「豊橋鬼祭」は毎年2月10日・11日に愛知県豊橋市で行われる、春の訪れを告げるお祭りです。安久美神戸(あくみかんべ)神明社を舞台に、宵祭と本祭の2日間行われます。ここ2年間は新型コロナウイルスの感染リスクを考慮して、無観客で神事のみ実施してきました。2023年は感染対策を講じた上で、久しぶりに観客を入れて行われました。
宵祭と本祭の2本立てで、それぞれ当日の様子を振り返っていきます。本記事ではまず、2月10日の宵祭に行われた、青鬼の「岩戸舞」や家を一軒一軒回っていく「門寄り」を中心に見ていきます。また、鬼役となった方の暮らしや想いにも迫っていきましょう。
目次
豊橋鬼祭とは?
当日の様子の前に、豊橋鬼祭の概要について簡単に触れておきます。このお祭りは、日本建国の神話を田楽に取り入れて神事としたものといわれており、古来よりその形を崩さず継承されてきました。五穀豊穣や無事安寧などの願いが込められています。
最も知られている本祭での「赤鬼と天狗のからかい」を中心に、御神楽、田楽、年占い、御神幸など、数多くの神事が、2日間にわたって行われます。 約千年の歴史があり、神事として戦争中も中断することなく奉納されてきました。 1980年(昭和55年)には、国の重要無形民俗文化財に指定されました。
宵祭が開始、青鬼が登場!
2月10日、早朝の様子から振り返っていきましょう。9時半すぎに境内に着くと、続々と人が集まり始めていました。
雨が降っていましたが、参道の左右を参拝客が埋め尽くしていきます。右の建物が本殿、左の建物が神楽殿です。拝殿前の笹が立っている場所は儀調場(ぎちょうば)と呼ばれており、これらが鬼祭の舞台となります。
10時前ごろ、鳥居をくぐり、扇子を持った子ども達が走ってきました。本殿前の儀調場の上にあがります。
「ア〜オ!」という掛け声とともに、青鬼を呼んでいます。これは「今から鬼が来るよ」という合図だそうです。
さあ、いよいよ青鬼が両手を抱えられながら走ってきました!青い顔、かっぷくの良い体。それに白い紐で鎖のように縛られ、虎の皮の褌(ふんどし)を締めています。とてもインパクトの強い衣装ですね。
岩戸舞の始まり
10時になると神楽殿にて、八町通り3丁目・4丁目の氏子による「岩戸舞」が奉納されました。本来は儀調場で執り行われるのですが、今回は雨なので屋根のついた神楽殿で行われます。
青鬼は神楽殿の隅に腰掛けます。
岩戸舞が始まりました。岩戸舞は、日本神話の中の「岩戸開き」を神楽で表現した舞です。優美な古代服を身に着けた3人の神さまが、琴の音色にのせ、「イヤサカホイホイ」の歌詞に合わせて舞いました。
途中、真ん中の女性が仮面を被りました。これは日本神話に登場し、神楽の起源になったともいわれる宇受売命(うずめのみこと)です。
最後に青鬼に扮した手力男命(たぢからおのみこと)が現れて、力強い青鬼の所作が見られました。
この岩戸舞に登場する楽器は、大太鼓、小太鼓、チャッパ、拍子木、笛、琴です。琴姫は美しい琴の音色を奏でました。
タンキリ飴がまかれ、門寄りに向けて出発!
その後、青鬼は儀調場に立ちました。ここから厄除の意味を持つ「タンキリ飴まき」が始まります。
このタンキリ飴を食べると夏病みしないといわれており、飴には「1年間元気に過ごせますように」という願いが込められています。
大太鼓の合図で飴まきが始まりました。
地面にはたくさんのタンキリ飴が転がっており、それを一生懸命確保しようとする参拝客の姿が見られました。
雨に当たるのも構わずに傘を閉じて、それを袋がわりに飴をたくさん集めている人もいました。
青鬼の門寄りに密着!
岩戸舞と青鬼による飴まきが終わった後、青鬼は氏子町内を練り歩く「門寄り」に出かけていきました。青鬼は突然走り出し、鳥居の外に飛び出していきます。猛スピードで移動する姿には非常に圧倒されます。
各家やお店、施設などを回るときは、まずはタンキリ飴を授けます。これは郵便局に立ち寄った時の様子です。
そのあと、鬼は頭をなでてくれます。頭をなでられることで厄がとれるようです。
病院では写真を撮られ人気者に!たくさんの方の撮影に応じたり、頭をなでたりする光景が見られました。
青鬼の門寄りを受け入れた地域の方にお話を伺うと、「今年の鬼役は中学2年生で大きな子どもなので、元気が良いように見えました。(粉もまいて、タンキリ飴もくれるので)夏病みせんと聞いており、元気がもらえました」とおっしゃっていました。
五十鈴神楽の奉納
神楽殿では12時から、呉服町の五十鈴(いすず)神楽が奉納されました。この行事は本殿での修祓の後に行われます。
五十鈴神楽の特徴は、2人の神楽児が美しく化粧をし、紫衣緋袴(しいひばかま)を身に着けます。そして、右手に鈴、左手に麻(ぬさ)を持って神楽を舞います。この鈴と麻はそれぞれ太陽と月を表わしているといわれています。
2人の神楽児が左へ3回、右へ3回、左へ3回と、繰り返し回って舞います。子どもながらに荘厳さを感じさせ、とても立派な印象を受けます。
また、お囃子の音色に合わせた、優雅な雰囲気での舞でした。
この五十鈴神楽は、翌日11日の正午過ぎにも同じ神楽殿にて行われます。この後、小鬼による神事予習などが行われました。
雨が上がり、岩戸舞は儀調場でも実施
それから青鬼の門寄りは終盤に差し掛かりました。
五穀豊穣を願う白い粉(小麦粉)が路上にまかれる場面もありました。
門寄りが終わり、安久美神戸神明社の境内に戻ってきたのが午後4時ごろ。再び岩戸舞が行われました。雨が小降りになってきたので、儀調場での奉納です。
岩戸舞の流れは午前の時と同じです。
門寄りをして帰ってきた青鬼も舞っていました。
再びタンキリ飴がまかれました。
飴まきが終わり、青鬼は再び神社を出発しました。
八町通3丁目・4丁目の町内を門寄りし、午後6時ごろ安久美神戸神明社に帰還し、今年の役目を終えました。
約100人の食事接待など、青鬼役と家族のつとめ
行事の合間に、青鬼の運営を行う八町通3丁目・4丁目の方に、お話を伺うことができました。
――青鬼役は何歳の子どもが務めるのですか?
小学校6年生から中学校1年生の子どもが多いですが、今年は中学校2年生ですね。男の子がこの役をご奉仕することになっています。
――運動神経は必要ですか?
そうですね、青鬼の衣装は5kgくらいあり、重く感じる子どもが多いでしょう。そして、朝の8時半から5時半まで一度もトイレに行けないのですが、汗として水分は流れていきます。こんな感じでとてもハードなんです。
――お昼は食べられないのですか?
そうですね、朝から夕方まで衣装をつけたままなので、青鬼はお昼を食べることができません。
――今年は門寄りがコロナ禍を挟んで3年ぶりの実施とのことですが、いつもと違うことはありましたか?
(まだ完全に新型コロナウイルスが収束しているわけではないので)町の人が受け入れてくれるか心配でした。でもこのお祭りには門寄りがつきものですから実施しました。
――門寄りは何軒回られたんですか?
今回は約200軒ですね。昔は300軒回ったこともあったようです。
――毎年変わらないルートがあるんですか?
そうですね、だいたい決まっています。あと(お店に関しては)曜日によって寄れるところと寄れないところがあるんです。
青鬼役をされている子どもの親御さんにもお話を伺うことができました。
――お子さんが青鬼を担うことになってどう思われましたか?
親が経験しているから、子どももやるというのは自然な流れでした。最近は子どもが少ないこともあり、ここら辺の小学校の男の子は皆「もしかしたら自分が鬼の役をするかもしれない」という気持ちで過ごしています。
――青鬼役になったら、ご家庭で準備することは何がありますか?
お昼に参集殿での食事の接待があります。子ども45人、青年50人分の食事を用意するんです。
――いつから準備されるのですか?
接待の準備の段取りを考え始めるのが1ヶ月前からで、準備は2週間前から始めています。あと鬼役になる子どもの体力作りは1年くらい前からやっていますね。(自分が鬼役になるだろうということで)毎日走っているんです。
宵祭の様子をここまで振り返ってきました。青鬼の猛スピードで町内を駆け回る様子に圧倒されるとともに、その裏側には青鬼役の子どもやそのご家庭での入念な準備があったのです。陰で支える人の存在や見えない私生活の中に、この豊橋鬼祭の盛り上がりの秘訣があるようにも思えました。
この記事では青鬼の岩戸舞や門寄り、五十鈴神楽など、宵祭の模様をお伝えしました。レポート後編では、いよいよ「赤鬼と天狗のからかい」をはじめとする、見どころだらけの本祭の様子をお届けします。
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