佐藤玄主が本気で考えた「福男がありがたがれる」仮説です!
いかがでしたでしょうか?今回は西宮神社が有り難がられる理由を考え、まとめてみました!
いやぁ、福男は奥が深い・・・この記事を見た皆さんは、来年から福男選びを違った視点でみれるのではないでしょうか?これからもさらにさらに福男選びについて深掘りしていきますよ♪
Hope for the next post!